1. キンコン・西野、嫉妬の的はディズニーランド!? 気鋭のクリエイターが語る「俺たちの“アート論”」

キンコン・西野、嫉妬の的はディズニーランド!? 気鋭のクリエイターが語る「俺たちの“アート論”」


アートディレクター、映像作家、絵本作家。「アート」と深く関わる3人に、真面目にアートの話を聞く! という企画だったのだが、話は思わぬ方に広がっていき……。

後にも先にもこれだけ、ここでしかみられないぶっちゃけたアート論をお送りする。

西野亮廣 プロフィール

にしの・あきひろ/漫才コンビ「キングコング」。絵本作家。1980年、兵庫県出身。芸人として活躍する傍ら、絵本作家や俳優としても才能を発揮。最近では自身が校長となり、さまざまな人をゲストに授業を披露する「サーカス!」を主催し、今年秋にも開催予定。また今夏には個展を、15年8月1日には日比谷公会堂で独演会を開催。

田中紫紋 プロフィール

たなか・しもん/映像作家、デザイナー。1979年神奈川県生まれ。 武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科卒。「BABYMETAL」のアートワークやCM、「報道station」をはじめとするテレビ番組の映像制作など、数々のクリエイティブで知られる。

千原徹也 プロフィール

ちはら・てつや/アートディレクター、グラフィックデザイナー。1975年、京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなどデザインのジャンルは多岐にわたる。 主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。また、近年はラジオパーソナリティ、アーティストのMVやCMの監督など、さらに活動の幅を広げている。

アートの入り口は「性欲」だった!?


――今回お話いただきたいテーマが「アート」なのですが、ズバリ、3人は「アート」という言葉に対して、それぞれどんなイメージを持っていますか?

田中 いきなりテーマが大きすぎるでしょ(笑)。

西野 僕はですね……正直、「鼻につく言葉やなー」と思っていました。もともとは吉本新喜劇や、漫才、コントとか、そういう分かりやすいものが好きだったはずなんですけど……気づいたらタッチしていましたね(笑)。

千原 「気づいたら」っていつ頃からだったんですか?

西野 小学生のとき、学校で女子としゃべっている男子を「女子としゃべんな」ってからかったりして硬派を気取っていたんですけど、中学2年になった途端、えげつない性欲が出てきまして(笑)。友達はエッチな本やビデオを貸し合ってたけど、僕はそのキャラクターのせいで「貸して」って言えなくて。お金もないから買うこともできないし、もう「これは描くしかない」と思って、女性の裸をずっと描いて自慰行為をしていた。エロの自給自足です(笑)。それが絵を描き始めたきっかけですね。

(一同爆笑)

田中 でも、気持ちはよく分かります。僕も小学校のときに、女の子の気を引きたくて可愛いキャラをさり気なく描いていたし。それに並行して男子ウケする鳥山明さんの模写をすることで、クラス内での地位を固めてました(笑)。

千原 僕はちょっと違いましたね。子どもの頃から絵は描いてましたけど、下心はなかったし、それをコミュニケーションの手段にはしてなかったですね。小学1年から中学2年まで「キン肉マン」好きが高じて、キン肉マンの別ストーリーを描いていただけなんで。

――6年の長期連載! それは千原さんひとりで描いていたんですか?

千原 いや、小学4年生のときに僕の趣味を理解してくれる友だちができたんです。そこからは週に一回、15ページの漫画を交換していました。ちなみにそいつ、現在はゆでたまご先生のアシスタントです。

田中・西野 すげー(笑)!

西野 僕はエロ目的で描いたので、自分が興奮するために急いで画力を上げる必要があったけど、千原さんはなんでそんなに頑張れたんですか?

千原 「キン肉マン」に対して「もっとこんな感じにせんかい!」というストレスがあったんです(笑)。おもしろかったけど、ジェロニモが悪魔将軍に技をかけられている最中に、客席に声を上げているジェロニモが登場していたりと、ツッコミどころが多くなかったですか?

田中 たしかに。描いたマンガは誰が見るんですか?

千原 僕とその友人です。お互いをあえて「先生」って呼んだりして、自分たちも漫画家の先生と同じ立場であるかのように振る舞っていました。

田中 そのシミュレーションはなかなか小学生じゃできないよ!

「技術」がなくても、「ひらめき」があれば勝負できる


――入り口はおもしろいくらい三者三様ですね。仕事としてアートに関わったきっかけはそれぞれどのタイミングだったんですか?

