1. 【書き起こし】映画監督スティーブン・スピルバーグが語る「監督になった経緯」「夢の見つけ方」

【書き起こし】映画監督スティーブン・スピルバーグが語る「監督になった経緯」「夢の見つけ方」

by G155
 スティーブン・スピルバーグ氏は、間違いなく映画史に名を残す名監督であろう。彼は『ジョーズ(1975年)』『E.T.(1982年)』『インディ・ジョーンズシリーズ(1981年~)』)などの多くの名作を手掛けた。

 そんな彼は2013年に非営利団体、アカデミー・オブ・アチーブメントにて急きょスピーチを行うことになる。なお、その動画をCorporate Valley社が提供。

今回は、「スティーブン・スピルバーグによるすばらしいスピーチ」を書き起こしていく。

「夢を見ることを生業としているんだ」


(スピルバーグ氏登場・会場拍手)

ありがとうございます。突然「一言お願いします」って言われたもんだから何も準備できていない。

昔記者から「なぜ監督業をするのですか?」と聞かれ、とっさに「夢を見ることを生業としているんだ「僕は夜に夢を見るわけではない。いつでも夢を見ているんだ。私は夢を見ることを生業としているんだ」というスピルバーグ氏の名言)」と答えた。

何年も後、自分が本当にそうしていることに気が付く。私の生業は夢を見ることだ。これまでずっとそうしてきたし、これからもそうしたい。

とは言っても、私はキャリア・プランというものを持ったことが無い。計画を持ち、作ることはみんなあるだろう。

時に、計画は専攻を決める時期などに始まる。もちろん、通っていた大学には専攻したかった科目――映画やテレビはなかったので、私は専攻が未申告だった。

結局「監督業が上手くいかなかった時のために取得しなさい」と言われたので、英語専攻になる。続いて、彼は「英語を専攻すれば教師になれる。そして、教師というのは偉大な職業だよ」と言った。

これは最近になってようやく理解したんだ。現代において、最も偉大な職業は恐らく教師である。同時に、教師は最も過小評価されたヒーローだ。

(会場拍手)

教師がどれだけ偉大な職業だとしても、私は映画監督になりたかったのだ。今日は事の発端を話そうと思う。私が今から話そうとするのは、すべて偶然の出来事だ。

スピルバーグが監督業に行き着いた経緯

これは私が6、7歳だった時、父が「『地上最大のショウ(原題:The Greatest Show on Earth、1952年)』に連れて行ってあげる」と言ってきたんだ。そして、6歳そこらの子どもが地上最大のショウ(映画だと知らなかった)に連れて行くと言われたら、この上なくワクワクするだろう。

父は、ライオン使いやサーカスショー、ピエロや空中ブランコ曲芸師がいると説明し、私はすごく楽しみにしていた。1週間前から待ちわびたよ。週末になり、ニュージャージー州からフィラデルフィア州へ車で向かった。

その時はとてもとても寒い冬で、休暇シーズン。レンガの壁の前で2時間ほどの長い列を並んだのを覚えている。サーカステントが見えるはずなのにレンガの壁しか見れなくて変だと思ったよ。

大きなドアをくぐり、薄暗い場所に入ったんだ。ピンクや紫の光があり、天井が教会みたいだったと記憶している。聖像画があったわけではないけど、礼拝する場所のように思えた。ユダヤ教会のようにね。

まだ、私は『地上最大のショウ』を理解していなくて、席にすわり、みんな正面を向いていた。観覧席ではなく、座席にね。赤いカーテンがあり、それが開き、照明が落ちたんだ。それから薄暗い映像がスクリーンにつき、チカチカしていて、粗かった――前の方に座っていたもんから。

父に騙され、裏切られたんだと気付いたのはその時だ。サーカスではなく、サーカスに関する映画に連れてこられたってね。

(会場笑)

私はそれまで映画を見たことがなかった。セシル・B・デミルの『地上最大のショウ』が
人生初の映画だ。

父が電気技師だったからテレビはよく見ていたよ。父はRCA社で働いてない時は、50年代初期のテレビを修理していたからね。だから、テレビは知っていても、映画は知らなかった。初の映画体験だ。

失望、後悔、裏切られたという気持ちは、ほんの10分でなくなり、僕は「映画」というものすごいドラッグにとりつかれた。その瞬間、映画館やその座席を超越した場所にいて、周りが気にならなくなった。その場はもはや教会ではなかった――同程度の信仰心、崇拝はあったがね。

僕はその体験の一員となり、それが人生となったのだ。

衝突シーンへの熱中

もし『地上最大のショウ」を覚えている人がいるなら、中盤にとてつもない列車事故のシーンがあったはずだ。線路上を走る列車が車に出くわし、それを止めようとしている人。列車は車に衝突し、車はひっくり返り、列車は線路から外れてしまう。たくさんの車が積み上げられ、大惨事だったよ。

