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スローライフの本質的な意味に迫る:古典的名著・ソローの『森の生活』を読み解く

Erika Muranaka

2015/11/28(最終更新日:2015/11/28)


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by けんたま/KENTAMA
 最近耳にすることも多いスローライフという言葉。なんとなくの意味はイメージできるが、その意味を明確に説明することは難しいという人も多いのではないだろうか。スローライフの言葉的な意味は、ゆっくりとした暮らしといったところだろう。しかし、ゆっくりとした暮らしという意味を表すスローライフという英単語があるわけではない。スローライフは、Slow  livingに相当する和製英語で、スローライフという言葉は、生活様式に関する思想の一つを意味している。

スローライフという思想の起源

 スローライフという生活様式に関する思想とは、大量生産・高速型のライフスタイルに対して、ゆっくりした暮らしを提案するものである。スローライフという考え方は、1980年代にヨーロッパで起こったファストフードに反対し、伝統的な食文化を評価するスローフード運動から派生した。

 日本でスローライフという言葉が使われるようになり、その思想的な意味が認識されるようになったのは2001年頃からである。スローライフという思想の意味を識者たちが模索しはじめたのをきっかけに、静岡県掛川市の榛村純一市長が「スローライフシティー」を公約に掲げて再選を果たした。2002年には掛川市で「スローライフ月間」が開かれ、その後、「スローライフ月間」は各地で開催されるようになっていく。

現代社会とスローライフの持つ意味

 スローライフという思想の意味が認識され始めるようになると、それはどんどん広まっていったのである。それは、現代の大量生産・高速型のライフスタイルに対して、人々が違和感を抱くようになっていることと深く関連している。人々はスローライフという言葉の意味を模索するようになっている。

 実際に、あなたも現代社会のライフスタイルに疑問をもつことがないだろうか。そして、なんだか理由も分からずに疲れてしまっているとしたら、それは現代社会の抱える問題と関係があるのかもしれない。スローライフという思想は、そんな自分の内にある問題を解決に導こうとする思想の一つである。

スローライフの意味を体現したソロー

 私たちの感じている問題と同じ問題を、150年以上も前に既に感じ、その問題を解決する術を求めて森で生活を始めた人物がいる。それがここで紹介する『森の生活』の著者・ソローである。当時はまだスローライフという言葉によって、それを意味する思想が明確にあったわけではない。しかし、ソローの森の生活はスローライフの意味の一端を体現している。森の生活から得たソローの思索をたどることで、スローライフの意味に対する理解を深めることができる。

 現代の生活の問題に対してスローライフという思想はどのような答えをもたらしてくれるのだろうか。ここでソロー著『森の生活』を紹介することで、スローライフの本質的な意味に迫っていこう。

ソロー著『森の生活』

なぜ森の生活を始めたのか

 ソローはその理由を「人生そのものに向かい合いたかったから、死ぬときになって自分がじつは生きてなかったということを発見したくはなかったから」と述べている。ソローは生活をしていく中で「なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか?」という問題意識をもった。

 私たちは新しい物事、新しいニュースを知ることばかりにかまけている。しかし、ニュースなどは、ごくわずかな例外を除けばほぼ全てゴシップであり、物事の原則さえ知ってしまえばあとはとるに足らないものである。それにもかかわらず、そのような必要とはいえないものばかりを追い求めつづけ、人生そのものには目を向けていない人々が決して少なくない。  

 人生の真理は宇宙のどこか彼方にあるのではない。崇高な生活は、いま、ここにある。どうでもよいことに気をとられずに、事実を真っ向から見つめればそれで良い。その生活の可能性をソローは森の生活に見出した。「自然」そのもののように過ごし、実在そのものを見つめようとしたのである。

人間の苦労は誤解から生まれる

 ソローは「人間の苦労は誤解から生まれる」と言う。人々は本当は必要でないものを必要であると信じてそれを求めることにあくせくしてばかりいる。生活必需品である少数のものは、実は、わずかな費用で手に入るものばかりである。