西野 僕は中学2年からエロい絵を描きはじめたんですけど、3年に上がったとき、素の自分を周りに見せたので、そこから絵を描く必要がなくなった(笑)。

――カミングアウトしたんですね(笑)。

西野 そう。で、その後、紆余曲折あって芸人になったんですが、20歳のときに『はねるのとびら』という深夜番組がスタートまして。この番組をゴールデンに持って行ったらスターになれると思って一生懸命頑張ったんだけど、ゴールデンに進出して視聴率20%を取っても、生活がよくなっただけで、一向にスターにはなれなかった。

打席もたくさんもらってるし、バットも振らしてもらってる。それでもホームランを打てないという状況を「ヤバいな」と思ったとき、「30〜40歳になってもしれっと芸能界にいるヤツ」になっている未来が見えまして……。そこで何を思いついたのか、相方と僕らの世話をしてくれている吉本興業のスタッフを呼んで、「今出演している番組は一応やるけど、これからひな壇・グルメ番組・クイズ番組にはもう出ない」って言っちゃいました。

千原 それは「はねとび」全盛期?

西野 そうです。25歳くらいのとき。そうしたら週5日くらい休みになって(笑)。「言うんじゃなかったな」と思ってたら、タモリさんに呼び出されて「お前は絵を描け」と言われたんです。

「笑っていいとも!」に出演していたとき、タモリさんにだけ見えるようにフリップの裏にエロい絵を描いてたんですよ。それを見ていたタモリさんが声をかけてくれて、「じゃあ絵本作ろうか」という話になった。

田中 生放送でエロい絵を描くって相当スリリングですね。

西野 急にフリップを裏返しにされたり、後からカメラが回っていたら、確実に僕の芸人人生は終わってた(笑)。

田中 僕は基本的に、女子にモテたいという動機は変わらなかったかな。いろいろあって美大を目指すことになったんですけど、多数の学科があるなかで、オシャレだからという理由だけでデザイン科を選んだし。

西野 一貫してますね。

田中 でも、浪人時代は絵を描くことが本当に楽しくなって、受験戦争は苦もなく過ごしましたね。人がなにかを物を作るときって、誰に見せるかを設定すると思うんですけど、僕が大学時代に相手として設定していたのは友だちだった。

あくまで個人的な意見ですけど、教授に評価されるっていうのは、大学では意味ないなと思っていて、同世代の人間にウケるものがいちばん正しいと思ってました。最後の卒業制作だけは不特定多数に届けたいと思って取り組み、それが「報道ステーション」の仕事へとつながっていくんですけどね。

西野 じゃあ、卒業制作を通じていきなり大きい仕事をもらえるくらいになったってこと?

田中 卒業制作から「報ステ」仕事までは1年の間隔があって、その間は制作会社に勤めてたんですけど、この案件を終えた直後に「今後はフリーで食べていける」と思って退職しました。でも半年間は仕事がなかったですね(笑)。

千原 僕はさっきの話の延長になるんですけど、中学2年のときにその友人が転校してしまったことや、中高生特有の「スポーツをやっている人がモテる」みたいな流れもあって、「キモい」とかいろいろ叩かれたり、漫画が描いてあるノートを取り上げられてタライ回しにされたりしましたね。

西野 ひどいことすんなぁ。

千原 それが辛くて絵を描くことを辞めて、それから自分を見失ったんですよ。だから高校生の頃、自分が何をやっていたかをまったく覚えていない。大学も何も考えずに経済学部に入りましたし。

西野 また……経済学部ってあたりが(笑)。でも、中学3年生からの4年間ってめちゃくちゃ多感な時期じゃないですか。恋愛経験はなかったんですか?

千原 彼女は20歳までいなかったですねぇ。でも、大学に入ってやっと趣味の合う友だちができて、そいつとライブや映画を見に行くうちに、自分が改めて絵や映画、漫画が好きだということを思い出してきた。そこから「就職するなら絵を描けるところがええな」と思い、知り合いの紹介でデザイン会社に入ったんです。

――デザイン会社ってそんな簡単に入れるものなんですか?

千原 普通入れないと思います。でも、紹介だけしてもらって面接に行ったら「かなり忙しいから明日から来て」と言われて、東京で作られたマクドナルドのクーポン裏面をひたすら関西版に直す仕事が始まりました。

「何日まで」とか、「泉佐野店でのみ有効」とか、「◯◯店ではオレンジジュースは販売しておりません」とか。そういうのを打ち込んでいた。自分がアートやデザインなんかできると思ってなかったし、一応肩書きはデザイナーやったからそれでいいと考えてましたね。

田中 その仕事はどのくらいやってたんですか?

