みなさんは、カルロス・ゴーンという人物を知っているだろうか。しばしば、役員報酬が10億ということで年収の高すぎる社長として有名かもしれない。カルロス・ゴーンは、日産の業績をV字回復させた人物である。カルロス・ゴーンが就任する前の日産は、約2兆円あまりの有利子債務を抱えていた状態だった。しかし、そこにカルロス・ゴーンが加入し、驚異的な経営術で日産を見事に復活させた。
今回は、いかにしてカルロス・ゴーンが日産をどん底の状態から復活させたのかを考察していく。カルロス・ゴーンは一体、どんな経営を行ったのだろうか?
当時、2億円の有利子負債を抱え、経営危機を迎えた日産は倒産寸前の状態だった。そこで日産は、1999年3月にフランスの自動車メーカーであるルノーと資本提携を結び、ルノー傘下として経営の立て直しを図ることになった。
当時ルノーの副社長であったカルロス・ゴーンが日産との業務提携によって最高経営責任者に就任したのであった。
カルロス・ゴーンの進退をかけた「日産リバイバルプラン
出典:www.nissan.co.jp 1999年の10月に日産の代表に就任したカルロス・ゴーンは、「日産リバイバルプラン」を発表した。その「日産リバイバルプラン」は大きく3つの目標から成り立っていた。
1. 利益ある成長
2. 3年間で20%のコスト削減
3. 最適生産効率/最適コストの達成
この目標を達成するために、カルロス・ゴーンは3つの取り組みを行った。1つ目の取り組みが、新商品の投入やブランドアイデンティティの確立である。他にも、部品や素材の集中購買、サプライヤー数の削減、ユニット生産能力の適正化を行ったのである。
具体的に、国内の車両組立工場3ヶ所及びユニット工場2ヶ所を閉鎖し、国内の生産能力を従来の240万台から165万台へと減少させることで生産能力の適正化を図った。また、コスト削減のために、世界でグループ人員を21000人削減したり、購買コスト削減のために下請企業の数を約半分に減らしたりしていた。
このリバイバルプランで、カルロス・ゴーンが一番大切にしていたのは、「コミットメント」である。 『この目標を達成できなければ辞任する』とカルロス・ゴーンが言ったのである。それに触発されて社内は必死に働いた。そうしたこともあり、予定よりも1年早い2003年までに2兆円あまりもの借金を完済することに成功した。またカルロス・ゴーンは、リバイバルプランで重要だったことをこのように語っている。
目標をとにかく数値化した「日産180」
カルロス・ゴーンは、日産リバイバルプラン」を予定よりも早く達成することができたので、2002年の4月から新たな中期計画「日産180」を打ち立てた。この「日産180」というシンプルな言葉に日産の3年間の具体的な行動を言い表した。
「日産180」
1・・・3年間での販売台数をグローバルで100万台増やす
8・・・8%の連結売上高営業利益率の達成
0・・・負債をゼロにする
この計画で大切にしていたことは数字である。とにかくカルロス・ゴーンは目標を数値化して分かりやすくしたのである。また、そうすることで現状がどうなのかということも把握しやすくなった。とにかく今回の目標では数字を大事にしていたのだ。
「日産180」は180度ということも意味していたそうだ。この10年間でとにかく売り上げが落ち、収益性も下がっていて、負債も膨大な額に膨れ上がってきていた。それが、2000年以降10年間は、それを180度変化させて、とにかく収益を上げ、健全な財務状況、つまり負債ゼロの状況をつくり出すということも、意味に含まれていたようだ。カルロス・ゴーンは、日産での改革について下記のように語っている。
このような2つの取り組みを行い、カルロス・ゴーンは日産を奇跡の復活に導いた。この2つの取り組みで重要だったことは、「コミットメント」と「数字」だ。達成できなければクビというくらい目標にコミットメントし、数字を出すことによって目標をシンプルにし、評価しやすくしたのである。ぜひ、このカルロス・ゴーンの取り組みを参考にして、プロジェクトを成功に導いてもらいたいと思う。
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