1. 日本人は「何が分からないか」さえ分かっていない。安保法案に揺れる日本では今、何が起こっているのか

日本人は「何が分からないか」さえ分かっていない。安保法案に揺れる日本では今、何が起こっているのか


2015年6月4日の衆議院の憲法審議会で、参考人として呼ばれていた憲法学者3名がそろって、安全保障関連法案は憲法9条違反であるという表明をした。

にもかかわらず、7月16日には衆議院の特別委員会で本法案が強行採決。そして9月18日、大混乱の末に参院特別委員会にて安全保障関連法案が可決された。また19日未明、参院本会議でも可決され、安全保障関連法案は成立した。

今回は、首都大学東京法学系准教授、憲法学者の木村草太さん、映画監督の紀里谷和明さんをお招きし、日本ではいま何が起こっているのか、お話をうかがった。

木村草太 プロフィール

きむら・そうた/憲法学者。1980年生まれ、神奈川県生まれ。2003年に東京大学法学部を卒業し、そのまま同大大学院法学政治学研究科助手を務める。06年には26歳という若さで首都大東京の准教授に就任。15年3月からはテレビ朝日系「報道ステーション」のレギュラーコメンテーターを務める。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』、『憲法の創造力』、『憲法の条件ー戦後70年から考える』(大澤真幸氏との共著)などがある。

紀里谷和明 プロフィール

きりや・かずあき/映画監督。15歳で渡米、パーソンズ大学にて環境デザインを学ぶ。数々のアーティストのジャケットやMV、CM制作を手がけ、2004年に映画『CASSHERN』で監督デビュー。09年には映画『GOEMON』を発表。今年11月には自身初のハリウッド進出映画『ラスト・ナイツ』が日本で公開される。

日本人のほとんどが「憲法」の正体を知らない


――本日は、安保法案と憲法第9条の解釈、また、今後の日本について伺いたいと思います。

紀里谷 その前に、聞いていいですか? そもそも「憲法」って何なんですか?

木村 どんな団体にも、定款とか規約があると思いますが、日本という国の規約、それが憲法というものです。

紀里谷 じゃ、憲法と普通の法律とではどう違うんですか?

木村 階層が少し異なります。一般に、まず団体の規約があって、細かいことは団体規約のさらに下につくる。国のレベルで言うなら、憲法という基本的な規約があって、法律は憲法の枠の中で作られなければならないルールになっています。

紀里谷 だいたいの日本人は、そんなこと分かっていないと思うんですよ。みなさん、憲法9条を話題にしますけれど、そもそも憲法って何なのか、9条って何なのか、そこから分かっていない人が多い気がするんです。

木村 なるほど。憲法9条とは、日本という国の団体規約で「戦争はしない、戦争のための軍隊を持たない」、このように決められたものです。

1項は戦争放棄と武力行使の禁止、2項では武力行使のための組織、つまり軍隊を持たない。こういうルールになっているわけです。

紀里谷 なるほど。しかしながら、自衛隊というものがあるわけじゃないですか。それは、どういうことなんですか?

木村 これはダメっていう一般原則があっても、それを解除する例外規定があれば、例外が認められることがありますよね。

たとえば、刑法上で殺人や傷害は一切禁止されているわけですが、正当防衛や緊急避難の範囲であれば、傷害罪にあたる行為をしても違法性はないとされています。

紀里谷 憲法でそう決められているわけですか?

木村 そうです。憲法には、戦争放棄と武力行使の禁止、それから軍隊を持たないと書いてあります。

ただし、日本政府は「日本国内の安全を守る義務がある」と定める憲法13条もあるんですね。そのため、日本国内の安全を守る場合においては例外を認める規定があるので、自衛隊のような組織は憲法違反ではない、憲法9条の例外として特別に許容されている、というふうに政府は解釈してきたし、それが支持されてきました。

紀里谷 そもそも憲法って、誰が作ったんですか?

