1. 戦後日本を支えた3人の起業家たちから学ぶ、いま“最も求められる賢さ”「ストリートスマート」とは?

戦後日本を支えた3人の起業家たちから学ぶ、いま“最も求められる賢さ”「ストリートスマート」とは?

出典:www.sheknows.com
 ストリートスマート(street smart)とは、英和辞書によると「都市環境で生き残るために必要な鋭い臨機応変さを持つさま」という意味を持つ。実際にアメリカでは、ブックスマート(book smart)と比較されて用いられることが多い。ブックスマートは知識が豊富、高い教育を受けている人を表し、その分実践や経験によって学んでいく力が乏しく、何でも教科書通りに行動する人とも揶揄される。

 これに対してストリートスマートは、学歴はないが実践や経験を通すことにより、困難を乗り越えられる方法を知っている。また、世間の構造を理解しており、周囲の動きを把握している人を表す。ストリートスマートとブックスマートに優劣を付けることはできないが、既存の概念にとわれない思考や、様々な経験を通して得られる賢さが備わっている点で起業家や実業家は前者に当てはまることが多い。

戦後日本を支えた“ストリートスマート”

本田宗一郎(1960〜1991)本田技研工業創業者

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 本田宗一郎は28歳のころに新会社を設立し、ピストンリング(ピストンとシリンダー間で、エンジンが効率良く仕事をする為に必要な部品)の製造を始めるが、途中で行き詰まり浜松高等工業機械科(現静岡大学)の聴講生となる。

 鋳物の専門である田代先生は、彼がつくったピストン・リングを見て「シリコンが足りませんね」と即答した。

 これがきっかけで彼は知識の重要性に気づき、ピストン・リングの製造とは関係のない授業や試験は受けず、ひたすらピストン・リングの製造においての問題解決を念頭において学問に励んだ。

 そのため当時は卒業が危ぶまれたが、学問を直接仕事に役立てたいと強く考える彼にとって卒業証書は必要なかった。ルールや慣例から外れた自分独自のやりかたで、運命を切り開いていった彼は、まさにストリートスマートな人間だといえるだろう。

 後に本田宗一郎は、輸送用機器メーカー本田技研工業(ホンダ)を創業する。世界最大のオートバイメーカーの地位を維持し続け、同時に、有力自動車企業のなかでも国際的に高い評価を定着させている。

出光佐三(1885〜1981)出光興産創業者

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 出光佐三は、資産家の両親の長男として生まれる。幼少期は病弱だったため、病と戦う日々を過ごしていた。16歳のときに福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)に入学するが、学校側に反感をもち、首謀者になってストライキを起こす。
 
 この活動も相まって卒業時の成績は下から二番目であった。そして20歳のとき、神戸高等商業(現神戸大学)に入学し、そこで二人の恩師に出会う。

黄金の奴隷になるな。士魂商才をもって事業を営め

出典:心に火をつける名経営者の言葉 著者: 竹内一正

これからの商人は、生産者と消費者を直結し、その間に立ち、相手の利益を考えながら物を安定供給することにある

出典:ブランドに学ぶ 儲けを生み出すビジネスコラム - メジャー支配に挑戦した男

 前者を説く初代校長水島鉄也と、後者を説いた内池廉吉教授である。二人の教えは、後に出光佐三の経営理念を形成する上で重要な役割を果たすことになる。彼は、将来の独立のために大切なことは仕事の基礎を一から覚えることであり、小さな会社の方がそれを効率よく実行できると考えていた。そのため、あえて三人しかいない小さな商店に勤め丁稚から働き始める。

 周囲はその行動に反感を持ち、最高学府の卒業生が就職するにはふさわしくない職場だということで、学校の面汚しだとまで言われた。だが、出光佐三は周りの反応に動じず、自分の実践や経験を糧にしながら自ら作り上げた信念をまげることはなかった。この時点ですでに、彼は将来性や世の中の動きを看破していることがわかる。

松下幸之助(1894〜1989)パナソニック(松下電器産業)創業者

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 松下幸之助の経営者としての原点は、自転車屋の丁稚奉公時代に遡る。当時の自転車屋では、修理に来た客が待ち時間に用事を言いつけたりすることがよくあった。一番多かったのは「タバコを買ってきてくれ」だった。

 彼はタバコを買い置きしておけば、すぐに客に渡せて便利であるという点と、20箱まとめ買いすることによって1箱おまけがついてくることにより、それが自分の利益にもなるという点が、一挙両得であると思いついた。

 しかし、この行動は店主から「店の客を相手に商売するとは何事だ」とひんしゅくを買うこととなり、この体験が幸之助に大きな教訓を与えることになる。

もし、自分が他の丁稚に事前に相談し、儲けを分け合っていたらこんな目に合わなかっただろう。商売で自分だけが儲けるのはよくない。場合によってはとんだしっぺ返しにあう。仕事をやろうとすれば、利益を多くの人と共有しなければならない

出典:第1回 松下幸之助を学ぶ

 幸之助のこの考え方は、後に「共存共栄」の哲学といわれることとなり、松下電器産業を貫く経営理念となっていく。彼は経験を無駄にすることなく、それを仕事に生かす方法を熟知していたのである。
 彼らの共通点は、既成概念にとらわれず独自のやり方で、誰も開けないような新たな道をつくることができるところだ。また、他人の批判や自分の境遇、人との出会いを大切にしていて、すべてを経験の糧として吸収してしまう。戦後を生き抜いた彼らにとって、自分の夢を貫き通すことは常に苦労の連続だったかもしれない。“ストリートスマート”な彼らであったからこそ、その中でも果敢に行動し、目の前の苦難を乗り越えることができたのだろう。


 これは知識だけではなく、失敗を恐れない実践的な行動力、経験から生み出す創造力、世の中の動きを検知する優れた把握力によって生まれた賢さがなければ、成し遂げることのできなかった業だといえる。極端な貧困や、経済危機を経験していない現在の日本は、ストリートスマートな人間をもっとも必要としているのかもしれない。

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