1. 机上の空論で終わらない、政治哲学書の傑作:『これからの「正義」の話をしよう』

机上の空論で終わらない、政治哲学書の傑作:『これからの「正義」の話をしよう』

出典: Amazon.co.jp
 1人を殺して5人が助かるなら、あなたはその1人を殺しますか? こう問われた時、あなたはどう答えるだろう。「殺す」と答えるだろうか。では、その1人があなたの親友だとしたら? 「殺さない」と答える方には、その1人が死刑囚だとしたら?

 上記のような問いはセンセーショナルだと思われるかもしれない。しかし、私たちは正解のない決断を迫られることが日々生活している中で多々あるだろう。特に政治の場面においては、「正解のない決断」が日々行われているのだ。

 今回はハーバード大学で教鞭を執るマイケル・サンデル氏の超人気講義、「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラーの邦訳、『これからの「正義」の話をしよう』を紹介しつつ、実社会における「哲学の意義」について考えていきたい。

大学における文系学部の現状

by Dick Thomas Johnson
 文部科学省が全国の国立大学に対し、文系学部や教員養成学部といった組織を見直すように通知したことが話題になった。以下は国立大学法人評価委員会の「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)という文書の一部である。

「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。

出典:資料2-1 「国立大学法人の組織及び業務全般の見直し ... - 文部科学省
 国立大側からは反発の声も上がっているが、一部の大学では、文科省の要請に沿う形で学部の再編が進められている。

 今年はノーベル医学・生理学賞に、東京工業大学名誉教授の大隅良典氏が選ばれたことが大きな話題となった。彼は早急に成果を出そうとする、あるいは出さなければならない日本の科学研究事情に警鐘を鳴らしている。一方で、文系の学問を取り巻く状況は同程度、あるいはより一層深刻であるのが現状だ。

哲学の必要性

by Japanexperterna.se
 文系学部の中でも、「哲学」という学問の立ち位置は殊更厳しいものがある。就活に不利であるという評判もあり、人気も少ない。それには高校生の時の暗記科目というイメージが染みついてしまっていることもあるだろう。

 日本の教育は「1+1=?」のように、1つの正解を導き出すことを教えることが多い。しかし、実社会においては明快な答えが出るケースは稀であり、「正解のない問い」を自分の頭で考える哲学は、非常に有用な学問である。「人間とは?」、「自由とは?」といった哲学的な問題に関するディベートは、議論が苦手といわれる日本人が積極的に行うべきものだ。

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。

出典:これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 ...

「正義」の定義とは何か

by Manu_H
 『これからの「正義」の話をしよう』では、「正義」をめぐる3つの理論、即ち幸福の最大化自由の尊重美徳の促進を比較しながら、社会で直面する様々な問題を考察している。

 具体例として出される問いは身近なものから国際的なものまで幅広く、哲学の本にしては非常に読みやすい。その内容を、ごく簡素にではあるが、3つの理論を軸として紹介させてもらおう。

幸福の最大化

 「最大多数の最大幸福」という言葉で有名なジェレミー・ベンサムは、功利主義の原理を確立した。功利主義とは、個々人の効用の総和を最大化することを目的とし、個人の快楽や幸福の総計が社会全体の幸福であると考える。

 功利主義の弱みは大きく分けて2点。まず、個人の権利を侵害してしまうということだ。例えば、古代ローマでは、コロセウムでキリスト教徒をライオンに投げ与える娯楽が流行っていた。功利主義においては、ライオンに襲われるキリスト教徒の苦しみよりも見物客の幸福の総和が上回る場合、この残酷な見世物を非難することはできない。

 第二の反論は、道徳に関するあらゆる事物を単一の尺度で測ることはできないということだ。幸福の総和を調べるためには個々の価値を合算する必要があるが、現実には価値観も人それぞれであり、計算するのは非現実的である。

自由の尊重

 「リバタリアン(自由至上主義者)」と呼ばれる人々は、個人と経済の自由を重んじる。他者にも同様の権利を認める限り、自らのいかなる行動も制限されることはないという考え方である。

 彼らの思考によれば、シートベルトやヘルメット着用義務などの「パターナリズム(父親的温情主義)」に則った法律、売春などを取り締まる道徳的法律、所得や富の再分配といった近代国家の活動の多くは不法である。

 しかし、「迷惑をかけない限りのあらゆる自由」を認めてしまうと、臓器の売買や合意による食人、代理出産の産業化までもが正当化されることになってしまう。そこに真の「自由」があるかは疑問である。

美徳の促進

 アリストテレスの政治哲学の中心には以下2つの観念がある。

1 正義は目的にかかわる。正しさを定義するには、問題となる社会的営みの「目的因(目的、最終目標、本質)」を知らなければならない。
2 正義は名誉にかかわる。ある営みの目的因について考える―あるいは論じるーことは、少なくとも部分的には、その営みが称賛し、報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。

出典:マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう』(鬼澤忍訳)早川書房
 即ち、何が正義かを問う際には、コミュニティにおいて何が美徳とされるのか、善行であるのかを考えなければならないということである。


 共通善に基づく政治を行うためには、道徳や宗教を避けるような表面的な中立ではなく、寧ろ積極的な関与が必要であると筆者は述べている。その考えが正しいものであるか考察するためには、本書に登場する様々な哲学者の思考も辿る必要があるだろう。その点においても、『これからの「正義」の話をしよう』は、哲学入門の名著ではないだろうか。

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