1. 【書き起こし】スターウォーズの監督ジョージ・ルーカス「当時映画について何も知らなかった」(後編)

【書き起こし】スターウォーズの監督ジョージ・ルーカス「当時映画について何も知らなかった」(後編)

by raytwist35

 前編で巨匠、ジョージ・ルーカス氏は「人生の転機」「生徒の頃の自身」について語った。

 驚くべきことに、彼はもともと車やレースに興味があり、映画監督になる将来についてはまったく考えていなかったのだ。

 様々な道のりを経て、映画監督を目指すことにした彼は、次にどのようなことを語るのだろうか。

 後編では「映画監督になってからの自分」「名作『スターウォーズ』の誕生背景/秘められたメッセージ」「情熱に従うこと」「真の幸福せ」についてが語られる。

「自分の情熱に従うのであれば、金持ちになる必要はない」

※映像はCorporate Valley社による提供

僕はスタジオのセットについた――当時僕は23歳で、フランシス・コッポラは28歳。彼も長髪、ひげ面で、僕たちは映画学科の生徒のようだった。 

その製作に関わっている人はほとんど60歳くらいだったから、僕たちはすぐに打ち解けて、友人になる。

僕は「この映画はつまらないし、作業も終わったからアニメーション部門の方に行って自分の映画を作るよ」と言うと彼は、「待て待て。何か作業をあげるから。君は僕のアシスタントとしてこれをしなさい」と言う。

これが僕と彼の友人関係の始まり。

フランシス・コッポラとの友人関係

『フィニアンの虹(コッポラの監督作)』を終えた後、僕たちは同じ考えを持ってた。「僕はハリウッドが好きじゃない」と彼が言い、「ハリウッドにとどまるつもりはないよ。僕はサンフランシスコへ行く」と僕は言う。

そこで彼は「僕は12人のキャストとともに路上に出て、その道のりで小規模な芸術映画を撮るよ。君もついて来てくれたら、脚本を書くチャンスをあげる」と提案された。

これは今君らが実際にいる立場の一部、「搾取される」とも言うね(笑)。

(会場笑)

約束通り、フランシスは$100,000の報酬でワーナー社で脚本を書く契約を取ってくれた。しかし、その契約によると脚本と同時に全員の製作アシスタントをしなければならなくて、それの報酬はなし。

実際には$100,000はその製作アシスタントのためのもので、脚本は朝3時から6時の間に書かなければならない。しかし当時の僕は子どもで、面白そうなことだったらなんでも挑戦した。

起業から破産

それを終えたのち、サンフランシスコに帰ってくる。「僕たちは自分のスタジオをここで作るんだ。僕たちならどこでも映画は作れるけど、僕らはサンフランシスコで映画を作る」と決意。

誰もが「サンフランシスコでは映画を作れるはずがない。映画を作るには、ハリウッド以外ないに決まっている」と言う。

それに対して、僕らは「ハリウッドなんかでは映画を作らない。そもそも好きじゃないから」と反論する。

僕たちはアメリカン・ゾエトロープ社を起業し、南カリフォルニアやカリフォルニア大学から映像生を集めて、ワーナー社から融資してもらった。

そこで、僕が作りたかったアヴァンギャルドで未来的な映画は『THX 1138(1971)』。

ワーナー社からは単純に「映画を作れ」と言われていたから、「こんなチャンスは少なくともスタジオでは2度とない。興行収入が期待できるような映画ではないから」と思った。

だから、どちらにせよ決行。結果、会社は破産。

(会場笑)

その後、僕たちはワーナー社に$300,000の借金を持ち、フランシスは「どうしよう。どうすればいいんだ」ってな具合だった。僕は「この借金を払い返さないとマズイね」と答える。

僕は、会社を破産させるほど最悪の映画を作ってしまったんだから、映画業界で仕事を得られるわけがなかった。カルト映画的には名作だけどね。それだけは言わせてもらおう。

60年代ではとても盛んだった。LSDを服用したやつらがこういう変な映画を観て、砂漠にさまよい新たな人生を探すからね。今もほとんど同じだけど、60年代の時の方がすごかった。かなり小規模なスケールで。

(会場笑)

初の成功は『アメリカン・グラフィティ(1973)』

そこで、フランシスは「どうしようか」と言い、「まぁ僕はドキュメンタリーカメラマンに戻ろうかな」と僕。そしたら彼から「コメディーの脚本を書けば? サイエンスフィクションやカルト映画、抽象的な映画にこだわっているけど、君はおもしろいんだからさ。コメディーをやればいいのに」と言われる。

