働き方の多様化が広がり、転職が珍しくなくなっている時代とはいっても、新しい環境や仕事に飛び込むのは勇気がいること。実際にキャリアチェンジをした経験者たちは、転身するにあたってどのように決断したのでしょうか?
ニットブランド「Mebuki」の亀田修哉さん(21歳)は、以前からやりたかったデザイナーの道を歩むために約3年務めた会社を退職。今年2月、同じ群馬県出身の小田幸村さん(22歳)と一緒にブランドを立ち上げました。
会社員からデザイナーに転身した決断の裏にはどのような想いがあったのか?どのような未来を思い描いてキャリアチェンジしたのか?亀田さんに取材しました。
ニット産業を後世につなぐ「Mebuki」
亀田さんは群馬県邑楽町(おうらまち)出身、1999年7月生まれ。高校卒業後、大手電機会社に就職しましたが、本気でデザイナーの道を歩むために退職しました。
当初は、同県太田市出身の小田さんとTシャツブランドの立ち上げを計画していましたが、太田市のニット産業が衰退の一途をたどっていることを知り、「衰退している太田のニット産業を、若い自分たちが救えないか…」と考え、ニットブランドの立ち上げを決意。
4月29日(木)から5月31日(月)まで、太田市で衣類・生活雑貨の企画・生産・卸業を営む株式会社マウンテンディアー、ニット製造を手掛ける株式会社イノウエと共に、太田市のニット産業を後世につなぐニットブランド「Mebuki」のクラウドファンディングプロジェクトを実施しています。
環境に優しいサスティナブルな製法
「Mebuki」のアイテムの特徴は、一着まるごと編み上げるホールガーメント製法による、美しいシルエットと快適な着心地。
従来のニットウェアはパーツを縫い合わせる製法のため30%ほどの端材が発生し処分されていますが、同製法はカットロスがないため環境に優しく、サスティナブルな製法とも言えるそう。
現在、クラウドファンディング・CAMPFIREにて、前後どちらでも着られるように首元のデザインにこだわった夏でも涼しい「2WAY HENRY NECK」と、シルエットの変化やコーディネートを楽しめるオールシーズン着用可能な「SEE THROUGH VEST」をリターンとして提供しています。
「後悔したくない」とデザイナーに転身
大手電機会社で会社員として働いていた亀田さんは、なぜデザイナーに転身し、ニットブランドを立ち上げることを決断したのでしょうか。
-----以前は会社員だったそうですが、もともとどのようなキャリアを思い描いていたのですか?
亀田さん:高校生の頃からInstagramで自分のコーディネートを発信するなどファッションに興味があったので、将来は専門学校で学んで洋服関係の仕事をしたいと思っていました。
しかし、それは現実的ではないかもしれないと考え、いったん大手電機会社に就職する道を選びました。
-----会社員からデザイナーへ、キャリアチェンジを決断した経緯を教えてください。
亀田さん:決断したのは、今年の3月です。
昨年12月頃から、Instagram経由で知り合った小田さんと一緒に、ブランドの立ち上げにむけて活動をスタート。
群馬県太田市のニット産業に興味を持ち、店舗で実物を見たり、企業に話を聞いたりしていたところ、株式会社マウンテンディアーのオーナーから「一緒にプロジェクトをやろう」と声をかけていただきました。
昔から洋服関係の仕事をしたいと思っていた僕にとって、またとないお話だったので、「会社員を続けるのも1つの選択肢だけど、自分がもともとやりたかったことに挑戦したい。」「自分の”挑戦したい”という気持ちが薄れる前に行動に移したい。後悔したくない。」と思い、転身を決断しました。
これまで自分が積み重ねてきたInstagramの発信スキルを上手く使って、自分たちのブランドを発信していくことで、地元を盛り上げていきたいと思っています。
10年後・20年後を考えて決断
-----会社を辞める決断をするにあたって、どうやって気持ちを奮い立たせましたか?
亀田さん:一緒にブランドを立ち上げた小田さんは、当時からフリーランスとして活動していたのですが、会社員の自分とは違って、幅広い人脈やスキルを持っていました。
小田さんと自分の人脈・スキルを比較し、「10年後、20年後、自分は会社関係の人脈やスキルしかなくて大丈夫なのか?」「もし、いつか会社を辞めることになったら、自分には何が残るのか」と考え、自分だけの強みを持っておいたほうが良いのではないかと思い決断しました。
産業の灯りが消えてしまう前に
-----ニットブランド「Mebuki」プロジェクトを立ち上げたきっかけは?
亀田さん:かつて群馬県太田市はニット産業が盛んで、工場に勤める人はもちろん、内職も含めると相当な数の人々がニットづくりに携わっており、地域経済をリードする一大産業となっていました。
しかし、安い海外産のニットの登場によりニット産業は徐々に衰退し、現在は10社を切る程度になっています。
その現状を目の当たりにし、「いったん消えてしまった灯りを再びつけるのは難しい。ニット産業の灯りが消えてしまう前に、自分たちが先頭に立ってニット産業をひっぱっていけたら嬉しい」と思い、プロジェクトを立ち上げました。
-----「Mebuku」というブランド名の由来は?
亀田さん:植物の“芽吹き”です。
ブランドのテーマは”自由な発想”。光を求めて自由に芽吹く草花。「服を通じて、芽のような自由さを手に入れてほしい」という想いを込めています。
工場に何十回も通い、試行錯誤を繰り返す
-----デザイナーを志してからこれまでに、どのような困難がありましたか?
亀田さん:デザイナーとはいっても初心者だったので、つくりたいデザインがあってもなかなか上手くいかず、納得のいくデザインをつくり出すのが大変でした。
-----それを乗り越えるために、どのような工夫をしましたか?
亀田さん:頭の中で考えるだけではなく、工場に何十回も通って打ち合わせを行うなど実際に足を動かして試行錯誤を繰り返し、デザインを完成させました。
最終目標は“地域に還元できるブランド”
-----今後のビジョンを聞かせてください。
亀田さん:Mebukiを通して、群馬県太田市のニット産業を日本全国や海外に知ってもらいたいと思っています。
最終目標は、地元に還元できるブランドになること。
自分たちが率先して活動することで、ニット産業だけでなく太田市自体にも注目してもらい、それにより他の産業の活性化にもつなげていきたいです。
-----亀田さんがこれまでを振り返って、「これはやって良かった」「おすすめしたい」と思うことは何ですか?
亀田さん:大切にしているのは、情報共有・見える化・PDCAサイクル(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善)の3つです。この3つを意識して実行することが、好循環につながるのではないでしょうか。
例えば、現在のプロジェクトでいうと、情報共有では、一緒に活動している小田さんと、互いの持っている情報や想いを素直に伝えあうことを心がけています。
見える化のために行っているのは、事務所のボードに目標や予定を書いて周りの人に見せること。これにより、自分の意識を底上げできます。
PDCAサイクルについては、計画・実行・評価・改善を繰り返すことで、ブランドを少しずつ成長させていくことができていると思います。
亀田さんは今後、デザイナーだけでなく、カメラマンや、動画や映像の制作・編集などを手掛けるビデオグラファーとしても活動していきたいと考えているそうです。
自分のこれからのキャリアや方向性に迷っている人は、「10年後、20年後の自分を想像し、後悔しないための選択をする」「自分の”やりたい”という気持ちが薄れてしまう前に行動に移す」という亀田さんのキャリア選択における考え方を参考にしてみてはいかがでしょうか。
出典元:CAMPFIRE/夏はTシャツだけじゃない】世界に誇る技術と伝統、常識を変えるニットブランド誕生
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