これから就活を迎える学生の多くが抱える悩みや不安。何をすればいいかもわからずに、気持ちばかりが焦っている人もいるだろう。そんな人のために、独自の道を歩く4人の先輩が一筋の光を与えてくれるイベント、「『人を楽しませる』を仕事にしたい学生のためのセミナー」が明治大学で開催された。その講演を5回に分けて書き起こしていく。
第2回のテーマは、進路を決めるきっかけ。自分の進路を1つに決定してしまうのは、なかなか勇気がいるもの。独自の道を歩んでいる登壇者だが、自身の道を決めたタイミングはいつなのだろうか?
登壇者
芸人 2003年から中田敦彦とコンビ「オリエンタルラジオ」として活動 藤森慎吾氏
クリエイティブディレクター 2011年にクリエイティブラボ「PARTY」設立 中村洋基氏
株式会社TBSテレビ 番組プロデューサー 中島啓介氏
BASE株式会社 共同創業者/取締役 LivertyやCAMPFIREなど複数の立ち上げに関わる 家入一真氏
モデレーター
株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 佐藤詳悟氏
前回までの記事はこちら
見出し一覧
・家入一真:どこにも居場所がないから、仕方なく起業した
・中村洋基:箱庭を作っていたら、今の仕事にたどり着いた
・中島啓介:ゾクゾクする瞬間だけを追い求めた
・藤森慎吾:相方のあっちゃんとはアルバイト先で出会った
家入一真:どこにも居場所がないから、仕方なく起業した
藤森:最初の質問です。今の仕事をイメージしたのはいつですか? 家入さんからお願いします。
家入:イメージは、全くできていませんでした。実は僕、就職を何度かしているんですよ。20歳ぐらいで3回就職したけど、全部途中で会社に行かなくなって、クビになり、22〜23歳の頃に餓死しかけました。
藤森:餓死しかけたんですか? それは初耳だった。
家入:自分で何かやって稼ぐしかないと思って、起業しました。起業って前向きな感じがあるじゃないですか。いつかは日本一とか、社員いっぱいでお金持ちになりたいとか。そうじゃなくて僕の場合は選択肢を潰していった結果、起業しかなかったという感じですね。
藤森:どうやったら起業できるんですか?
家入:法務局とかに行くだけです。
藤森:登記をすればOK? そういうことも全然知らなかったですね。
起業は普通に働くよりもよっぽど楽
家入:起業っていうとすごく大げさなイメージで捉えられがちですけど、僕からすると、普通に働くよりもよっぽど楽。
佐藤:起業して一発目が、大当たりしたレンタルサーバーのロリポップ?
家入:そうですね。月額のレンタルサーバーサービスを立ち上げました。
藤森:それは家入さんの会社ですよね?
家入:そうです。常にいろんなことをやっているから、色んなアイデアがいっぱい出て、人脈もあってと勘違いされるんだけど、全然そんなことありません。
とりあえず自分が今やるべきこと、足元しか見てこなかった。逆に言うと、歩きながら足元しか見てこなかったので、気づいたらこんなところまで来ていた。そんな感じです。イメージなんて全くなかった。
どこにいても居心地が悪い
佐藤:若者の居場所を作りたいと思ったのは、どのタイミングですか?
家入:ずっと変わらない思いとして持っていました。居場所のなさはずっと感じ続けています。今もここに居場所を感じていないですよ。
藤森:仲間でしょ。
家入:居心地悪いんですよ。
藤森:なんで居心地悪いんですか?
家入:なんていうか、作っては「なんか違う」って思って出ていくというのをこれまで繰り返してきました。社員がいっぱい集まってアットホームな雰囲気になってくると、居場所のなさを感じてしまうんですよ。自分の作った会社なのに…。
中村洋基:箱庭を作っていたら、今の仕事にたどり着いた
佐藤:洋基さんはどうですか。
中村:僕も全然イメージしていなくて、電通もまともに就職活動をせずに入りました。シチュエーションコメディ(ストーリー性の強い長編コメディのこと)が好きだったので日大の芸術学部に入ろうと思ってたら、たまたま記念受験した早稲田の一文の試験の前日に朗読した英語の問題が出たんです。試験当日は、穴埋め問題が神通力のようにわかりましたね。
藤森:朗読したからね。
中村:それで受かったから学力も足らず、入っても勉強も全然せずで完全な落ちこぼれ…。とにかく芝居ばっかりやっていました。大学の劇団サークルに2年間所属していたんですけど、突然、脚本家がノイローゼになって劇団が解散したんですよ。
藤森:何ですか、それ。
中村:脚本家が「俺はもう書けない」みたいな感じになり、俺の大学生活も終わったなって…。でも、その時にたまたま、友達の劇団のチラシとかをIllustratorというソフトで作っていたら「お前、パソコンがいじれるんだったら」って言われてアルバイトを始めることになりました。
当時の早稲田にある劇団の、兄弟会社がウェブコンテンツを作る会社だったんです。そこに入って3Dとかウェブとかを覚えていくうちに面白くなっていき、就職活動もせずにフリーのウェブデザイナーとして生きていこうって思いました。
そしたら、ニッポン放送の下働きの仕事をもらい、そのあと電通のバイトの仕事を頂いて、という流れです。広告をやってるうちに自我が芽生え始めました。
「とにかく形にする」という感覚がたまらない
藤森:ということは、芝居に夢中だった頃に広告業をやっていたら「俺はここだ!」ってハマったということですか?