僕は「やれるとも」答える。「できるに決まっているさ」と彼。僕も「僕ならできる」と言う。

「そうすればいいじゃないか。僕はある仕事を引き受けなければならないんだ。その仕事ってのは金もうけ目的のマフィア小説(ゴッドファーザー)をベストセラー映画にすること。

それが唯一報酬のいい仕事だった。小説は好きなんだけど、イタリア人の話なんだよ。スパゲッティとかを料理しているシーンならいいんだけど」とフランシス。

(会場笑)

そこでそれぞれの道を歩むために解散し、僕は自分の高校生活の思い出についての脚本を書いた――宿題をやるべき時間に車で市街を回ったりレースをしたりして、女の子をナンパしていた時代。

今こそこれを描くチャンスが来て、過去にそのようにした理由ができたよ。僕はその分野を学問的に研究したのだから。

そこでできたのが『アメリカン・グラフィティ(1973)』。

この作品には文化人類学的な観点も盛り込んでいた。

と言うのも、アメリカで独特な配偶行動(男女が性行為にいたるまでの行動)に興味があったんだ。他の国々では、広場やベンチのあるとこで、男女がイチャイチャし始めたりして配偶行動が始まる。

だがアメリカでは、車なんだ。「なんで未成年が車を買うお金を持っているんだ」と誰も考えたことがなかった。

結果的に僕は『アメリカン・グラフィティ』を作り、フランシスはヒット作『ゴッドファーザー(1972)』を撮る。

『アメリカン・グラフィティ』は製作が始まるまで何年もかかって、撮ってくれるかもしれないスタジオをやっとの思いで見つけることに。

とてつもなく低予算だったけどね。そのスタジオは「誰か有名な監督の名前を載せられるなら作るけど」と言う。僕は「スターとかを呼べるわけないしな」となっていて、彼らは「誰でもいいよ」と言っていた。

そこで、『ゴッドファーザー』の公開がちょうど始まったとこだったから、急いでフランシスに「君の名前をこの映画に載せて、作らせてくれない?」と頼む。彼はすぐ「うん」と。

やっとの思いでこの映画が完成した時、スタジオから「観客に見せるには適していないから、映画館で公開はしない。もしかしたら、テレビ映画にするかもだけど」と告げられる。

たくさんの努力で、多くの関係者に映画を観てもらって認められ、スタジオはやっと公開することにしてくれた。

当時『アメリカン・グラフィティ』は、興行的に最も成功を収めた映画。$700,000以下で作られて$100,000,000以上の興行収入を得たわけだから。

それからが僕のキャリアのスタートさ。

名作『スターウォーズ』の誕生経由

次は『スターウォーズ』の製作。

その時僕は、子どもに影響を及ぼす映画製作に興味があったんだ。『アメリカン・グラフィティ』は子どもたちに影響を与えたからね。

神話などの勉強をして、現代神話を作ることをした。神話と言うのは社会にある、基本的なものを教える。

神話は社会を1つに――自分は誰で、社会は何で、神は誰か、価値観は何か――をつなぐために存在するんだ。元来、神話や民話はそういうことをしていた。

最後にそれを合衆国に伝えた神話/民話は西部劇。でももうなかったため、自分でそのようなのを作ろうと思う。その思いを基に製作を始めた。

『スターウォーズ』は神話の裏に描かれた、心理学的な主題を基にしている。

いまだにそれが神話として作用できるか、に興味があったんだ。結果、作用していた。

みんなは「宇宙船の話だろ? 宇宙船の映画は大体において失敗するぞ」と言ってたがね。

(会場笑)

『スターウォーズ』の製作は、ガイド付きのツアーみたいなもんだった。情熱や自分が愛していることに従ったからね。僕は芸術や絵画、写真が大好きだった。ものづくり、社会学、文化人類学が大好きだったのだ。

人々に「どうしてここまで来れたのですか?」と尋ねられて、僕は「美術学校に行って、アニメーションに専攻していたら、僕はここにはいないだろう。

仮に僕が社会学を学ぶためにサンフランシス州立大学に行っていたら、ニューギニア島へ行きドキュメンタリーを作っていたろうが、僕はここにいないだろう」と答える。

それは、僕の頭の中にいる導き手は――これは楽しそうだなと――まだいたから。僕が長編映画を製作することになることなんて、昔は思ってもいなかった。

成功した時でさえも、僕はサンフランシスコへ引っ越し、大きな会社を起業。僕はハリウッドのビジネスが猛烈に嫌いで、避けていた。

そして僕は、絶対にすべきではないことをまたもやすることになる――「映画に投資をすること」そんなことをするなら、ラスベガスに行った方がいいと言われている。

(会場笑)