木村 建前と、実際に誰が作ったかは異なります。建前としては、憲法は国民全体で作ったということになっています。それはアメリカの憲法でも、ドイツの憲法でも、フランスの憲法でも同じです。ただし、憲法を実際に書いて会議で決めた人たちっていうのは具体的に特定されていますから、そういう意味では、1946年の第90帝国議会で作られたということになります。

紀里谷 それはアメリカから提出されたものですよね?

木村 アメリカが草案の基本となる部分を作りました。当然英語で書かれていますし、日本の法律のことをよく知らない人が作っているものですので、日本の法体系に合わせる形で政府がその案をベースに取りまとめました。これがいわゆる政府案です。

なので、アメリカの草案をベースに翻訳と調整を施した政府案というものが、日本国憲法のベースになっています。ただしその後、第90帝国議会でいろいろと修正が加えられています。

紀里谷 これも、そもそもなんだけど、その拘束力というか、何を根拠に僕たちは憲法を守らせているのかということになる。

憲法の存在意義や仕組みは、よく分かっています。しかしながら、誰が何の権限で生み出したのかがよく分からない。日本の場合だって、国民が支持した訳でもなく、戦争に負けてアメリカから提出された草案を元に憲法を作成されている。

国が何なのかという概念の話にもなるんですけど、その団体の一員としてなんで憲法を守らなくちゃいけないの?というそもそもの部分。そもそもを分かっていないのに、憲法改正がどうこうって議論は、端から見ていると不思議な感じがします。

木村 どういうところが不思議なんですか?

紀里谷 まず、多くの人が日本国憲法というものを分かっていないですよね。しかも、「憲法を分かっていない」と言えない人が大多数いる。「9条って何なんですか?」と言うことがはばかられる。そんな状態のままで議論が進んでいっている。

木村 日本人の方なら、条文を読んだことがなくても、憲法の内容をある程度知っていると思うのですが。どういう意味で分かってないということですか?

紀里谷 いや、自分も含めて、思っている以上に多くの人たちが憲法をよく知らないと思うんです。その状態で、議論が進んでしまっている現状をひしひしと感じます。

今日はいい機会なので、「そもそも」の部分を小学生でも分かるように教えていただきたいと思ってます。


――憲法は、そもそもなぜ守らなければいけないのかなどといったところですね。

木村 団体のルールです、と言えばわかりますか?

紀里谷 その団体のルールは、なぜ、誰が決めたんですか、ということですね。宗教だったら、教祖がいて、その元にルールが作られたというなら分かる。でも、憲法が先にあってその下に国のトップがいる。そもそも誰の権限で憲法は作られて、どうしてそれに従うことになったんでしょうか。

木村 たとえば、江戸時代に住んでいた人も同じ疑問を持つと思うんです。つまり、江戸幕府に従わなければいけないってルールが江戸時代の憲法だったわけです。江戸時代に住んでいれば納得できますよね。

紀里谷 それは、そもそも徳川幕府が戦に勝って誕生して、武力行使、暴力によって屈服させたという概念になりませんか?

木村 出発点はどんな国でもそうですね。アメリカも独立戦争で勝ったから、独立ができた。日本の歴史でも、明治政府が戊辰戦争で勝ったので、徳川幕府を追い出して新しい政権をつくることができたわけです。

そういう意味では、国の発端とは最初にそういう白黒はっきりしている闘争があって、そこに勝利した人が、自分たちが政府ですと名乗ることができる。

紀里谷 たまたま地理的状況でそこにいた人たちが、勝者の決定に従っていくということですね。そうするとアメリカが日本に勝ったから、憲法の種を植えましたっていうことですか?

