HOMECareer Runners 派遣切りを見て「こんな働き方は嫌だ」と思った―私が「パラレルキャリア」を始めたワケ【前編】

派遣切りを見て「こんな働き方は嫌だ」と思った―私が「パラレルキャリア」を始めたワケ【前編】

坂本茉里恵

2014/11/07(最終更新日:2014/11/07)


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派遣切りを見て「こんな働き方は嫌だ」と思った―私が「パラレルキャリア」を始めたワケ【前編】 1番目の画像

 以前、U-NOTEで紹介した「パラレルキャリア」。「本業を続けながらもう1本の軸を持って活動して、何らかの対価を得る」この活動は、新しい働き方として注目を集めている。

 しかし、「周りにパラレルキャリアを実践している人がいない」という人も多いのでは。

 そこで、今回はパラレルキャリア実践者・福島緑さんにお話をうかがった。福島さんは大学院を卒業後、出版社に就職して編集者として仕事を始めた(現在はフリーランスの編集者)。また、2010年からウエディングパールシャワーを手がける「福島真珠 Jouer de Bonheur」をスタートし、2つのキャリアを歩んでいる。

(※ウエディングパールシャワー…結婚式で、淡水パールを新郎新婦に降り注ぐように降らせるセレモニー。使用後のパールは新婦やゲストが持ち帰り、加工してアクセサリーとして使用できる)


ーー「福島真珠 Jouer de Bonheur」の仕事を始めた理由を教えてください。



福島:そもそものきっかけは出版社に勤めていたときに、一時期契約社員だったことです。そのときにリーマンショックがあり、会社の業績が下がって、派遣切りが始まりました。そこで「そろそろ契約社員もヤバいぞ」という空気になったんです。
 
 その会社は福利厚生の厚い会社だったので、正社員の人はすごく優遇されていましたが、それ以外の契約形態の人には手薄。それなのに非正規社員の方が頑張って働いていたんです。だから「なんでその人が切られるの?」とすごく不満だったんですね。

 実際に派遣社員以外の非正規社員の首切りが始まってから、すごく惨めな気分になりました。自分が直接ミスをして業績を下げたわけではないのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだろうと非常に不愉快になって、「こんな働き方は嫌だ」と。 

 そこで、「やっぱり自分で仕事したいな」っていう思いがモクモクと湧いてきたんです。2008年から2009年にかけて、そういうことを考え始めました。

 実家が宝石店をやっていたので、実家の商品を友人知人に売るのは、結構前からやってたんですよ。でも、自分の仕事っていう意識は全然なかったです。ウエディングパールシャワーをやり始めたのは、2011年ですね。


(※リーマンショック…2008年9月、アメリカの投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が破綻。それが引き金となって国際的な金融危機が訪れた一連の出来事のこと)

(※派遣切り…リーマンショック以降業績不振に陥った多くの企業が、人件費削減のために労働者派遣契約や契約社員の労働契約の打ち切り・雇い止めなどを行い、社会的な問題となった)

ーー2009年くらいに在籍していた会社に不満を覚え始めて、2010年から「福島真珠 Jouer de Bonheur」を始められたということですが、その間にどんなことをされましたか。


福島:「会社での仕事以外に何をやりたいんだろう?」とずっと模索していました。ちょうどその時に離婚を考え始めたんです。そこで「経済的にも精神的にも自立しなきゃいけない」と考えました。そこで、「そのためにはお金を稼がないと!」って。

 ちょうどその頃知り合った人が、サラリーマンをしながらセミナー講師等で起業していて、そのノウハウをまとめたものを出版したんです。起業するなら会社は辞めなくてはいけない、と思い込んでいたので、「こういう働き方もあるんだ!」と目からうろこでした。それが一番背中を押されたきっかけですね。

ーーウエディングパールシャワーを事業として行おうと考えたのはなぜですか。



福島:理由は3つあります。1つ目は、起業セミナーの仲間とブレストしていた時に、以前実家でやっていたウエディングパールシャワーのアイディアを出したんですよ。

 アイディアを出した理由は、まずは商売は物販が強いからです。あとは「使えるものは使わなきゃ」と思って、そうなったら実家の商売と関係するものがいいな、と。

 そうしたら、起業セミナーの先生が「これは他にないし、宝石屋さんというバックグラウンドもあるし、個人で商売をやるならとにかくニッチなものを狙いなさい」と言われたんです。