千原 5年くらいですね。あるとき、書籍をオフィスに売る営業の人が、デザイン本なんか一切置いてないうちの会社に来て、「ADC年鑑」とかTDC年鑑」を「一週間置いていくので買うなら言ってください」と貸し出してくれて。それがおもしろくて読みふけったんですよね。

特に佐藤可士和さんが手がけた「S map~SMAP014」に惹かれて、「技術がなくても、閃きひとつで出来るんや。じゃあ、自分でもできるかもしれない」と思って、28歳にして上京しました。

西野 でも、28歳ってスタートとしては遅いですよね。

千原 めちゃくちゃ遅いです。最初に面接行った会社の方なんて目も合わさず「俺はもう27歳の時に独立してたけどね〜」って言われたり、バイトで入れてもらったデザイン会社でも、周りが24〜25歳の人ばっかりで「できへんおっさんが来た」という接し方をされていました(苦笑)。

プロダクトにではなく「思い出」にお金を払う


――近年はSNSを使って若手からベテランまで、すぐにアーティスティックな表現に携われますし、何でも発信できる時代になっています。3人は「誰に向けて、どう発信する」ことを意識して活動していますか?

西野 僕が最初に絵本を作ったときは、「絵本描くタレントとか嫌いやわー」って言っていましたし、自分でそれを発言したからには、絵本作家さんにも勝たなきゃいけないと思っていました。だから、誰に向けてという対象はなかったかもしれないけど「プロに勝つ」という目標でやっていたところはありますね。

ーーいきなりハードル高いですね!

西野 そうなると、勝てる部分って、副業でやっているからこそ、どこまでも制作期間を伸ばせることだけやと思い、0.03mmのボールペンであえて時間がかかるように絵本を描いた。1冊目は4年かけて140ページくらいのものを作りましたね。

千原 でも、それぐらい極端なほうがいいのかもしれない。

田中 とはいえ、そんなに時間かけたら、最初に描いた絵と最後に描いた絵のタッチが変わりませんか?

西野 そう、全然違うんですよ(笑)。でも、逆に1冊でこんなに画風が変わっていくものも珍しいから、それはそれでアリかなって。

――対絵本作家に向けて作ったのが絵本だとすると、個展はどういう目的で開催したんですか?

西野 1冊目は「これは100万部売れる!」って本気で思っていましたけど、3万部しか売れなかった。絵本では結構売れているほうなんですけど、これはダメだと。2冊目は、クリスマスの話をちょうど思いついたので、あざとく売れるようにクリスマス時期に発売設定して。

千原 なるほど。

西野 でも、これがまた2万部しか売れなくて。次第にスタッフなど関わる人が増えていったときに「ここまでやって売れないのはカッコ悪いな」と考えるようになった。でも編集者の方が「今は本が売れない時代だから……」とつぶやいているのを聞いて、「本を本として売らず、「売れたらラッキー」と考えるようになり、SNSを使って170点くらいある原画を無料でリースしました。

手を挙げてくれる人がいれば、中学生からサラリーマンまで、「個展でもなんでも勝手にやってください。その代わり出口で絵本置かせて欲しいです」と条件つきで送ったら、原画展での絵本の売り上げが伸びたんです。原画展に来てくれた方は、お土産として絵本を買ってくれるのに気づいて、本を本として売る方法と、本をグッズとして売る方法があると確信しました。

千原 絵本が「原画展行ってきたよ」っていう証明になるんですね。思い出の品というか。僕も映画のパンフレットとかは結構買っちゃいます。

西野 そう! みんな本に1500円払うのは渋るのに、映画や舞台のパンフレットに1500円払うのはそんな抵抗ないですよね。あんなぺらっぺらなの、本屋に置いてあったら絶対売れないでしょ(笑)。だから、商品っていうより、思い出にお金を払うって感覚なのかなぁと。

田中 ライブの物販が異常に混むのもそういうことなんでしょうね。僕がアートワークを担当している「BABYMETAL」は、会場を一周するくらいの行列ができるのもざら。

西野 すげー!

田中 絵本の場合だと、最終的に手もとに残ったものを見てまた原画展を思い出せますからいいですね。いまもその手法を続けてるんですか?

