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【書き起こし】コロンバイン高校銃乱射事件から18年:主犯格の母親スー・クレボルド氏の声明

森澤

2017/02/07(最終更新日:2017/02/07)


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【書き起こし】コロンバイン高校銃乱射事件から18年:主犯格の母親スー・クレボルド氏の声明 1番目の画像
出典:www.ted.com
 1999年4月20日、コロンバイン高校は45分間恐怖に包まれた。この事件は主犯格の高校生2人――エリック・ハリスとディラン・クレボルドが銃を乱射し、13名の死者と24名の重軽傷者を出した事件だ。これは銃社会アメリカで起こった代表的な銃乱射事件である。

 2016年11月、主犯格1人の母親、スー・クレボルド氏は、毎年大規模な講演会を主催している非営利団体TEDで、この事件から自分が学んだことを語った。TEDでの講演はオンライン視聴できる。以下がそのスピーチの書き起こし全文だ。

愛が故に知りえないことを知る努力をするべき

スー・クレボルド氏による声明全文

 最後に息子の声を聞いたのは、彼が学校に行くため正面玄関を出たときでした。彼は闇の中、一言「じゃあね」と言いました。それは4月20日、1999年のことです。その朝の後、コロンバイン高校で私の息子ディランと友達のエリックが、自らの命を奪う前に12人の生徒と1人の先生を殺し、他20人を負傷させました。

 13人の罪の無い人々は殺され、遺族を深い悲しみとトラウマに陥れました。他の人々には外傷が残り、その中の幾分かの人々は外見に傷害や永続的な身体傷害を負ったのです。

 しかし、その悲劇の巨大さは死んだ人々や負傷した人々の数では測れません。当時学校にいた人や救助、後処理をした人々の精神的なダメージの量を測る術はないのです。また、コロンバインでの出来事のような悲劇の大きさを査定することはできません――それは特に残虐行為をしようとしてる他の銃乱射者のための青写真になるときです。

 コロンバイン高校銃乱射事件は大津波のようで、その衝撃が終わったときに、そのコミュニティや社会がその衝撃を理解するのに何年もかかります。私自身、息子の残したものを受け入れるまで、何年もかかりました。

 息子の死を決定付けた残虐行為は、私の知る息子と彼は全くの別人だったということを示しました。後に人々は「知らないなんてありえなくないですか? あなたはなんて母親なんだ」と言いました。私は未だに自分に同じ問いを投げかけています。

 銃乱射以前、私は自分のことを良い母親だと思っていました。自分の息子が優しく、健康的で、責任感のある大人になるように手助けする――これが私の人生で最も重要な役目だったのです。

 しかし、その惨劇は私が親として失格だということを確信させました。そしてその失敗したという気持ちが、私が今日ここに立つ理由の1つです。父親を除いて、私がディランを一番よく知り、愛していたものでした。何が起きているか知っているものがいるとするならば、それは私であったはずですよね。しかし、私は知りませんでした。

 本日、私は人を殺し、傷つける人の母親であるという経験はどのようなものかを共有するためにやって来ました。悲劇の後、何年間も私は記憶をたどり、いつ私が母親として失敗したか探そうとしました。しかし、単純な答えはありません。私は、あなた方に答えを受け渡すことはできません。

 私にできることと言えば、私が学んだことを共有するということです。乱射事件まで私のことを知らなかった人と話すとき、私には3つの挑戦が出てきます。

 まず、このような部屋に入るとき、私は息子が起こしたことで損失を経験した方がいるかどうかは知りえません。私は、私の家族の一員がもたらした苦しみを、認識する必要性を感じます―自分でそうする人(息子)が、いないからです。そのため第一に、私の息子がもしもあなた方に苦しみを与えていたら、誠に申し訳ありませんでした。

 2つ目の挑戦は、息子の死を自殺だと話すとき、理解、同情さえも、請わなければならないことです。彼が死ぬ2年前、彼はノートの中の1ページに、自傷行為を行っていることを書きました。彼は激しい苦しみの中におり、自分の命を絶つために銃が欲しいと書くのです。私は、彼の死から数か月後まで、これらのことを一切知りませんでした。