しかし『スターウォーズ』が成功して、選択肢が迫った時、僕は「続編を作る」と決意し、続編に投資。銀行やらからお金を借り、僕が持つすべてを賭けたものの、予算オーバーしてもう少しで全てを失うとこだった。それでも、僕はやめなかったのだ。

そこまでする理由は、映画スタジオの指示に従いたくなかったから。スタジオのやつらが来て、僕の作品に口出しをして、彼らのアイデアを僕の作品に入れてほしくなかったんだ。

最初2つの映画ではそれが起きた。そこで僕は『スターウォーズ』の成功の後、『THX 1138』と『アメリカン・グラフィティ』に戻って――スタジオのやつらが、5分ほど削ったもんだから――彼らにそれを戻させた。

VHSができて、今は全バージョンがオリジナル通りだよ。



情熱と愛情

だから、自分が将来することについて偏見を持たず広い視野を持ち、自分の愛情や情熱に従えば、それをいくら馬鹿げたことだと――「その方面で仕事が得られるはずがない、その分野に行きたくない」――考えているにしても、成功する。

父親は雑貨店をやっていたんだが、僕にそこで働いてほしかったんだ。僕は彼に「絶対にそんなことはしない。確かなことを1つ言おう、僕は会社を絶対に経営しない。一生な。僕は映画監督で、クリエィティブな人間なんだ」と言い放ったことがある。

(会場笑)

ルーカスフィルム社の起業背景

たくさんの道を進み、自分のヴィジョンを自分でコントロールしていること、他人から口出しされて変な方向に導かれない確証が必要だったから、僕は最終的にルーカスフィルム社を作った。

その会社と映画は成功することになる。最終的に何千人もの巨大な会社を経営することになった。

「示された道にノリ気でいること、自分の情熱に従うことが大切。そしたら道はおのずと開けるはずだ」

今は、いまだに自分の情熱や愛に従い、自分の会社を売却し、本来しようと思っていた小規模な芸術映画を自己投資して製作中だ。

友人らは、金持ちになったらヨットを購入しているが、僕はヨットを購入するお金を銀行に入れて、誰も観ないであろう映画の製作のために浪費をする(笑)。

(会場笑)

だから、映画製作で誰の目を気にしなくていい。それが現在の僕の立ち位置。

それがうまくやる方法なんだ。自分が最終的に何になるなんてわからないもんだ。

でも、示された道に、ノリ気でいること、自分の情熱に従わなければならない。そしたら道はおのずと開けるはず。

そして、自分の情熱に従うのであれば、金持ちになる必要はない。僕は偶然金持ちになってしまった。そもそもお金持ちになりたくはなかったから、僕は喜んでお金を手放せる。

安定することによってすべてがうまくいくように見えるかもしれないが、名声や大金は求めようとすると、絶対に手に入れられないもの。

それを見つけたとしても、幸せになることはないんだ。

真の幸せ

『スターウォーズ』や他の映画に込めた最終的なメッセージとは、「世界には2種類の人間がいる。情け深い人間と、利己的な人間。利己的な人間はダークサイド(暗黒面)にいて、情け深い人間はライトサイド(光明面)にいる」

(会場拍手)

そしてライトサイドの方に行けば、幸福になれる。なぜなら、他人を助け、利己的ではなく、他人のことを考えられる同情心からは、他では得られない幸福感を得られる。

利己的になり、自己満足に従うこと、お金で自分の幸せを買う人は、常に不満でいることになるだろう。瞬間的な喜びは得られるかもしれないが、それはすぐ去り、不満に戻る。そしてそれは重ねることに連れ、悪くなっていく。

最終的に自分が欲しいものは全て手に入るけど、みじめなんだ。その道が行く先には何もないのだから。

同情心を持つ道を進んで、最終地点まで行ったら、多くの人々を救ったことを考え――この壇上に立った演説者は考えたことがあるだろう――とても暖かい気持ちになる。

とにかく、時間を大幅に過ぎてしまったね。ありがとうございました。

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