1. 実存主義の申し子・サルトルの名言から考える “自由とは何か”:「人間の運命は人間の手中にある」

実存主義の申し子・サルトルの名言から考える “自由とは何か”:「人間の運命は人間の手中にある」

by invisible consequential
 20世紀の哲学者ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の名をご存知だろうか。サルトルは実存主義(英:existentialism)の申し子とも呼ばれたフランスの哲学者で、1964年には栄えあるノーベル文学賞を受賞するも、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言い放ち、これを辞退。自らの意思でノーベル賞を辞退した初めての人間でもある。

 サルトルの思想は実存主義の中でも「無神論的実存主義」と呼ばれ、「実存は本質に先立つ」と主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っている。神の存在を重要視しない(決して否定しているわけではない)サルトルの思想は、中世の哲学者と違い、日本人にも受け入れやすいものであろう。

 今回はそんなジャン=ポール・サルトルの名言にスポットライトを当てていこうと思う。取り上げたいテーマは「自由とは何か」。実存主義の申し子であるサルトルは、自由というものに対してどのように考えていたのだろうか。まずは、サルトルという人間についての簡単な紹介から始めていこう。

20世紀の哲学者 ジャン=ポール・サルトル

by Cea.
 これは筆者の個人的な推測の域を出ないが、この先の世界には偉大な哲学者というものは生まれないのではないだろうか。これに対する明確な根拠はないが、物に溢れ、交流に溢れたこれからの世界で、哲学というものが如何ほどに権威を振るえるのか。

 人が思考することに、生きているという実感に鈍化していく中で、20世紀以前に実在していたような偉大な哲学者は誕生しない。そう思えてならない。

 哲学という学問を正確に定義することは難しいが、現代分析哲学の権化として名高いルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは哲学についてこう分析している。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。

出典:ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

 本記事で都合の良い部分だけを切り取らせてもらうとすれば、哲学は「人の思考を究明し、明晰化(言語化)する」という役割を果たすのだ。人が森羅万象に対して、どのように考えるかを探求し、言葉にする。その担い手こそ、哲学者という人間なのだ。

 そして、ジャン=ポール・サルトルもそんな哲学者のひとりだ。人類最後の哲学者と言ったら尚早だろうか。サルトルの思想は実存主義という思想の中でも無神論的実存主義と呼ばれており、神という存在に依存しない哲学を展開する。

 故に、欧州や北米ではアンチ=サルトルも少なくない。とはいえ、今の北米に住むキリスト教徒の中で、安息日である日曜に教会へ行く人間が何人いるかご存知だろうか。100人中5人だ。「思想離れ」が叫ばれる日もそう遠くはないだろう。

実存主義について

 ここでは「実存主義」というものについて簡単にご紹介。

実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる。

出典:実存主義 - Wikipedia

 実存主義とはつまり、「人間を思考の中心に置いた上での哲学的解釈」と言えるのではないだろうか。そうすると、サルトルの遺した名言「実存は本質に先立つ」という言葉と、サルトルの思想が「無神論的」と呼ばれる理由も自ずと見えてくる。

 つまり、サルトルは社会に生きる人間が必然的に保持している魂という本質よりも、人間という存在そのものを優先したのだ。中世以来のキリスト教社会が持っていた哲学的思想を真っ向から否定したわけだ。

 しかし、神や魂といった本質ばかりに目を向け、自ずからを第二の存在としていては本当の現実を解釈することはできない。現実に現実を持って解釈することこそ、サルトルの興した無神論的実存主義なのだ。そして、そこから見えてくるのがサルトルの持つ「自由」に関する思想なのだ。

サルトルが遺した五の名言に学ぶ「自分と人生」

哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言 #1

すべての答えは出ている。どう生きるかということを除いて。

出典:ジャン=ポール・サルトル - 名言
 「Mors certa, vita incerta」というラテン語の諺がある。これは「死は確実、生は不確実」という意味。人間の生きた先に待つのは死で、これはひとつの明確な答えだ。死の他にも、私たちの人生には答えが溢れてる。高校を卒業し、大学を卒業すること。サラリーマン人生もあと何年かで終わること。だが、その中でどう生きるか、というものは自分が決めること。サルトルの名言が伝えるのは、この「どう生きるか」という言葉に集約されている。

哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言 #2

人間は状況によってつくられる。

出典:ジャン=ポール・サルトル - 名言
 これはサルトルなりの皮肉を込めた名言ではないだろうか。少なくとも、筆者はそう感じた。社会という檻に閉じ込められると、人はそこに順応しようとする、それも無意識の内に。「つくられる」のではなく、「つくられてしまう」そんな思いをサルトルはこの名言に込めたのではないだろうか。

哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言 #3

もっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。

出典:ジャン=ポール・サルトル - 名言
 時に、「生まれ変わったら……」とか「あの時代に生まれたかったな……」なんて言葉を耳にするが、こういった阿呆な言葉には甚だ疑問を感じる。確かに私たちに時代や生まれ、家族を選ぶ権利はない。だが、それを嘆いてどうなる。願えば、目の前の景色は変わるだろうか。サルトルが無神論者と呼ばれるのも頷ける。ただ、若輩者ながら筆者もこういったサルトルの思想には大いに同意する。現状を打破するのは祈りでもなければ、哀願でもない。目の前の現実に向き合うことではないのか。

哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言 #4

ひとりひとりの人間が、究極の絶対的な自由を持っている。

出典:ジャン=ポール・サルトル - 名言
 神を重要視しないサルトルの言葉に「人間は自由という刑に処せられている」というものがあったが、何もサルトルは「自由」というものを否定しているわけではない。それを享受する姿勢は崩さない。人は常に自由だ。どうやって生きるも、どうやって死ぬも、それは人それぞれの自由な選択の先にある。サルトルは哲学者になり、こうやって後世の私たちにも知られるひとりの人間になった。それが自由な選択の先に生まれた結果であることは間違いないだろう。

哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言 #5

人間の運命は人間の手中にある。

出典:ジャン=ポール・サルトル - 名言
 結びに、これらの名言を総括するようなサルトルの名言をひとつ。「運命」という言葉は、時にマイナスなニュアンスで用いられることがある。「こうなるのが自分の運命だったんだ」なんてセリフが映画ではよくあるが、それは選択の結果でしかない。確かに、選択には限界がある。生まれや天賦の才に選択の余地はない。だが、その先で道を切り開くのは、運命ではなく、自由な選択肢の数々だ。責めるなら神ではなく、己の所業を責めろ。運命というものが存在するのは、そうやって人が言い訳の認識として都合よく用いているからではないだろうか。


 ここまで、ジャン=ポール・サルトルという人間が後世に遺した5つの名言を一緒に解釈してきたが、哲学者の生み出す言葉は多角的な捉え方ができるものでもある。つまり、答えはひとつではなく、それを読んだ人の思考によって変わってくるのだ。
 
 サルトルではないが、古代の偉大な哲学者・ソクラテスは「無知の知」という有名な言葉を遺している。神は全能であるが故に知の探求をすることはないが、人間は不完全であるが故に知を探求することのできる生き物であると。

 そして、「無知とは知識がないことではなく、疑問が持てぬこと」という言葉も遺している。これは何よりもまず、自分が無知であることに気づくべきだということ。それができない人間こそ、最も無知な人間であると。

 サルトルの哲学はあなたの思考に火を灯しただろうか。何よりもまず疑問を持ち、思考すること。それが人間の、生物としての最も重要な機能なのではないだろうか。

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