木村 第二次大戦のときに、最後にポツダム宣言というものが突き付けられました。アメリカは「民主的な国家にしなさい」と要求してきたわけですね。明治憲法のままでは民主国家とはいえないので改めなさいと、ポツダム宣言に書いてあったんです。

紀里谷 明治憲法というのは何が問題だったんですか。

木村 たとえば、表現の自由の問題があります。明治憲法も表現の自由は保障していましたが、その保障の程度が甘い、低いと言われていて。

当時は帝国議会がOKを出せば表現の自由はいくらでも規制してもよいとされていました。映画は自由に作ることができなかったし、新聞紙法とか出版法というのがあって、内務大臣がダメと言った記事を新聞や本に書くことができなかった。

そういうルールですと、政府にとって都合の悪い情報は社会に流通しない。本当に社会に流通すべき文学作品、美術作品が作ることができない。そこで明治憲法の29条がまるまるなくなって、今の一切の表現の自由を保障する日本国憲法21条に替わったという経緯があります。

日本はなぜ憲法改正に踏みとどまっていたのか?


紀里谷 なるほど。では、憲法というものは、勝った人たちの理屈のなかで生まれたものとしましょう。そして、そのルールによって作られたのが議会ですね。で、行政をやっていく上で、時代に合わせて法律も変化させていくということですね。日本って一回も憲法改正したことないんでしたっけ?

木村 日本国憲法の文言の修正は一度もないです。

紀里谷 それって他の国と比べると稀有なことなんですよね? ドイツやアメリカは何度も修正していて、日本国憲法は一度も修正が加えられていない。それはなぜなんですか?

木村 二つ理由があって、まず憲法の内容が非常に抽象的で自由度が高いんです。一方で、ドイツの憲法は自由度が低い。

さらに、ドイツは連邦国家で、複数の国が集まって作られている、EUの強化版みたいなものです。連邦国家の場合には、日本だと地方自治法で規定していることを憲法でやらなきゃいけない。つまり連邦国家の州間条約のようなものなので、国と地方の役割分担を変えるときは全部憲法で書かなきゃいけないわけです。

紀里谷 なるほど。

木村 日本はそういう事情がないので、同じことを地方自治法の改正で対応できます。
それと日本国憲法ってだいたい1行とか2行で一つの条文が終わるのですが、ドイツの憲法は一つの条文が5行とか6行になることが珍しくない。そのため翻訳をすると、3倍くらいの量があります。

だから、日本では国会法とか内閣法の改正で済むことが、ドイツの場合は憲法改正をしなきゃいけなくなるんです。

紀里谷 日本の場合は、1個1個の柱が太いということですね。逆に言うと変えなくていいような自由度を持っていた憲法ということになりますね。

では、改めて、いま憲法9条が問題になっているということなんですけど、今何をやろうとしているんですか? 憲法改正はあきらめているわけですよね、政府は。

木村 政府というか政権与党はあきらめていますね。

紀里谷 憲法改正はできないから、政府は何をしようとしているんですか?

木村 日本の防衛のために必要な範囲、つまり日本が戦争を仕掛けられたときには反撃をすることができる、それ以上のことはできないっていうのがこれまでのラインです。
そうすると、日本は攻撃を受けていないけれど、他の国が攻撃を受けているときに、そこに日本が加勢しなくていいのかという問題があって。加勢をすべきだと政府は言っているわけです。

紀里谷 それは、日本がどこかから99%ミサイルが飛んでくると分かっていて、それでも先に撃たれない限りは攻撃してはいけないということですか?

木村 それは違います。戦闘態勢に入ったら、それを除去できるというのが国際法と憲法のルールです。武力攻撃の着手といいますが、実際打たれないと動けないというわけではありません。相手が攻撃態勢に入って戻れない状況になったら、その段階で日本も攻撃ができます。

紀里谷 つまり、日本が攻撃を受ける、受けそうなときは、日本は防衛できるわけですね。できないことは何なんですか?

木村 できないことは、日本は攻撃を受けておらず、友好国が攻撃を受けているときに、助けに行くことができないということですね。

紀里谷 一般論として、多くの人たちが、攻撃されても自分たちは撃ち返せないと思っているんじゃないでしょうか。だから、憲法を変えなきゃいけないという議論になってると思ってる人が周りで多い。

今僕が木村さんに聞いていることなんて、小学生レベルの話ですよ。それなのに、みんなの中からその部分が抜け落ちているから、一方で議論が白熱しているんだけど、多くの人たちが置いてけぼりになっちゃっている。

憲法って国民のためにあるのに、すごい矛盾してる。そもそも国家が機能しているのかどうかということさえ疑問に思います。国民が政治に興味がないというのもまずい話ですが、それも含めて国家って何なんでしょう?

