多くの冠番組を持ち、 3月30日には40歳になることを記念して両国国技館にてお笑いLIVEも行うなど、より一層の活躍が期待されている千原ジュニア。今では、テレビで見ない日はないほどの押しも押されもせぬ売れっ子芸人だ。そんな彼も今年で40歳を迎える。
15歳からお笑いの道へ飛び込み、20代、30代と苦難の道のりを歩んできた彼から、「お笑い芸人」という生き方について伺った。今回は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーと連携し、「仕事×お笑い」というテーマのもと、20代・30代の生き方についてお伝えする。
バラエティ番組は共同作業
――今年3月30日で40歳になられるということで、「芸人 千原ジュニア」としてなにか変わってきたことはありますか?
千原ジュニア:そうですね。40歳を前にして急にってわけじゃないんですけど、20代の時と比べるとだいぶ変わってきてますね。20代の頃は、頑なに人と違うことや、誰もやっていないことをやろうと目指して必要以上に尖ってましたから。今とは全然違いますね。
――丸くなってきたのは、なにかキッカケがあったのでしょうか?
千原ジュニア:まず、お笑いの世界で若くして世間に注目されるというのは、自分のネタで注目されるということ。自分の代名詞となるようなネタをどう作るか、どうやってアピールするかということにずっと重きを置いてました。
ずっと一人で笑いを取ろうとしてきたんですけど、それが変わってくるんです。この歳になるとバラエティ番組は共同作業なんだということがわかってくる。皆が動いてくれると俺が笑いになるし、皆が違う人を動かす時には俺はこう立ち振る舞うとこの番組が盛り上がるなとか。本当、若い頃は共同作業でやるというところがわかりませんからねぇ。
きっと皆もそれぞれ、自分が一番という部分もあったやろうし。僕なんかそういう「自分が一番なんだ」という部分がかなり表に出ていたでしょうから。若い時は自分が面白くない、自分に不安があるなど、腕がないという自覚からそういう態度になっていたんでしょうね。「笑い」は一人で作り出すものやない、それがわかった今はすごく楽しいですね。
「実ってもないのに頭を垂れるな!」
――今の世間の20代・30代は、千原ジュニアさんの時代と比べて何か変わってきたなと感じられますか?
千原ジュニア:この間、そういった番組で自分と同世代の芸人さんの若い時の映像を見まして。当時は思ってませんでしたけど、今改めて見ると皆もれなく、ほんま人殺しのような顔をしていましたね(笑)そんな中で、「俺の方が」とか「あいつより」とかってやってたんやろなと思いつつ見ていました。
そう思うと今の芸人さんなんかは、すっごい柔和やし、すっごい礼儀正しいですね。僕が15歳でこの世界に入って、40歳までの25年間でやっと手に入れた丸みを2・3年目で皆持っているっていうのは、すごいなとも思うし、と同時にそれでいいのかなと思う部分もありますね。
――やはり、若い頃は尖っていたほうがいいと?
千原ジュニア:僕はだいぶ遠回りしましたけど、尖っていた時代や負けてたまるかって精神状態の時があって、今振り返ってみると結果的に良かったかなと思う部分もありますね。迎合しない姿勢や考え方でやってきたからこそ生まれたコントであったりだとか、お笑いのスタイルであったりだとかがあると思うので。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ってすげぇいい言葉やと思いますけど、それは我々のような年齢が上の人間に当てはまる言葉であって、「実ってもないのに頭を垂れるな!」という逆説でもあるのかなと。まだ実ってもいないのに、すげぇ頭を垂てはる人達がいっぱいいて、「いやいやいや。そんなことまだ後でもできんねんから。そんだけ頭垂れてたら、上に伸びるもんも伸びひんで。」と思う部分もありますからね。無鉄砲なヤツや、向こう見ずなヤツが現れた時に、皆「やられた!そんな手があったんか。」ってなるような気がして。
「面白いことと楽しいことは違う」と気付いた20代・30代
――千原ジュニアさんの20代・30代は、人生においてどういった役割がありましたか?
