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Oracle創業者ラリー・エリソン「壮絶な幼少期」と「常識を疑うこと」若き起業家たちへのアドバイス

森澤

2018/07/03(最終更新日:2018/07/03)


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 ラリー・エリソン氏は言わずと知れた大企業、Oracle社の創業者だ。現在の輝かしいキャリアの裏腹に、彼は壮絶な過去を持つ。

 19歳の母親の元に生まれた彼は、生後9ヵ月で母親に手放され、叔父と叔母に育てられる。決して裕福とは言えない叔父叔母の家庭で、彼は自分が養子であることを悟ることなく、成長したのだ。

 2018年、ラリー・エリソン氏の純資産は世界10位。幼少期の貧困生活から、Oracle社を創業し、彼は世界の億万長者たちと肩を並べたのだ。

 本稿では、そんなエリソン氏の「幼少期」と「Oracle社創業のきっかけ」、「未来の起業家へのアドバイス」、そして「アメリカン・ドリーム」についてお送りする。

 なお映像は、成功者たちのビジネスアイデアを届けるCorporate Valley社による提供。

Q:幼少期について教えてください

ラリー・エリソン氏:私はニューヨークで生まれた。当時19歳だった未婚の母親は、私を育てようと9ヵ月の間奮闘したものの、挫折してしまう。それからは、シカゴ南部在住の母方の叔父と叔母に育てられるようになった。

生後9ヵ月マンハッタンのロウア―・イースト・サイドからさらに劣悪なシカゴ南部に引っ越した私は、その後治安について文句を一切言わないようになる。

12歳になるまで自分が養子であることにまったく気がつかなかった。故に養子であることが、私の性格に影響を与えていない。けど、養父との関係性が与えた影響はかなり色濃い。

養父はロシア出身の移民で、渡米当時はかなり貧しかった。移民として最大級の愛国心と政府への敬意を持っていて、第二次世界大戦では爆撃機のパイロットを務める。国や政府の方針を疑う気持ちは皆無で、私にも同じであるように求めた。

同様に、小さいころ、私は教師の言葉に対して疑問を持ったことがあった。しかし質問に応じてくれず、ただ復唱を要求されたのだ。彼らは子供との議論や談話にはまったく応じなかった。

「これが正しい」と提示し、復唱さえできれば、「この子は賢い」というのが彼らの教育スタイル。それに対して、私は疑念を抱かずにいられなかった。

家でも、学校でも「権威」盲信する人がいて、それに対して反感を抱いていたため、私は最高の反面教師と一緒に過ごすことができたんだ。

Q:若いうちに培った価値観を教えてください

ラリー・エリソン氏:多くの子供は、論理性を求めていると思う。教師を満足させる過程において、それは我々から失われてしまう。

人生には2つの原動力があると思っている。1つ目は、愛され、人に仕えたいという欲求だ。その反面、我々には思考し、論理的に考える力がある。多くの場合、これらは調和しない。

「正しい」と信じるように強要されるためだ。髪型をある一定の長さにしろと命じられたり、服装も決められたりする。ただ家族や仲間に愛されたいなら、不和は生じないはずだ。

しかし、ほとんどの場合、我々はただ「風潮」に従っているだけ。愛されたいが故に、我々はグループが自分に求めていることを察し、準拠してしまう。

しかし、我々の中にはもう1つの原動力があるのだ。それこそが、「なにが成功し、なにが失敗するのか」や「公平性」、「なにが正しく、なにが間違えているか」を判断するための思考能力である。愛されるための「風潮」と論理的思考能力が衝突したとき、大体の場合、愛が勝ってしまう。私の場合はそうはならなかったけどね。

Q:今のキャリアのきっかけはなんでしょうか?