中村:結構、そういう人もいると思いますけどね。
藤森:全然方向違うじゃないですか。元々はそんな職業をイメージしていたわけでもなく、たまたまってことですか?
中村:やってみて、マインドが似ていると思いましたね。演劇は、ひとつの公演が成り立って、それが面白ければいいわけで、そのために何日も徹夜して稽古したり、大道具を作ったりするわけですよ。
ひとつのプロジェクトを成功させるために、みんながガーッとなる瞬間って、宗教的というか、熱狂的なんです。全身全霊を傾けて「うまくいったー」みたいな。すごくアドレナリンが出ますね。
本気でやらないと失敗するから、とにかくちゃんと形にしようという感覚。これをずっと繰り返しているというのは、その時から変わってない。
藤森:舞台の総合的な演出と一緒なんですね。面白いな。
佐藤:作るのが楽しいんですか?
中村:楽しいですね。
佐藤:それを受け取られたタイミングも楽しいんですか?
中村:大まかに作ることが決まって、その内容を1個ずつ積み上げていくのは、めちゃめちゃ楽しくないですか? 例えば、コントの大まかな流れが出来て、それを繰り返すうちに、こんな話を足したら楽しいんじゃないかってアイデアが出る。やればやるほどに完成度が上がる。箱庭みたいな仕事が、一番楽しいんじゃないですかね。
中島啓介:ゾクゾクする瞬間だけを追い求めた
佐藤:中島さんは?
中島:そういう意味では全く一緒で、僕もきっかけは学芸会。劇団四季のようなミュージカルをやっていました。
藤森:小学校で?
中島:当時の劇は「夢から醒めた夢」というタイトルでした。ちょっとかっこいいでしょ。なぜか暴走族役だったんですけど、ダンスの振り付けを考えました。
そのときのゾクゾクした感じが忘れられない。高揚感があって、あれのためだったら何でも我慢できるって思えたんです。それが小学校6年生。そこから中学、高校と文化祭のとか、体育祭の合間に行われるミュージカルの演出をずっとしてきました。
音楽も好きなので、大音量の音楽でショーを演出して、みんながそれをにこにこしながら見ていた時に震え上がる瞬間があるんですね。
大学になると、それが映像に向いて、映像と音楽を合わせたものにみんながゾクってしてくれたらいいなってずっと思っています。だから、音楽のイベントでもお笑いのイベントでも、「いつゾクゾクするかな」っていうのを楽しみに待っているんです。自分は鳥肌が立つ瞬間を作りたい。
上手くいくか分からないものがいい方向に転んだ瞬間は忘れられない
佐藤:中島さんが企画した「リアル脱出ゲームTV」を見たんですが、あれって総参加者数が表示されるじゃないですか?
中島:あれもやりながらドキドキしましたね。最初、1000人超えなかったら、あの数字を出すのをやめようって話していたんですよ。ところが、開始1分で3万人ぐらいがバーッて来て、その瞬間に大興奮です。上手くいくかわからないものがいい方向に転んだ瞬間は、忘れられませんね。
藤森:そういうことなんでしょうね。
中島:そうすると、1か月眠らなくても大丈夫というようになり、楽しくてやめられなくなる。
「いろいろやっていれば、どこかで震える瞬間が来る」
藤森:テレビ局の魅力って、それでしょうね。家入さんのゾクゾクするポイントも教えていただけますか?
家入:ゾクゾクするポイントは確かにあって、僕ならWebサービスや新しいビジネスを作るときの最後の追い込みですね。あれは麻薬みたいなものですよ。寝なくてもいいし。
藤森:そういうことを聞くと、いろんな職種ありますけど確かに一緒。気持ちいいって思った瞬間が仕事になったというのが最高ですもんね。
家入:中村さんも言っていたけど、自分に何が向いているとか何をやりたいとかなんて、正直いまだにわからないですよ。だけど、とりあえず求められることを本気でやっていたら、バチッてハマる瞬間がどこかにある。
本当にやりたかったことがいきなり見つかるわけなんてないから、いろんなことをやってみる。そのうちに、震える瞬間がどこかで来るんです。
藤森:学生さんに言ってあげてくださいよ。僕に向かって言うんじゃなくて。常にいいことを言いますよね。
身近な人に手紙を書くようにサービスを作る
家入:最初に作ったロリポップも、正直うまくいくとは思っていませんでした。僕がビジネスを作るときって、自分が欲しいものを自分で作るんですよ。もしくは、僕の身近な人が喜んでくれそうなものを作る。
僕がこういうレンタルサーバーがあったらいいなって思えば、僕と同じような人は日本に1万人ぐらいはいるかなって。例えば、僕が好きな女性がいて、その女性が喜んでくれそうなサービスを作る。その女性と似た人が日本には何人かいると。そういったところから始めるんですよね。
だから、10万人とか100万人とかは考えてないけど、自分が使いたいものなら最悪こけちゃっても、自分だけが使えるからそれでOK。ビジネスにしろプロジェクトにしろ、まず具体的な誰かの顔を思い浮かべる。それは自分かもしれないし、親かもしれないし、友達かもしれない。そこに手紙を書くようにビジネスを作っていく。
藤森慎吾:相方のあっちゃんとはアルバイト先で出会った
佐藤:お笑い芸人はどうですか?