千原ジュニア:20代の頃は、置かれている状況に全然満足できずに、もがきながら笑いを作ってた感じですかね。結構な上下の振り幅がありましたね。20代前半は大阪で仕事をやらせてもらって、毎日テレビに出させてもらって、お客さんも若いから「キャー、キャー」言われて。今ほど大阪と東京の距離が近くなかったんで、正直その頃大阪ではテレビに出てるから道を歩かれへんという状況で、でも東京来たら誰も知らないみたいな。そんな国内時差がありました(笑)
東京に出てきてから仕事がなくなり、なかなかしんどい時代もありました。いろんなことをやらせてもらえるようになってきて、本当毎日が楽しくなったというのが30代ですね。
――やはり、20代でやってきたことが30代で実り、仕事が楽しくなってきたんでしょうか?
千原ジュニア:そうですね。あと、多少の自信というものができたんでしょう。若い時は自分に自信がないというか、腕がないことを認められないほどの腕のなさなので、目を尖らせてガッチガチにガードしてる感じですね。30代になるとだんだん余裕も出てきて、肩の力も抜いてノーガードという感じですね。
――20代・30代の中で、一番大きな分かれ道だったなと思うことはありますか。
千原ジュニア:26歳から27歳の間を、僕は誕生日を意識の無い中で迎えているんです。バイクで事故を起こしてしまって。その事故で、生きたか死んだかギリギリどっちかというところだったんで、そこが一番大きな転機ですかね。そこで生きていたことも分かれ道ですし、その後いろいろ感じたことが大きいですかね。めちゃくちゃしんどかったですけど、その事故もあってよかったのかなと思います。まだいろいろ後遺症もありますが、今となってはそう思いますね。
――事故で変化したことは色々あると思いますが、一番大きな精神的な変化は何でしょうか。
千原ジュニア:なんて言うんでしょうね。半年くらい、飯食われなかったんですよ、そうするとこれまでは当たり前にできたことに対する認識が変わると言いますか。単純に、「立てる」とか、「歩ける」とか、「ごはん食べれる」とか、それができることに感動しました。そうなってくると、ボケれる喜びというか、笑いを作れる喜びというか。舞台に立てる、テレビに出れる喜びみたいなものがあったりだとか。若い時なんかは尖ってるし、めちゃくちゃ尖ってたから、そんなこと思ったことはもちろんなくて。
こっちの世界のことだけで言うと、「面白いことと、楽しいことは全然違うねん。」みたいな風に思ってて、「面白いことをしたいねん。楽しいことするためにこの世界に入ったんちゃうねん。」みたいなことがどこかで凝り固まったというか、嫌な部分があったりしたんですけど。「楽しい中に、面白いことがあるねんな」っていう、極々当たり前なことに気が付きましたね。
鼻息荒い人には面白みを感じない。
――ちょっと時をさかのぼって、元々引きこもりだった千原ジュニアさんが一歩踏み出せたのはなぜですか?
千原ジュニア:僕は意外と人に背中を押してきてもらっていて、全部誰かに誘導されて踏み出してることがすごく多いですね。僕は、お笑いが好きで、昔から面白くて、「いつか芸人になるんだ。」って言って吉本に入ったわけじゃなくて。そもそも、せいじが「相方いいひんから、お前学校も行ってへんかったらこい」って頼まれるまま入ったんですね。
他にも、「14歳」っていう小説を書いたんですけど、それも会社と出版社が勝手に決めて、「〆切いついつやから、書け」って無理やり書かされたんですよ。それが22歳くらいの時でしたね。これも、僕からペンを持ったわけではなく、無理やり持たされたということやったりとか(笑)
当時は大阪で一番になったら東京行きの切符を渡されるみたいな時代やったんですね。大阪で人気になって、「じゃあ東京進出だ」ってのも、もちろん会社が決めた事で。「東京行け」言われて来たわけやし。今度やる40歳のライブっていうのも、5年前にそれこそ佐藤(よしもと社員)が来て、「最初は会場を決めずに先に5年間チケットを売り続けて、それにあった会場でライブをやるっていうことが可能なんですけどやりませんか。」みたいなことで。じゃあ、いいよってことで乗っかっただけなんで。なんか、要所々々でおっきいことっていうのは誘導されているような気がして。だから、今の若い子が自分からやってないとは、僕も言えないですね。
――今があるのは、目の前にあるものを全力でやって来たからだと。
千原ジュニア:そうですね。それで、意外と芸人ってそれが多いんですよね。ネタを作ってるとか、コンビで笑いのイニシアチブを取ってる方が誘われて入ったとか。「偶然始まってしまったからやろうか。」みたいなパターンが多いですね。多分、笑いの根底には「なんとかせなしゃーない」からやった部分があるのかもわからないですね。あんまり鼻息荒くて「俺、やりますよ。頑張りますよ。」って言われた人、あんまり面白み感じないですよね。
ビジネスパーソンとして見た、千原ジュニアとは
――ここからは20代・30代の決断ということで話を戻して、人生で一番大きかったバイク事故という壁を乗り越えられたのはなぜなのでしょうか?