 彼の死を自殺と言うとき、私は彼が最期に見せた邪悪な行為を控えめに扱おうとしている訳ではありません。それよりも、私は彼の自殺志願の思考がどう殺人に繋がったのか理解しようとしているのです。多くの文献を読み、専門家と話した後、息子の銃乱射への関与は殺人願望ではなく、自殺願望に根差していた、ということを思うようになりました。

 私が息子の道連れ心中を語るときに直面する3つ目の挑戦は、私はメンタルヘルスについて、もしくは脳の健康――と呼ぶことを私は選びます、なぜならそちらの方が明確だから――のことを話しているということです。それと同時に、私は暴力のことも話しています。

 私が一番避けたいのは、現在伝播している精神病にまつわる誤解に貢献する、ということです。精神病を持つ人の中でも、他の人に対して暴力的なのはごくわずかです。しかしながら、その中で自殺する人の75%から大体90%以上は、診断可能な、なんらかのメンタルヘルス上の状態にあると推定されています。あなた方がよく知っているように、私たちの精神の医療制度は大勢の人を救うように備えられていません。

 また、全ての破壊的な思考を持つ人が、ある診断の基準にあてはまる訳でもありません。恐怖、怒り、絶望の気持ちを継続的に持っている人の多くは、いつまでも診断、治療を施されません。彼らが精神危機を行動に表すレベルに達してから、我々が注意を向けることが多すぎます。全ての自殺の1~2%は殺人を起こすという推定がもし正しければ――他の国でも上昇しているように――自殺率が上がるにつれ、道連れ心中の数も増えます。

 私はディランが死ぬ前に、彼の中で何が起きていたのかを知りたかったのです。だから、私は自殺の危機から生還した人に答えを見出しました。私は研究をし、募金行事のボランティアをし、そして可能な時に、自殺の危機から生存した人、または自殺を試みた人と話しました。私が会話した中でも最も有益だった人の1人は、私が他の人と勤務先の机で会話しているのを偶然聞いた同僚です。

 彼女は、私が「ディランが、あんなに酷いことができたのなら、私のことを愛してなんかいなかったのだわ」と言っているのを聞きました。後ほど彼女が、私が1人なのを見たとき、その話を聞いてしまったことを謝罪し、私は間違えていると指摘しました。

 彼女は自分が若く、3人の子を持つシングルマザーだった頃、激しく鬱になり、安全のために入院したことを話しました。当時、彼女は自分が死んだ方が、子供たちのためになるということを確信し、死ぬための計画を立て始めました。彼女は母親の愛が、地球上で最も強い絆であること、彼女が子供のことをなによりも愛していることを保証しました。

 しかし、彼女の病気が故に、彼女は自分がいない方が子供たちのためになるということを確信していたのです。彼女が言ったことや、私が人から学んだことを加味すると、我々は自殺によって死ぬと言う所謂決断や選択は、どのような車に乗るか、土曜日の夜にどこに行くかなどの選択と一緒ではありません。

 人が自殺の極限状態にいるとき、彼らは第4ステージ:メディカルヘルスの緊急事態にいます。彼らの思考は自己統治ができないほどに弱まっているのです。たとえ彼らが計画を立て、論理的な行動をできるとしても、彼らの現実を解釈する真実の感覚は、苦痛というフィルターによって捻じ曲げられてしまうのです。一部の人々はこの状態を隠すのがとても上手で、彼らはそれを隠す合理的な理由を持っています。

 我々の中の多くの人は、ある時期に自殺志願の状態にありますが、持続的で、継続的な自殺願望持ち、死を計画する人は、病状の兆候にあります。そして、多くの病気のように、命が失われる前にその状態は発見され、治療されなければなりません。

 ですが、私の息子の死は単に自殺ではないのです。そこには大量殺人もありました。私は、彼の自殺願望がどう殺人に変わったのか知りたいのです。しかしそれについての研究は少なく、単純な答えはありません。
 
 確かに、彼は継続的なうつ病だったのでしょう。彼は完璧主義者で、独立独行な性格を持ち、これが彼が他の人に助けを求めないようにさせたのです。彼は学校で問題を起こすことを経験したりもしていました。それは、彼を見下され、屈辱を与えられたように感じさせ、怒りを湧き起こしたでしょう。