後に学んだけど、衝突シーンは特殊効果でミニチュア列車だったんだ。それはそれまでの人生で最も現実的で、見た中で最高の災害だったよ。

そこで私の興味は映画製作ではなく、列車に向いた。父におもちゃの列車を買ってくれるよう頼んだんだ。私はすばらしき映画体験の一部になる欲求から、電動列車を持つ欲求に行き着く。

まさにその休暇シーズン、父は数両編成の電動列車おもちゃを買ってくれた。1年後、同じおもちゃを求めて、列車を2つ持つことになる。成長につれて、さらに多くの車両や踏切警報機を集め、完全なるミニチュア列車マニアになった。

その時期には、ニュージャージー州からアリゾナ州フェニックスに引っ越していたよ。ついでながら、12歳でフェニックスにいると、することが何もないんだ。だから、時間を持て余して、数年前に見た『地上最大のショウ』の例のシーンを再現できるかすごく興味を持っていた。

実際に2つの列車を持ち、ぶつけ合ったんだ。故障し、父に壊れたと伝え、彼は理由を聞く。私は「衝突させあったんだ」と答えて、父は修理してくれる。次の週、同じことを繰り替えし、またもや列車を壊した。

父は「よく聞け。もう一度あの列車を壊したら取り上げるぞ」と言ったんだ。あの映画による最初の破壊衝動が何であったとしても、私はあの列車が衝突し合うのを見なきゃならなかった。

でも、電動列車セットを取り上げられたくはなかったんだ。それまで気にしたことがなかったけど、リビングには父のコダック製8mmフィルム撮影カメラが。「ひらめいた! おもちゃの列車がぶつかり合うのを撮影すればいいんだ。何度もそのフィルムを見まくればいいんだ!」と気付く。

(会場笑)

こうして私の初めての映画ができた。編集機材を持っていなかったから、全部カメラでやるしかなかった。だから、列車を線路に置き、まるで子どもが目を近付けて実寸の現実感を味わうように、カメラを目の前に置く。

左から右へ行く列車を撮って、カメラを切り、もう1つを右から左に行くようにしているのを撮影。カメラを真ん中に設置し、列車が真ん中で触れれば、列車事故が完成することが直感でわかった。まさにそのようにして――幸運なことに列車は壊れなかった――その映像を何度も見直す。

「カメラを使って他に何ができるかな?」と思った。そうして、私は監督になった。

初めてのフィードバック

「その選択は間違えていない」と観客が思っているのを感じたのは、ボーイスカウトにいた時だ。私は写真撮影メリット・バッジ(ボーイスカウトの勲章)を狙っていて、その条件はシンプルに「映像は写真にすぎない」と証明すること。

配られたカメラが壊れて、隊長にメリット・バッジのために、ホームムービー用カメラを使って映像制作をしていいか許可を願う。彼は承諾し、僕は作品を『ガンスモッグ』と題したんだ。その時、テレビ番組『ガンスモーク(1955年)』は大人気。姉、友だち、近住民、ボーイスカウトのメンバーの協力を得て撮影した。

みんなにカウボーイの衣装を着てもらい、西洋劇を作ったんだ。アリゾナ州だもん。他に何があるっていうんだ(笑)。ミーティングがある金曜夜に、その映像をボーイスカウト隊に見せたら、大盛況。彼らは映画中とその後叫び、拍手し、笑っていた。反応が劇中か後かはどうでもよかった。それは反応に違いなかったから。

そのような反応をうけて、火が付いた。それから、肯定的な愛――ある種の集合的なフィードバックなしでは生きれなくなる。

だから、私の初期の作品は観客中心だったのだ。君たち観客からのフィードバックを求め、パートナーとし、カメラの裏では君たちのこと――つまり、君たちが何なら興奮し、笑い、熱狂してくれるかを考えていた。機械のサメがいつまでも動作しない時、どう緊張感を演出しようか、だったりね(『ジョーズ(1975年)』)。

(会場笑)

観客は私のパートナーであり、協力関係にあった。これはすばらしい経験だったよ。

夢の見つけ方――スピルバーグ氏によるアドバイス

強調したいのは、僕には他に選択肢がなかったということだ。「夢を持つ」というのは、夢を持ち、「はい、叶いました」といったものではなく、想定外なものである。夢は後ろから忍び寄ってくるもので、眼前にはあらわれない。

「これがあなたという人間だ」「生涯それをやり続けなさい」と通常は呼びかけてこないんだ。時折、夢はほとんどささやき声で語り掛けてくる。

子どもによく言っていたのは、「最も困難な本能や個人的な直感による語り掛けは、叫び声ではなく、ささやき声で語り掛けてくる。叫んでくることはめったにないのだから、日々そのささやき声を聞けるように心がけておきなさい」と。

ささやき声が聞けて、それが心躍るもので、生涯をかけてやりたいことだと思えるのであれば、それはまさにあなたが生涯することになる。そして、あなたが何をしても、私たちはその恩恵を受けることになるだろう。

ありがとうございました。

(スピルバーグ氏退場・会場拍手)

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