西野 海外の場合は自分でスタッフを集めて行うんですけど、基本は先ほどの手法を継続してます。個展を一週間でもやれば、絵本が400〜500冊売れるので、半永久的にやりたいなぁと。

田中 でも、そうすることによってキングコングを知らないようなおじいちゃんが原画展に行き、絵本を子どもに買っていくという出来事も起こったりするんですよね。それってすごくいいなぁ。

「絵」は全世界の共通語になる


西野 絵のいいところって、「説明がいらない」ことだ思ってて。

先日、ニューヨークで独演会を行ったんですが、そこに来てくださった方は、2014年にニューヨークで開いた個展のお客さんが多かった。もともと僕には何の興味もなかった人が、絵を見て「こんな絵を描くヤツは一体どんなことをしゃべるのか」という気持ちで集まってくれて。絵を先に行かせることによって、“西野亮廣”という存在を宣伝してくれるから、ライブの動員もおのずと増えました。

千原 絵があると分かりやすいですよね。僕は普段、アートディレクションをやっていますが、企業へのプレゼンを行う際、「今、世の中がこういう社会で……」とか言っても「ふーん」という感じで聞かれるんですけど、絵を見せたら「わぁ!」っと沸き上がったりする。だから、絵がどこまで魅力的かどうかで、伝わる印象も変わると思います。

田中 僕、最近打ち合わせで話しをしながら落書きをしていて。僕の手もとにどのくらい視聴率が集まるかを実験してるんですけど、結構、視聴率がいい(笑)。ふつうの文字のメモとかだと絶対に見ないのにね。

――絵そのものが持つ訴求力の強さや、絵やアートには共通言語的な要素があるんだなと改めて認識できますね。

西野 そうそう。だから絵本を出したときの取材でも、絵を大きく扱ってほしいから、なるべく口数を減らしています(笑)。

(一同爆笑)

――一方で、西野さんは主催イベント「サーカス!」で、言葉で説明することの大切さを教えていますよね。両方の表現を突き詰める方はなかなかいないと思うのですが。

西野 僕はね、最終的に街を作りたいんです。ウォルト・ディズニーを本気で倒したいから。

千原 もう倒れてますけどね。

西野 ご本人はね(笑)。ディズニーランドに行くと、最初は楽しくても、途中からすごいジェラシーが湧いてくる。なんとか日本発で、ああいうことができないかと考えたりします。

千原 ディズニーランドにジェラシーはキテますね(笑)。

――では、千原さんと田中さんがジェラシーを感じる表現って?

田中 番組やデザインなど、自分の手の届く範囲の場合は敏感かもしれない。僕は、ジブリとかピクサーの作品を見るとヤキモチを妬きますし、うまい漫画家さんを見るとアラを探したくなる。

千原 僕はおもしろい映画とかに対してジェラシーを感じるし、「スターウォーズ」を見ると、憧れと悔しさの両方を味わいます。この間、「スターウォーズ」の映画を観ていたら悔しくなってきたので、奥さんに「会社辞めてアメリカ行って、J.J.エブラハム監督のところに弟子入りして、スターウォーズの次の作品から入れるように頑張ろうかな」って言ったんです。頑張ればいける気がして。

西野 えー! ちなみに奥さんはなんて?

千原 「そっちのほうがおもしろいんちゃう?」って(笑)。

西野 なにそれ! めっちゃいい奥さんですね!

いいデザイン→ヒット→消費されるループが大きなジレンマ


――芸術家と社会活動は結びつきの深いものだという印象があるのですが、3人はどう考えますか?

田中 別にいいんじゃないですか。でも、「アートで社会貢献します!」ってあからさまなものは引いてみてしまうかも。

千原 うん。結果的に社会貢献になるというのがいちばんいい形なんだと思います。「社会貢献のためにアートをやろう」という考え方に至ってしまうのは見当違いに感じますね。

田中 でも、子供たちに教えるワークショップとかはすごく共感できる。子供の将来や経験のため、が根底にあるから。あと、チャリティーオークションのようなものもいいと思いますよ。ただ、「デザインで世界を救う」という考え方や思想はよく分からないかなぁ。

千原 アートで社会活動っていう風潮は確かに多いけど、実は僕らが仕事で関わっている広告デザインって、基本的に“消費を促すもの”だと思うんです。

以前、中島英樹さんが缶コーヒーのデザインを手掛けて「いいデザインができた!」と思っていたそうなのですが、後から「俺はこんなに捨てられるものを世の中に発信しているのか」って自責の念に駆られたらしい。そこの葛藤ってすごく共感するんですけど、僕らはそれを言い出したら何もできなくなってしまいますよね。