木村 国家とは、みんなでルールに従う団体です。たとえば映画の世界でも、今から映画を作ろうというときに、その映画チームのルールって色々ありますよね。

紀里谷 でもそのときはみんなルールを分かっていて、参加しようという意思があります。企業であっても同じですよね。しかし国家とは、その中に「何の映画を作っているのかよくわからない」っていうスタッフがいたり、「今日は現場に行かない」とか、言うこと聞かないやつがいたりする。巨大な組織だから仕方ないって話になるわけですが。

アメリカなんか見ていると、国家という概念より、企業という概念が強くなってきちゃってる。巨大企業が国を動かしている。それ見ちゃってると、国家や憲法って何なんだろうって。

木村 紀里谷さんが映画を作っているときに、監督の意見とまったく違うことを言っているスタッフがいたらどうしますか?

紀里谷 それは追い出します。

木村 国の場合、それができないわけですね。領域に住んでいる人は強制的に参加しなければならないというルールですから、ルールに従いたくない人とも、一緒にやらなきゃいけないというものです。

どうやってそういう人たちを仲間に入れていくかということが、問題になります。叱りつけて理念を共有させるっていうのも一つの方法ですし、その人たちが何を思っているのかを聞いてみて、それを反映させていくのも一つの方法です。

紀里谷 分かります。

木村 紀里谷さんがおっしゃったのは、9条については、本当は日本の防衛について制限はないけれど、すごく制限があるように思ってしまっている人がいるということ。それであれば、きちんとルールを説明すれば済む話だと思います。

問題は、それを越えて日本のルールでできないことになっている、外国の防衛をお手伝いするということについて意見が分かれているということですね。

喫煙所で、本当は喫煙してもいいのに、タバコを吸っちゃいけない場所だと思い込んでいる人と、本当にタバコを吸っちゃいけない場所で吸おうとしている人がいるという話を分けて考えないといけないです。

紀里谷 では、そこに戻りましょう。第三国に行って支援する、戦闘に参加するということはなぜ必要だという議論になっているんですか?

木村 これは本当にいろんな議論があって、そのやりとりをやっている人の中でも意見が分かれているのでややこしい問題です。

問題は大きく分けて二つあります。一つは日本が安全でも、困っている人を助けに行かなきゃいけないという国際貢献的な理由ですね。

もう一つは、アメリカと同盟を組んでいるので、アメリカが戦争しているときに手伝わないと、日本が戦争に巻き込まれたときに、アメリカが助けてくれないんじゃないかという理由。

紀里谷 同盟国しか支援しないということですよね? たとえばアメリカは、コソボで虐殺が行われてるときに、同盟関係になく表面上は無関係なのに、助けに行くという道義的理由で空爆したことがあったじゃないですか。そういうことも、日本はやっていくんでしょうか?

木村 そういうこともやるべきだという人もいますし、アメリカが求めているときだけ、手伝えばいいという人もいます。

ただし、いわゆる改憲派、つまり憲法の枠を取っ払って武力行使をもっとできるようにしようと言っている人のほとんどは、国際貢献的な理念ではなく、アメリカとの関係性を強調していますね。

紀里谷 そうですよね。いわゆる利害関係に基づいた話ですね。道義的な話ではなくて。

木村 そうですね。自分の国の利益になるから外国で武力攻撃しようというのでは、あんまり聞いていて、元気が出る話じゃないですね。

日本がアメリカ軍の駐留を“望んだ”という事実


紀里谷 日米同盟は、そもそもなぜ結ばれなければいけなかったんですか?

