1. 何度目の正直になるのか:村上春樹がノーベル賞を受賞できないワケ

何度目の正直になるのか:村上春樹がノーベル賞を受賞できないワケ

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 10月13日、ノーベル文学賞がボブ・ディランに授与されると発表された。前例のない歌手の受賞は、世間を驚かせた。それと同時に、日本国内では今回の受賞を受けて別のニュースが盛んに報じられている。「村上春樹、また落選」。もはや恒例になったニュースに、驚く人もいないかもしれない。

 なぜ、村上春樹は毎年のように最有力候補に挙げられるのにもかかわらず、ノーベル文学賞を受賞できないのか、その理由に迫っていきたい。

伝説のミュージシャンが受賞:ノーベル賞最大のサプライズ

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 ボブ・ディランの受賞は、今年のノーベル賞で最大のサプライズとなった。世界的スターの思いがけぬ受賞に祝福の声が多くあがったが、同時に文壇からは批判や疑問が呈されている。伝説のミュージシャンがなぜ受賞したのか、その理由を見ていこう。

なぜミュージシャンが受賞?

 100年を超えるノーベル賞の中で、今回の受賞はミュージシャンが受賞した初めての例となった。だからこそ、賛否の声が世界中からあがっているわけだが。しかし、ボブ・ディランを詩人と捉えれば、妥当な選考だったと考える人も少なくない。

 スウェーデンアカデミーは、受賞理由を「偉大なるアメリカの歌の伝統にのっとって、新しい詩の表現を創造したこと」と発表している。この声明の「アメリカの歌の伝統にのっとって」という部分に、一つ大きな意味があることが読み取れる。

 印刷技術が発達する前、詩は曲に乗せて語られていた。古くまで遡れば吟遊詩人がいい例だろう。ヨーロッパに10世紀ごろから現れたとされる吟遊詩人は、詞曲をつくり各地を歌い歩いたという。ここで筆者が述べたいのは、歌と詩はかつては一体のものだった、ということだ。

 アメリカでも詩はもともと歌と密接な関係を持っていた。1950年代、ビートと呼ばれる詩人たち、あるいは活動が流行した。自作詩を声に出して読み上げるのだ。もちろん、当時階級社会が作られつつあったアメリカ社会に対する批判が、根にある詩の内容もビート自体が評価されている理由だが、注目したいのは詩の形式だ。

 詩=読むもの、として定着した従来の形式を、改めて声の文化として復活させたことに意味がある。そして、今回のボブ・ディランの受賞も詩を音楽に乗せて人々に伝えた、そこに受賞理由がある。

 このように考えると、妥当な選考ではないだろうか。それに、実はボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するのではないか、という説は全くなかったわけではない。彼のファンの界隈では、受賞説が噂として流れていた。ただ、やはり噂程度のもので本気で予想していた人は少なく、今回の受賞は驚きだったことは間違いない。

 では、この受賞に対してボブ・ディラン本人はどのような反応を示しているかというと、あまり歓迎していないようだ。ボブ・ディランの公式サイトから「ノーベル文学賞受賞者」の文字が掲載されたのち削除された。受賞以来、賞に関する話題に触れていないだけに真意をはかれないが、アカデミーの委員長はこの対応に「無礼で傲慢だ」と非難しており、険悪なムードになりつつある。

 アカデミー賞、グラミー賞などの名だたる賞、そしてミュージシャンとして初のピューリッツァー賞を受賞した経歴があるボブ・ディラン。祝福の声が多い中、円満な雰囲気で受賞を終えてほしいもの。

大本命だった村上春樹は今年も逃すことに

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 ボブ・ディランのファンが歓喜の声を上げる一方で、また今年も村上春樹ファンは肩を落とすことになってしまった。もはやマスコミの騒ぎようや書店の村上春樹特集は、この時期の恒例となってしまっている。長年、有力候補とされている村上春樹は、なぜ受賞できないのだろうか。

村上春樹が最有力と言われる所以

 ここ数年、ノーベル文学賞の候補に村上春樹の名前を聞かないことはない。イギリスのブックメーカー、ラドブロークスの予想で一時は一番人気になるなど、今年も最有力候補の一人とみられていた。昨年のラブロークスの一番人気だった作家が、ノーベル文学賞を受賞したこともあり受賞が期待されたが、結果はご覧の通りである。

 村上春樹がここまで有力候補と考えられているのには、近年の受賞歴が関係ある。2006年にノーベル賞の登竜門と呼ばれるフランツ・カフカ賞を受賞したことが、村上春樹がノーベル賞有力候補に数えられ始めたきっかけだ。実際、2004年、2005年にフランツ・カフカ賞を受賞した作家は、同年にノーベル賞を受賞をしている。

 また、村上春樹が世界的な作家であることも有力候補と呼ばれる所以だ。翻訳された言語は英語などの欧米言語にとどまらず、アジア、アフリカ言語でも多く翻訳されているのはノーベル賞受賞の基準の一つをクリアしていると言えるだろう。

それでも受賞できないのはなぜ?

 ここまで有力な候補者と呼ばれているにもかかわらず受賞できないのには、作品のテーマが一つの要因と考えらえている。前年受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチはチェルノブイリ原子力発電所事故など大きな社会問題を著している。2010年受賞のマリオ・バルガス・リョサは「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」と評価されている。

 ここからわかるのは、ノーベル文学賞の傾向として万民が共感する政治的思想が含まれていると受賞しやすいこと。今年受賞したボブ・ディランも反体制、反権力的な詩が多く見受けられる。ボブ・ディラン本人は自身の歌詞が政治的であると評されるのを嫌っているが。
 
 一方の村上春樹の作風は、上にあげた受賞者と比べて抽象的だと言えるだろう。自身の自伝である『職業としての小説家』では、初期の作品に「書くことがない」こと自体を書いた、と語っている。後期の作品になるにつれ、太平洋戦争やサリン事件を題材にするなど政治的要素が含まれるようになるが、この作品のテーマのブレも選考に際してはマイナスになるのではないか、と言われている。

そもそも本当に候補なのか

 村上春樹の受賞に関するニュースを見ると、あたかも村上春樹が候補者だという印象を受けてしまうが、そもそも候補だという事実は誰も知らない。というのも、ノーベル文学賞の候補は公にならないのが慣例であり、50年後になってようやく候補者が誰であったか発表される。

 このことを考えると、村上春樹がなぜノーベル賞を受賞できないのか考えることは、無意味なことなのかもしれない。本人も、ファンからの質問に回答するウェブサイト『村上さんのところ』では、ノーベル賞に関する質問に「正式な最終候補になっているわけじゃなくて、ただ民間のブックメイカーが賭け率を決めているだけ。競馬じゃあるまいし」と答えている。


 今回、村上春樹が受賞できなかったことで、落胆したファンも多いことだろう。だが、文学の価値は物理学や化学のように明確な基準で決めることができないものである。ノーベル賞を受賞できなくても、これだけ世界的に評価されている作家が同じ日本人であることは誇りである。何よりも村上春樹のユーモアに溢れ、時に人間の核心に迫る文章を母語で読むことができるだけで、私たちは幸せなのではないだろうか。

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