ラリー・エリソン氏:大学生のとき、プログラミングのアルバイトをしていたんだ。シカゴ大学に10年勤務している教授と比べて、プログラミングしている方が短期間でより高収入を得られることを知った。当時ティーンエイジャーだった私は、素直に感心したよ。

プログラミングはパズルのようなもので、とても楽しかった。給料がかなりいいのに加えて、好きな時間に、好きな場所で働けたのだ。コンピューターは論理性の塊だから、私との相性は抜群だった。給料が良くて、至極クリエイティブな作業さ。

アルバイトを得たのは、大学でのことだった。プログラミングの授業で、私が周りよりも早く終わらせていたことから、仕事のオファーをいただいたのだ。

時給よりも、プログラム自体の報酬としてお金をもらった方が断然に嬉しい。これはかなり早い段階で気がついたことだよ。

大学で働いたのち、地元企業向けにプログラミング事業をはじめたら、大成功だった。

Q:リレーショナルデータベース管理システム事業に参入したきっかけはなんですか?

リレーショナルデータベース管理システム(以下RDBMS)を発案したのはIBM社のエドガー・コッド氏。関係代数と関係論理を基礎としている。RDBMSは数学的に証明できる完成された管理システムで、70年代に論文が発表されたのだ。

その論文を基に、当時4人のOracleで競合相手のIBMに勝ることができるか挑む。実際、勝つことができたのだ。

市場で競争して、勝つことこそが私の使命である。我々は競争相手との比較を記載した広告を打ち出すけど、嘘は一切ない。単に、「我々にはできて、彼らにはできない」というだけなのさ。

事実に基づいた広告だからこそ、「我々なら競合他社よりも早く、正確にできる」ということを明記している。実際のデータがあるのにもかかわらず、「無礼だ。失礼だ」と批判されることがあるけどね。


Q:あなたはどのような経営者ですか?

ラリー・エリソン氏:数々の転職者は、より賢く、学び多い職場と、興味深い事業内容を求めている。Oracleではかなりのいい収入を望むことができるよ。シリコンバレーで最高収入を自負している。

労働の報酬として、かなり魅力的な見返りを提示するが、それをボランティア活動と勘違いしないでほしい。それは、我々が従業員を手放したくないためにしていることにすぎないから。

従業員、そして私の仕事は、市場競争にさらに良いプロダクトを投入し、販売し、いずれはMicrosoftが誇る「市場No.1」の地位をいただくことだ。それこそが我々の存在理由なのだよ。

Q:あなたのキャリアで最も辛かったことは?

爆発的に収益が何十億ドルにも上がり、社内で深刻な管理問題が発生していた。数十億ドル規模になったOracleの管理体制は、15,000,000ドル規模のときと一緒だったのだ。

Oracleを一緒に成長させてきた人々には、深い愛情を持っていた。だからこそ1990年に、今までのマネジメントチームを一新しなければならないと気がついたときは、かなり心が痛んだ。15,00万ドル規模の会社運営と、数十億ドル規模では、まったく違うスキルが求められる。どちらも稀有で、重宝に値するスキルだから、良し悪しはないよ。

我々はマネジメントチームを完全に一新しなければいけない時期が差し迫っていた。それはつまり、十年一緒に頑張ってきた仲間たちを解雇しなければならないことを意味する。これが私のキャリア史上一番辛かったことだ。

Q:未来の起業家へどのようなアドバイスをしますか?

ラリー・エリソン氏:自分自身の答えを導き出そう。従来の考え方やファッション、身の振り方を甘受してはならない。モラルでさえも、「風潮」に基づくことがある。

奴隷制度でさえ当時は不道徳的ではなかったのだ。古代ギリシア時代では奴隷制度が当然であったこと、130年~140年前にはアメリカにさえ奴隷制度があったことを知ると多くの人は衝撃を受ける。

だからこそ、科学の基礎にしろ、道徳的規範にしろ、ビジネスアイデアや商品アイデアにしろ、自分自身で考え抜かなければならない。

あなたにとってアメリカン・ドリームとは?

この国が与えているチャンスは無限大だ。熱心さと少しばかりの利口さを持つ人であればどんな人でも、なんだって実現できる。「不可能がないこと」こそがアメリカン・ドリーム。

移民としてこの国に来ても、一世代で桁違いの業績を残せる。完璧な国ではないが、他国と比べてみても、信じられないくらいすばらしい国だ。チャンスは無限に存在している。

かなりの努力が必要だし、運だって必要だ。それでもなお、アメリカで不可能はない。


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