木村 いろんな理由があったと思います。日本は戦後、武装解除をしています。それでも大丈夫だと、割と楽観的な観測があったんです。日本だけでなく、世界全体がそう考えていました。ソ連とアメリカが共同して戦争を終わらせたのだから、当面国際平和は続くだろうと。

しかし、そこから冷戦が始まってしまった。しかたなくアメリカ、ソ連、全ての国を含めて冷戦状況に対処し、個別に防衛能力の必要があるとなったとき、日本はいったん武装解除されていて、経済的にもガタガタな状況だったので、自前の軍隊を持つ余裕はなかったんです。そこで米軍の駐留を占領軍から続けてもらって、米軍に守ってもらうという結論に落ち着きました。

紀里谷 日本側がそれを望んだという解釈でいいんでしょうか?

木村日本国民のどれだけの数が望んだかというのは微妙ですけど、政府としては必要だという判断を下しました。

紀里谷 政府としてはお願いしますと、後ろ盾になってくださいと望んだわけですよね。

木村 アメリカ側からは、では基地を使わせてくれという要求がありました。さらに、日本自身も防衛力を身につけてくれということで自衛隊をつくり、米軍基地の駐留も認められたというのが今も続いているということですね。

紀里谷  それがそもそも、日本国民は理解しているのかっていう話ですよね。こちらから頼んでいるのに、イメージ的には向こうから来て勝手に基地作られた!というようなニュアンスですよね、感情論として。そういう雰囲気で言っていませんか? 悪いやつが来たみたいな。

木村 よく分かります。要はお互いの利害関係があって、今の状態ができていると思います。米軍の駐留については、日本側の反発を買うような面があることも確かです。

たとえば全くのさら地から、「日米安全保障条約を結びます、基地作りましょう」となれば、多分邪魔にならない場所を選ぶようにしますよね。でも、米軍基地の場所というのは日本の国民からすると邪魔になる場所、一等地にあるんです。沖縄の普天間基地なんかその最たるものですし、神奈川県相模原市には駅の真ん前に米軍の基地があり、交通が不便になっているということもあります。

紀里谷 それなら、便利な土地に移りましょうとなって、海上にメガフロート作ってそこに基地があれば、日本国民はそれで納得するんでしょうか? これって不動産の問題なんですかという感じがしますよね。米軍がここにいるっていうことに反発しているのかどうか。だって、自分たちの国だから自分たちで守ろうっていう哲学的というか、主権の議論じゃないですよね。

木村 ベースとしては、多分最終的には土地の問題であると思うんです。ただ本当に心から米軍駐留を日本人は喜んでいるのかというと、そこは微妙なんだと思います。必要性は分かるけれども、それを情けないという思いを感じてしまう人もいる。

紀里谷 そこが日本人のずるいところですよ。じゃあ自国で軍隊持ちますかって議論になると、絶対嫌だって話になるじゃないですか。それこそ徴兵制なんて絶対嫌だし。かといって米軍には出ていってもらいたい。いいとこどりで議論がきっちり行われていない。

そこが、そもそもの9条以前の問題であって、まず軍隊を持つのかどうかの議論が一般レベルでされていない。テレビで放送できないんですかね? 福島の問題みたいに触ったらいけないの?

木村 根本的な自主防衛論がなぜ議論されないのか、どうしてテレビでできないかというと、政治家側がそういう議題を設定しないからです。

紀里谷 それをやると、不人気になっちゃうからですよね。

木村 たとえば、安倍首相が「日米安保について根本から考えました」って提案したら、支持率が相当がくんと落ちるでしょうね。

紀里谷 つまり、国民は日米安保を求めているってことなんですかね?

木村 今のなあなあの状態を好む人が、一番多いってことでしょうね。

紀里谷 現状維持ってことですよね。じゃあ、日米安保を放棄しちゃいましょうってなったら、日本はどうなるんですかね。一意見でいいのですが。

木村 私の専門ではない範囲ですが、沖縄から米軍基地は無くなりますね。

紀里谷 そうですね。みんな喜ぶでしょうね。しかしながら、その先に何が起きるのでしょうか。

木村 日本にいる在住米軍は二つの機能を持っていて、日本の防衛を手伝うのと、アメリカの世界戦略という部分があります。日本は世界戦略に加担する必要はないので、日本の防衛の分だけ装備とか人員を確保しなければいけません。

紀里谷 今の自衛隊でそれを確保できるんですかね?

