1. 教科書では学べない、吉田松陰の“異常すぎる”生涯。力強い名言から学ぶ、命がけの29年

教科書では学べない、吉田松陰の“異常すぎる”生涯。力強い名言から学ぶ、命がけの29年

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 吉田松陰、と聞けば記憶に新しいのが吉田松陰の妹を主人公にして描かれたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』だろう。本からテレビへとそのカタチは変われど、200年という長い年月が経っても、人々の間で語り継がれてきた人物。それが吉田松陰という一人の思想家なのだ。

 まず、吉田松陰の生涯に関して驚くのが、その短命である。彼はわずか29年の短い生涯で、なぜこれほど日本史に名の遺る偉人となり得たのだろうか?

 ここでは吉田松陰の有名な名言と共に彼の激動の人生を紹介し、日本国民から支持されて止まない吉田松陰の魅力をひも解いていこう。

吉田松陰の名言①|約束を守るために牢屋に入った男

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 吉田松陰は1830年、長州藩(今の兵庫県)に次男として生まれた。幼少期はかなりのスパルタ教育で有名な、叔父の玉木文之進の松下村塾で学業に励む。かなりの秀才で名を広めた吉田松陰は、10代のうちに藩校の教授にまでなっている。

 その後、西洋兵学を学ぶために九州に遊学するのだが、ここで吉田松陰は約束を大切にする真っ直ぐ過ぎる男が故の有名な逸話を残している。

 友人と東北旅行を計画したところ、長州藩の通行手形の発行が遅れたため、出発日の約束を守るために通行手形を待つことができずに、なんと脱藩してしまうのだ。このため吉田松陰は家禄没収、身分はく奪の処罰を受けた。

 この逸話につながる、吉田松陰の名言がこれである。

たかが知れた約束かもしれない。ならば、その約束すら守れない人間に何ができるか?なんの志が持てるだろうか?

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 どんな約束も無下にしてはいけない、という吉田松陰の信念を感じずにはいられない名言である。吉田松陰の人徳は自分の身を顧みずに約束を守るほど友人を大切にする、という思いからきているのかもしれない。

吉田松陰の名言②|ペリーを驚かせた吉田松陰の異常な行動力

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 脱藩による謹慎処分が終わり、再び江戸へ遊学した吉田松陰を次に待ち受けていたのが、「黒船来航」という大事件だった。
 
 さっそく黒船をその眼で見にいった吉田松陰は偽名を使い、「黒船に乗せていただきたいので迎えにきて欲しい」といった内容の手紙をアメリカ水夫に託す。しかし、その夜迎えは来ず、それを知った吉田松陰は小舟を漕いで自ら黒船に乗り込むのだ。

 ペリーは日本との関係を悪くする事を恐れて吉田松陰の乗船を拒否したが、その日の日記には「日本人の激しい好奇心をこれほど表すものは他にない。この国の将来は何と希望に満ちたことか」と感嘆の思いがつづられていた。

 この行動から思い出される吉田松陰の名言がコチラ。

士(立派な人)が重んじるのは実際の行動であり、学問ではない

出典:吉田松陰-名言
 陽明学を学んだ吉田松陰は、陽明学の「知行合一」(知識と行為は一体であり、本当の知は実践を伴わなければならないの意)を自らの哲学としていたのだろう。外国について本などで知るだけでは物足らずに起こした吉田松陰の行動は、この名言の力強さを感じさせてくれる。

吉田松陰の名言③|逆境の中でもブレることのない吉田松陰節

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 黒船に乗ったことによって再び罪に問われた吉田松陰は1年ほど投獄生活を送る。しかし、ここでも吉田松陰のハングリー精神、教育者魂は健在なのだからすごい。なんと獄中600冊の本を読破した上に、獄中の者を集めて「孟子」の講義をしていたというのだ。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

出典:吉田松陰-名言
 まさに吉田松陰はこの名言通り、投獄され、幕府に虐げられたときにでも自分の姿勢を崩すことなく、自らの向上と人への教育のために生きた。こうした逆境の中における吉田松陰の粘り強さが、彼を偉人足らしめているのだろう。

吉田松陰の名言④|日本の英雄を輩出させる敏腕教育者・吉田松陰

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 仲間による吉田松陰解放運動のおかげで牢獄から解放され、謹慎処分へと刑が軽くなった吉田松陰は、家族からの勧めにより叔父の松下村塾を引き継いで近隣の者を相手に教育を施す。