 そして彼には、憤怒と疎外を共有し、深刻な精神障害を持ち、支配的で、殺人を起こす可能性のある男の子と複雑な交友関係がありました。そして、彼の人生の中で極度に脆く、壊れやすい時期に、我々の家では持ったことはないにも拘わらず、ディランは銃を入手したのです。

 17歳の男の子にとって、銃を合法的に、または違法的に、私の許可や認識なく、手に入れるのは驚くほど容易いです。そして、何故か17年と多くの学校での銃乱射事件の後にも拘わらず、銃を手に入れるのは未だに驚くほど簡単です。ディランがあの日にしたことは、私を失意に陥らせ、そしてトラウマというものがよくそうするように、それは私の身体と精神に甚大な被害を与えました。

 銃乱射の2年後、私は乳がんを患い、そしてその2年後、私は精神病を患い始めました。永続的で、不変の悲嘆の上に、私はディランが殺した人の遺族に偶然出会うこと、記者や怒っている市民に近寄られることを怯えていました。

 私はニュースを見て、「酷い母親だ」や「不愉快な人間だ」という非難を聞くのを恐れていました。そして、私はパニック発作を持ち始めたのです。最初の発作は銃乱射から4年後、退職の準備を始め、遺族に面と向かって会わなければならないときに始まりました。発作の2巡目は銃乱射の6年後、つまり私が委員会で道連れ心中について公の場で話す準備をしているときでした。

 どちらの発作も何週間か続き、発作はどこにいても起こりました:ホームセンター、オフィス、私が寝る前にベッドで本を読んでいるときでさえです。私の心は急に恐怖の循環に閉じ込められ、どんなに落ち着こうとしたり、自分を諭そうとしても、それができませんでした。

 それはまるで私の脳が私を殺そうとしているかのような感覚で、恐怖を持つこと自体に恐怖を抱くことが、私の思考を占めていました。それが私が初めて、うまく作用しない精神を持つのはどのようなことかを学んだときです。そして私はこのとき、本当の意味で脳の健康の支持者になったのです。

 療法や医薬や自己管理を通じて、私の生活はこのような状況で「普通」と呼べるものに取り戻されつつありました。起こったこと全てを顧みてみると、私は息子の機能障害への連鎖的変動は2年くらいもの年月で起きたであろうということがわかりました。そして誰かが、彼に助けが必要で、何をすればいいかさえ知っていれば、彼を助けるには十分な時間があったはずなのです。

 誰かが私に「どうして知らないんだ」と尋ねるとき、毎回私は内臓を殴られた気持ちになります。その言葉は非難を意味し、何度療法を受けようとも、完全に絶えることのない私の罪悪感に入り込みます。

 これが私が学んだことです。もし愛が自殺願望を持つ人の自傷行為を止めるに十分なものであるなら、自殺はめったに起きません。しかし、愛は十分なものではなく、自殺は普及しています。自殺は10歳から34歳の人にとって2番目の大きな死因で、昨年15%のアメリカ人の若者は自殺を計画したことがあると報告されました。

 また、私はどれだけ我々が自分にはできると信じたくても、愛する者の一挙一同を知り、規制することはできない、ということを学びました。そして自分は他の人とは違い、自分の愛している人は絶対に自分や他人を傷つけることを考えないという頑固な考えは、外面の中に隠れているものを見落とさせます。

 そして最悪のシナリオが起きようとするならば、我々はそれに気づけず、正しい質問を聞くことができず、適切な治療を探せなかった自分を許すことを学ぶ必要があります。我々は愛する人がなんて言い、どう振る舞おうと苦しんでいるかもしれないことを想定しなければなりません。我々は偏見、解決策なく、自分全体を使って相手を聞かなければなりません。

 私は一生この複数の悲劇と共に生きることを気付いています。私は多くの人の心の中で、遺族が失ったものは、私が失ったものと比べものにならないことを知っています。そして、私の苦労が他の人の気休めにならないこともわかります。

 また、私には苦しむ権利がなく、懺悔する人生しかないと思う人がいることも知っています。最終的に、私が知っていることはここに行きつきます:悲劇的な現実は最も警戒して、責任感のある人でさえも、助けることはできないかもしれないということです。しかし、愛が故に我々は知りえないことを知る努力をすべきです。

 ご清聴ありがとうございました。

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