「考える」と聞いて、あなたはどんな姿を思い浮かべますか? 「どうしよう困ったな」や「なんとかしたい」とか「うーん...」なんて首を傾げている姿が想像できますよね。しかし、このような姿は「考えていない」状態です。一体「考える」とはどういうことなのでしょうか。
一見哲学的にも感じる「考えるとはなにか?」という問いについて、有名ブロガーのちきりん氏が『自分のアタマで考えよう』という本のなかでシンプルに解説してくれています。では、一緒に見ていきましょう。
「考える」と「知識」が混同していませんか?
考えようとしたとき、頭の中にある知識をそのまま適用していませんか? 「知識」として知っていることを思い浮かべただけでは「考える」ことにはなりません。つまり、「知識」は「考える」過程で利用することはありますが、それが結論ではないのです。
「知識」は、時として厄介です。知識の偏りによってバイアスがかかり、「知識」を基にした結論しか導き出せなくなる可能性があります。そこで、著者は次のように述べています。
知識を基に結論を導きだすのではなく、目の前にある情報を基に結論を導くことが重要だそうです。
情報を目の前に「なぜ?」「だからなんなの?」を問うことが重要
では、目の前にある情報を使ってどのように考えたらいいのでしょうか。著者によると、考えるときに「なぜ?」と「だからなんなの?」を問うことが重要だそうです。この2つの使い方を以下のように述べています。
情報をただ受け取るだけではなく、背景を「なぜ?」と考え、そこから「だからなんなの?」と考える事で結論に近づくのです。このように、情報というのは知識を得るだけの物ではなく考えるための材料になります。
「考える」ときの判断基準をシンプルに
「考える」とき、結論に至るまでの選択に悩んでしまう人もいるかと思います。その原因として興味深いのが「選択肢」が多いからではなく「判断基準」が多すぎるからということ。
たとえ「選択肢」が多くても「判断基準」がシンプルであれば、「選択肢」を簡単に絞り込むことができます。日常だけでなくビジネスの現場でも、利益率を判断基準にして、進出するべきか撤退するべきなのかを考える時にも応用できます。
「知識」や「判断基準」があることは良いのですが、考える時に思考を惑わす原因にもなります。なぜ、その知識や情報を使うのか、どういう基準で判断するのかを明らかにすることでようやく「考える」ことが出来るようになります。具体例や、詳細を知りたい方はぜひ読んでみてください。
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