 当時の藩校などは武士を対象にした学校であったが、この松下村塾は私塾であったため身分の違いは関係なく、学ぶ意欲のある者はすべて等しく学業を教わることができたのだ。そしてここから、久坂玄瑞、伊藤博文、高杉晋作、山形有朋など、日本に大きな影響を与える豪傑を数多く輩出してゆくこととなった。

人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。

出典:吉田松陰-名言
 この名言から学べることは、聖人も普通の人間にも皆何かしらの”純金”、つまり長所や特技を持っているということだ。身分に関係なく、生徒それぞれの持つ”純金”を見出してくれた吉田松陰の教育が、その後の日本を支える人材を次々と生みだしたと言える。

吉田松陰の名言⑤|命より道理の正しさをとる吉田松陰の信念

 その後、吉田松陰を襲った事件が「安政の大獄」だ。この時期は、腐敗した幕府を倒そうと立ち上がる幕末の志士たちを恐れた官僚が、彼らを次々と投獄していた。

 当時、老中の暗殺計画を企てていた吉田松陰は仲間をその計画へと誘うが、過激過ぎると断られ、そうこうしているうちに囚われの身となる。ところがここでも異常なのが吉田松陰。

 どんなに自分の不利な場面でも正直さを貫く人であったため、獄中でも自分の主張を変えることなく、逆に説得のチャンスだと捉えた。なんと、幕府の御用人を前に老中暗殺の意義などをあっさりと、それも堂々と語ったのだ。

 そして聞き入れてもらえないのが分かると、法律を破ったために有罪となるのは当然だ、と自ら死刑を受け入れ、29年の生涯を閉じてしまう。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

出典:吉田松陰-名言
 幕府側は松陰を捕らえた当時、彼の企てた暗殺計画を知らなかったため、白を切っていれば命が助かっていたかもしれない。しかし、自分の利害には一切構わず、命をなげうってさえ道理を大事にするのがこの男の生き方だ。そんな彼だからこそ発することができたのがこの名言なのだろう。

吉田松陰の名言⑥|死してなお生き続ける志

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 こうして処刑されってしまった吉田松陰だが、さらに驚きなのは死後の彼の弟子たちの活躍だ。

 もちろん弟子たち自身に才能があったというのも事実なのだが、彼らの活躍に欠かせなかったのは吉田松陰の教育によって浸透していった彼の志だろう。

 日本を憂い、「このままじゃいけない、自分たちがこの国を変えるのだ」と行動を起こし命すら捧げた吉田松陰。弟子たちはその本気の志に感動し、次々と立ち上がっていく。吉田松陰の遺伝子を受け継いだ者たちの行動が、鎖国によって眠り続けていた日本の国を揺り動かしたのだ。

奪うことができないものは志である。
滅びないのはその働きである。

出典:吉田松陰-名言
 まさにこの名言通り、吉田松陰が死した後も彼の志は奪われずに弟子たちの間で働き続けた。明治維新の大きなウネリができた一因に、吉田松陰の存在があると言っても過言ではないだろう。

時代を超えて今も輝く、吉田松陰の数多くの名言

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 前述の通り、吉田松陰は今でも日本国民から愛され、尊敬される日本の誇る教育者だ。吉田松陰の人生や名言を描いた本やテレビ番組などは数多い。

 ここまで6つの名言を紹介してきたが、もちろん吉田松陰の名言はまだまだ数多い。さらに深く知りたい、という方にはぜひ書店で彼に関する書籍を手に取ってほしい。

 ここで筆者が特におススメしたいのが、『覚悟の磨き方』だ。この本は吉田松陰の生前の名言176個が現代語訳と著者の解説によってまとめられた一冊である。

 彼の名言に触発され、現代における弟子がますます増えていくことだろう。



 生前5度も投獄された吉田松陰は、社会的に見れば犯罪者といって間違いないのだが、その人生は多くの人に影響を与え、勇気を与え、行動を起こさせた。名言や逸話を見て学ぶべきは、その吉田松陰の異常性だろう。常識に捉われず自分の信念を貫くその姿や名言が、多くの人の心を動かし続けるのだ。

 日本の誇るクレイジーな教育者の生き方から私たちが学ぶべきことは、まだまだ沢山ありそうだ。

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