 しかし、人々はそれで満足せずに様々な贅沢品を求めているのだと。部屋がいくつもある家は必要なのか。華美な服装は何のためなのか。それらを求めるからこそ厳しい労働が自分に課されるのではないか。あなたの欲しているそれは本当に必要なのか? それを得るために己が払っている犠牲を理解しているのか?とソローは問いかけてくる。
 
 例えば、住宅。風をしのぐだけであれば、大きめの丈夫な箱に空気の通り穴を数カ所開けただけでも十分である。その蓋を閉め、掛け金をかけてしまえば、そこが自由な空間になる。家賃の督促もない。しかし、もちろん人々はそんな暮らしを選ばない。何十年もの労働を強いられることになっても、立派な家を求める。こうして、家とは何かということを考えずに、他人も持っているから自分も持たなければならないと思い込み、しなくてもいいはずの貧乏暮らしを一生強いられていると。

本当に必要なのは内面に目を向けること

 そして森の生活によって、このような誤解から離れ、ソローがたどり着いた答えがある。人は自分の生活に限界の柵をすぐに設けてしまう。しかし、人の内面には果てしない領域が広がっている。これと比べれば、実際の世界などちっぽけなものだ。

 世界を旅し、さまざまなことを発見するよりも、この内面をこそ探求していくべきである。常識などどいう劣った認識にとらわれることなく、自分が確信できる真理を見つけること、これこそが重要なのである。たとえ生活がいくら貧しかったとしても、その生活を愛し、ありのままに生きれば、楽しく素晴らしい時間はある。「魂の必需品」を手に入れるのにお金はいらないのだとソローは言う。

『森の生活』から見えてくるスローライフの本質的な意味

 ソローが生きた時代には、まだ、大量生産化・高速化していく社会に対しての人々の問題意識も低く、「スローライフ」という思想は提言されていなかった。その意味を求める人々もそんなにはいなかったのだ。しかし、ソローの提起していた問題は、まさに、現代社会に生きる私たちの抱える問題意識と同じである。その答えの一端を見出した『森の生活』には、現代において提言されているスローライフの本質的な意味のエッセンスがちりばめられている。

 ソローは『森の生活』において、物質的な贅沢や、毎日の瑣末なゴシップにまどわされずに、自分の内面に目を向け、心を豊かに生きていくことが一つの道だと示している。スローライフという思想の中で、明確に同じ意味のことが言われているけではない。

 しかし、現代社会のライフスタイルの中で生まれている問題に対して、答えを求めようとする思想の一つであるスローライフの意味を本質的に突き詰めていけば、自分の心を見つめることが、それを体現する近道といえるのかもしれない。

 
 現代社会の大量生産・高速化を前提としたライフスタイルを全て捨て、ソローのように森で生活することは難しい。ソローも人に森の生活を強制したいわけではない。スローライフという思想も、全てを捨てた森の生活を意味しているわけではない。今置かれている生活の中でも、ソローが言うように、内面を見つめ、探求していくことさえできれば、自分にとって本当に必要なことが見えてくるかもしれないというのだ。

 現代の大量生産・高速化した社会の中で、必要以上に働き、苦労し、心を痛めてしまっている人にとって、スローライフの思想に触れ、その意味に迫っていくことは、現状を打開する突破口を見つける一助になるのではないだろうか。スローライフの意味に迫っていくことで、自分の仕事の意味、生活の意味、人生の意味に気づくことができるかもしれない。その意味に気づくことができれば、今抱えている余計な苦労を取り除けるかもしれないのだ。

 『森の生活』を読めば、自然とスローライフの本質的な意味に迫っていける。自ずと自分の人生の意味を問うことになるだろう。今のライフスタイルに疲れを感じている人は、『森の生活』を読みながら、自分にとって、本当に必要なこと、自分の望むことに思いを馳せてみることをおすすめする。



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