藤森:僕は長野県のすごい田舎で育って、18歳で東京に来ました。実家の人に明治大学に入ったと言ったら、みんなが褒めてくれるんですよ。そりゃもう当時は鼻高々でしたよ。
だから卒業して地元の地方銀行にでも就職できたら、きっと親も喜ぶだろうなって。大学を普通に過ごして、そのまま就活していくと思っていたんですけど、突然ゾクゾクが来ました。
だいたい就職活動が始まる時期って、みんな慌ただしくなるんですよ。とりあえず会計士の資格取らなきゃ、専門学校に通わなきゃとか。そんな中で、「俺は何やりたいんだろう」って思った時に、取り残された感じがあって…。
芸人になってから学生さんと会ったら、「自分のやりたいことが見つかりません」という相談をよくもらいます。僕も同じ。大学3年生の時なんて本当に何もする気力もなかったし、何が向いているのかもわかっていなかった。
かといって「会計士とか司法試験の勉強しなきゃ」って気にもなれず、ふらふらしながら、バイトに打ち込んでいました。自動車事故受付センターだったんですが、これは儲かるんですよ。
佐藤:保険の電話みたいもなのですか?
藤森:時給にすると1400円とか。全然チャラくない。
「あっちゃんの漫才のビデオを見た時にゾクゾクがきましたね」
藤森:事故を起こした人の電話対応をしていました。CMとかでよくやっているじゃないですか? でも実は制服着た女の人じゃなくて、汚い学生がやっています。僕の場合はそこで、今の相方のあっちゃんと知り合ったんですよ。
あっちゃんを最初に見た時の印象は「なんか変なやつがいるな」って感じで、気持ち悪かった。全身ペイズリー柄のジャケット、室内のバイトなのに黒い色のついた眼鏡を掛けてて…。
でも、喋ってみると面白かった。あっちゃんも家入さんと似ていて、本当に家とバイトの行き来で友達がいない感じ。自分の友達にはそういう人がいなかったので、とても珍しかった。
それで仲よくなった時に「実は俺、お笑いを大学でやったことがあって」と言われ、あっちゃんがやっている漫才のビデオを見せてもらったときに、ゾクゾクがきたんですよ。
お笑いをやりたくてやりたくて仕方がなくなって、衝動が抑えきれず「今もやっているの?」って聞いたら、「お笑いでやってくなんて無理だし、就職するから」って言われた。
それで「もったいない、俺とやろう」って言ったのがきっかけですね。でも相方は優秀で、そのあとNHKに就職して、改めて芸人になってから一緒に仕事することになるんですけど。だから僕は、相方と出会ったときに、すごくアドレナリンが出ました。
自分がゾクゾクできるかどうかが大切
だから、焦る必要はないなって今なら思える。3、4年生になった時にやりたいことがなくても遅くない、就職してからでもやりたいことは見つかる。
例えば、僕の同級生で不動産会社の大手に就職した人が、8年ぐらい勤めてから、いきなり電話で「ちょっと転職したいんだけど。お前の仕事を見ていたらマスコミをやってみたくなったんだ」って言ってきたんですよ。
それで制作会社みたいなところを紹介したら、不動産を辞めちゃいました。そこにいれば安泰だったのに。でも辞めて、今は制作会社でADとしてバリバリ働いていますけど、めちゃめちゃ楽しいって言っています。早い遅いはない。ゾクゾク出来るかどうかですよね。
佐藤:芸人を志してNSCに入ったときは、怖くなかったんですか?
藤森:めちゃめちゃ怖かったです。ストレスで髪の毛とかやたら抜けましたもん。そんな状態が2か月ぐらい続きました。そりゃ怖かったです、親にも言えなかったし。
それでもやりました。夢みたいなものが、すごく大きくなっていたんですね。あの興奮を味わいたい、お金も稼ぎたい、モテたい。いろいろな思いがめちゃくちゃ大きくなっていった。
佐藤:欲望ですね。
藤森:欲はどんどんでかくなりますから。(続く)
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