 2つ目が、自分が結婚式を挙げた時、引き出物にものすごく迷った経験です。結婚式を挙げて実感したのは、結婚式とは本来「これまで支えてくれた人たちに感謝して、これからこの人と生きていきます、これからもよろしくお願いします」とあいさつする場だということ。

 それを聞くために集まってくださった方々に、その証になる記念品があってもいいんじゃないかと思いました。見るたびに結婚式のことを思い出せるように形として残って、なおかつ皆でおそろいのもの、というのが新鮮でいいんじゃないかと考えました。

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(「福島真珠 Jouer de Bonheur」で取り扱っているパールの一部。ゴージャスだけどかわいくて、普段使いできそうなところが素敵!)

 
 それに加えて常々思っていたことがあります。時々若いお嬢さんがイミテーションパールをつけてますよね。あれが、本当に安くて本物のパールと似ても似つかないものだったら、そういうお洒落もあっていいと思います。

 でも、最近のイミテーションはかなり本物に似せてあって、値段も高いものがあるんです。だから「だったら本物をつけたらいいのに」と思うんですよね。

  パールに対する憧れは若い世代も持っているのに、本物を知らないのは本当に残念。パールは勉強すればするほど奥が深くて、とても面白いんです。世界に誇る日本の特産品なんだから、「日本の女性にも男性にも、パールの魅力をもっと伝えていきたい」と強く思うようになりました。 

 そこで、若い世代にも受け入れられる、高価ではなくて身近で、「わぁ、パールって素敵!」と思ってもらえるパールの使い方ってなんだろう? と考えたんです。

  ウエディングパールシャワーなら本物の淡水真珠だし、安く提供できるし、ペンダントやイヤリングに加工できるから思い出にもなる。「じゃあこれをやろう」となったんです。

ーーウエディングパールシャワーの発祥はどこで、いつ頃なのでしょうか。



福島:それが、全然分からないんですよ。母に聞いたら「分かんない、忘れた」って(笑)。

 愛媛に、真珠組合に入っていた親戚がいるんです。その人に久しぶりに電話をして「リーズナブルな淡水真珠をください」と言ったら「ああ、パールシャワーやるの?」と。「なんでおじちゃん知っとるん?」って聞いたら「四国ではやるよ」と言われたんです。でも四国でやっているのは、売り物にならないようなパールをただまくだけだそうです。

 私がやっているのはネックレス用に組まれたパールを1度バラして1つずつ包んでいるので、パール自体がとても綺麗なんです。最終的には新婦やゲストの方に持ち帰っていただいて、アクセサリーにしていただける品質のもの。真珠専門店プロデュースのパールシャワーなので、品質には信頼していただけると自信を持っています。
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(ウエディンパールシャワーを結婚式の参加者へのプチギフトの形にしたもの。記念すべき日の思い出として、形に残るものは贈る側ももらう側も嬉しい)

ーー「福島真珠 Jouer de Bonheur」の仕事を始めるにあたって、不安や懸念点はありましたか。 



福島:「週末プチ起業」みたいな感じで、とにかく最初は「月2万円以内でできること」と決めていました。だから「失敗したらどうしよう」という不安はなかったです。飲み会や洋服、化粧品をちょっと我慢すれば、2万円なんてすぐ節約できますから。
 
 でも、「自分探しの延長で起業したと思われるのは嫌だな」という気持ちがありました(笑)。

ーー 片手間のようなものではなく、ある程度覚悟をされていたということでしょうか。


福島:本業である編集の仕事自体は好きだったので、そちらをおろそかにするつもりはありませんでした。

 ただ、「本業がうまくいかないから、“自分探し”的な意味で起業して、自分を満たそうとしているんじゃないよ」というアピールはしていました。面倒くさいですね(笑)。

後編はこちら


福島緑(ふくしま・みどり)さん プロフィール

大学院卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者へ。
2011年、編集者として働く傍ら、「福島真珠 Jouer de Bonheur」を立ち上げ、2013年に個人事業主として開業。ウエディングパールシャワーを手がける。

福島真珠 Jouer de Bonheur WEBサイト:


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