人生は決断の連続といいます。確かに、晩御飯に何を食べるかというどうでもいいことから、人生の岐路に立つ重大な事まで、生きている上で決断に迫られることは常にあります。晩御飯に何を食べるかを迷う程度なら問題ないかもしれません。しかし、逆に考えれば、その程度のことすら決断できない人間が、もっと大きなことについて決断することができるでしょうか?
「決断力がない人」はどんな考えに陥ってしまうために決断できないのか、それを考え、決断力がないという自覚がある人は自らのことを振り返ってみてください。
1. 決断を先延ばししようとする
決断力がない人が一番陥ってしまうのは、「今は決断しないでじっくり考えてから後で決断しよう」という考え方です。これは、熟考してからより良い決断を下すことになるからいいじゃないかと言う人もいるでしょう。しかし、大抵の場合は目の前の決断から逃げているだけであって、決断から逃避した人がいくら考えたところで、それは熟考ではなく迷いでしかありません。
いくら迷ったところで、決断しなければならない瞬間はいずれやってきます。逃げれば逃げるほど、それは追いすがってくるもの。であれば、そこから逃れる一番簡単な方法は何か?速やかに決断してしまうことです。
2. 決断を他者に任せようとする
決断力がない人は、自分がするべき決断も他人に任せようと考えがち。他人の意見を聞いたうえで自分で決断するならばまだ良いでしょう。しかし、他者に決断を任せるということは、その人に責任も押し付けるということになります。それで、人に任せた決断でよい結果が出れば、結果オーライかもしれませんが、悪い結果が出たらどうするのでしょう。その責任からも逃げるのでしょうか?
決断力がない人は、決断から生じる責任を自らが負うという覚悟がありません。責任を負うという覚悟がない人が、仕事であれプライベートであれ信頼を得られるでしょうか?決断から逃げて他人に任せるようなことを繰り返るのは、結局のところ自分への信頼を失墜させて自らを貶めているようなものなのです。
3. 何事も相対化して考えようとする
決断力がない人は、複数ある選択肢を相対化しようとします。つまり「どちらもいい部分があって、どちらがいいとは言い切れない」という思考に逃げます。しかし自分の中にきちんとした判断の基準があれば、そのようなことにはなりません。二兎を追うものは一兎をも得ず。自分の基準に照らした決断ができなければ、目の前にあるチャンスを棒に振ることにもなりかねません。
そうならないためにも、自分の中にきちんとした判断の基準を持つべきです。その基準とはどこから作られるかというと、知識と経験と情報です。複数ある選択肢の内容についてどれだけ知っているか、どれだけ情報を集めたか、その上で経験に照らしてどう判断するか。そういうことができない人が、選択肢の相対化に逃げてしまうのです。
決断力がない人は、常に逃げるための考えに陥ります。逃げるのが必ずしもいけないわけではありません。一歩引いた視点で物事を見直すため、反攻に転じる機会を覗うために逃げるのはありでしょう。しかし、そういう「上手な逃げ」ができるのは決断力がある人です。決断力がない人の逃げは、ただの逃亡であって、いつか行き詰ります。
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