売れて初めて「アート」と呼べる


――でも、それって消費される=売れているということでもありますよね。表現者のなかには、「売りたい、世間に認められたい」という気持ちが強い方もいれば、「貧乏になってでも今やっていることをとにかく突き詰めたい」といった考え方もあるように思います。

千原 でも最終的には、やっぱり売れないと「アート」を続けることもできない。だから、西野さんが言っていた「100万部売る」という気持ちってすごく大事だと思うんです。商業としても成立していないと、ただ「アート」って言っているだけのヤツになる可能性があるから。

西野 ただ言っているだけの人はいっぱいいますからね。

田中 「売れなくてもいい」という考え方でものを作ったらどうなるか、じっくり考えてみたいですね。最近よく思うんですけど、あの有名なピカソが晩年のキュビズムにたどり着くまでに何を考えていたのか推察すると、どうも“売ることを前提にしている”ような気がするんですよね。あくまでも主観ですけど。

西野 「俺は売れなくてもいい」って言うなら、売れてから言いたいですよね。

僕もいち表現者として、お笑いの単独ライブで漫才を7本やるとき、6本は絶対笑わすネタを入れるけど、1本くらいは「ホンマにごめん、これだけはやりたい」と押し通して演じるときがある。でもそれが7本続くのはお客さんの不満を生むだけやし、そういうのを放り込むなら、ちゃんとウケるものもないと説得力がないと思うんです。

だから、自己満足の延長線上の「売れなくてもいい」という考え方は好きじゃないですね。

千原 そこはいちばん難しいところですよね。友人にレディー・ガガの靴を作っている人がいて、彼は商業的にも大成功しているうえで「売れないとアートって呼べない」と言っているんです。売れるってことが、人の心に届くことだからって。一方で、“お金に走っている感”がないほうが「アート」に見えたりする場合もあるし、結局はブランディングなのかもしれません。

「芸人」と「アート」は同じ意味を持つ


――では最後に、最初にした質問を再度お伺いします。結局「アート」って何なんでしょう?

千原 売れる売れない、っていう話もしてきましたが、でも、たとえば映画だと「これ、金のために作ったな」と受け取れるような、商業ベースがハッキリと見える映画は、アートじゃないと思う。

たとえば「スターウォーズ」はジョージ・ルーカスの「金がなくなってもいいからこれを作りたい」という気概が見えるから、それはアートだなと。だから多分、発信する気持ちの問題なんやと思います。

僕の仕事は「アートディレクション」なんですけど、依頼を受けたものに対して行っているもの……レシピ通りに作っているものなので、アートをやっている気分はまったくない。

田中 それ、本当に分かる。僕は仕事によって違うんですが、「BABYMETAL」の場合は依頼があるものの、基本的に好きにやっても大丈夫で。その上でOKかボツかを判定してくれるし、歌詞カードの挿絵は自分主導で描いているものが多いから、そういう定義でいくと、アートなのかなって思いますね。

千原 (CDジャケットを見ながら)アイドルなのに本人たちの写真が皆無ですね(笑)。

西野 さっき、千原さんが言っていた「レシピ通りにやるもの、商業ベースがハッキリわかるもの」がアートじゃないという考えは、芸人っていう言葉にすごく近いなと思ったんです。

――というと?

西野 「芸人」って、職業名であるからややこしくなっていますけど、高校を卒業して、みんなが進学校に行くなか、ひとり吉本興業に入っちゃうヤツとか、定年退職前で、あと何ヶ月か勤めたら退職金がもらえるのに、我慢できなくなって沖縄で喫茶店を開いちゃうおじさんとか、そういう人たちの“姿勢”のことを指すんじゃないですかね。

「えっ、そんなことをすんの?」とか「ダメだよ」と言われたことをやっちゃうみたいな、姿勢や生き様のことであって、音楽で言うところの「ロック」でもある。「アート」もそういう心意気を指すのかもしれない。


アートは芸人やロックと同じで、心意気のことーー。あくまでもひとつの答えだけれど、今回「アート」 で飯を食っている3人に話を聞いたことで、その姿が何となく見えた気がする。

目に見えるモノであって、そうでない。アートって摩訶不思議。だからこそ、おもしろい!

Interview/Text: 中村拓海
Photo: 三橋 優美子

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