千原ジュニア:それはやっぱり芸人仲間ですね。芸人仲間というか先輩・後輩が、特に理由もなく毎日引っ切りなしにお見舞いに来てくれて。そこでただただバカ話をして、帰っていくっていう姿を見て、俺もやっぱりその環の中にもう一回入りたいなと思ったし。多分、あそこで誰もお見舞いに来てくれないってことになってたら、僕はこの世界にはいないと思いますね。
――普段、決断をする時になにか軸にしているものはありますか?
千原ジュニア:みんなそう言いはるんでしょうけど、自分の若い時とか思い出してみても、しんどい時が上り坂みたいなところがありますね。選択肢が目の前に2つあったら、やっぱしんどい方を選ぶのが最短の近道というか、面白いのかなって思いますね。
――千原ジュニアさんが考える、稼いでいく力とは何でしょうか?
千原ジュニア:やっぱり何の職業でも、結局は人間性でしょうね。特に、我々はそうですけどね。やっぱりその人間性がすごく外に出るから。人気があって、すごく稼いでいて、悪い人っていうのは芸人には1人もいないですね。
――ビジネスパーソンに向けてということで、千原ジュニアさんにとって「芸人」という職業・生き方は、どういった役割なんでしょうか?
千原ジュニア:役割なんか持ってないでしょ、芸人。いらないですもんね、芸人なんて。でも、そんないらないものをやらしてもらえているということを感じてやるしか無いでしょうね。そりゃあ、農家だ、漁師さんだ、建築家だ、お医者さんだ、全てもちろん必要ですし、素晴らしい仕事やと思うし。そうなってくると、芸人なんて本来いらないんですよね。
――「芸人」ではなく、「お笑い」ではどうでしょう?
千原ジュニア:「笑い」って、皆作れますからね。料理人にしか作られへん料理もあるし、音楽家にしか出されへん音色があってね。でも、笑いを生み出したことがない人はいないですからね。皆できることですから。だから、そんなたいそうなことじゃないというか。誰でもできることをやらせてもらって、お金を頂いているということに、本当感謝ですね。
――数多くいる芸人の中で、どういった存在になっていきたいですか?
千原ジュニア:芸人もほんと高齢化していて、例えばひな壇といわれるところに座っているのがほとんど40代だったりとか。昔だったら考えられないと思いますけどね。芸人も高齢化してますが、ここから若い子も出てくることはあるでしょう。
今までは番組で絡むのはほとんどが年上でしたけど、ここからはだんだん年下の人とも仕事をしていくことにもなるでしょうし。そういった意味じゃ、いろんな人と作っていける存在になりたいなと思います。お笑いは共同作業ですからね。
――40歳を迎えることを記念して行われるライブイベント「2014 千原ジュニア40歳LIVE『千原ジュニア×□□□□』」はどういったものでしょう?
千原ジュニア:なかなか楽しくて、非常に豪華なお祭りになるので、貴重な休日に損をさせない内容かと思います。是非、お越しいただけたら、非常満足して帰っていただけると思います。
――今回のインタビューはこちらで以上です。ありがとうございました。
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