木村 米軍基地があることを建前として部隊の編成を組んでいるので、米軍基地がなくなれば今の数、今の予算、今の人員では足りなくなるでしょうね。

紀里谷 何倍の予算になっちゃうんですかね?

木村 それは本当にいろんな試算があります。今現在、だいたい年間で5兆円弱(平成27年度予算は4兆9801億円)ですかね。たとえば規模拡大のために3倍にしなければいけなかったら、15兆円ですよね。

紀里谷 それまた、問題ですね。

木村 消費税の増税は嫌でしょうね。

紀里谷 がんじがらめになっちゃってますよね。それを考えちゃうと、憲法9条もそうだし、そもそも投票で選出された人間が、往々にして本来なら下す決断ができなくなっちゃっている、つまり、民主主義が機能していないように見えちゃうんですよね。

木村 国民がなあなあな状態を割と好きだと言えるでしょうね。

紀里谷 逆に言うと、国側はそれに従っちゃえばいいんじゃないのっていうのはどうなんですか?

木村 それは、やはりリーダーのあり方でしょうね。

紀里谷 日本の場合、リーダーの権限が行使されていない感じがするわけです。選ばれたリーダーなのに、言いたいことが言えない。何か言っちゃうと不人気になっちゃうから言えないみたいなところが、どうなのかなと。

木村 映画の現場で厳しいことが言えるのは、相手への信頼があるからですよね。これを首相の立場に置き換えてみると、厳しくても言わなくてはいけないときがあったときに、それを言ったときに国民はついてきてくれないんじゃないかという「お互いの信頼のなさ」があります。したがってお互いに、中途半端にぐでぐでしているのが一番楽だという状況が続いているんだと思います。

国民のモヤモヤの理由は「真意が分からない」から?


――今回の安保法案が違憲であるという考えに対して、木村さんはどのように感じていらっしゃるんですか?

木村 「憲法の枠を超えた武力行使が行われて、侵略戦争を始めるから許せない」と怒っている人がいますが、私は違うと思うんですね。今回の憲法違反というのは、専門用語で言うと「曖昧不明確ゆえに違憲」っていう用語があるんですけど、首相が提案していること、やろうとしていることがまったく分からないということが問題なんです。

――分からない、というのは?

木村 ニュースを見てこの1年くらいずっと説明を受けていても、なんのために法案をつくっているのか分からない方が大半だと思います。

これがたとえばイスラム国に空爆しなければいけないから、法律作りますって言ってくれれば、賛否は別にしてもよく分かるわけです。「憲法のラインを越えているので、やるなら改正してください」とか「それはそもそも反対」ですとかいろいろ議論できる。

でも、「存立危機事態」には武力行使をしますといわれても、どういう場合が「存立危機事態」になるのか、野党がいくら質問しても明確な答えが返ってこない。何に対応しようとしているのかがまったくわからない。曖昧なままで、権限だけくれと言っているので、それは筋が通らないでしょうというのが私の意見なんですね。ちゃんと提案をしてくれないっていうのが問題ですね。

紀里谷 なぜそうやって、ぼやかしちゃうんでしょうね?

木村 ぐでぐでが一番楽だからですね。空爆しますって言ってくれれば、賛否が言えますよね。ところが、今の中途半端な状態を続けながら、ちょっとだけ線を越えてみようかなくらいだと、反対派も勢いよく反対ができないですよね。賛成派もすごい喜んだりはしないですけど。

紀里谷 そこまでグダグダにしながら、安倍政権は何を目指していると思いますか?

木村 政権のフリーハンドを持ちたいということだと思います。

紀里谷 もっと権限がほしいと。

木村 ええ。たとえば、何に使うかはよく分からないけど、自由に使えるお金を持っておきたいみたいな話ですね。アメリカに何か言われたときに自由に使えるかもしれない予算を持っておきたい、っていう抽象的なものですけど。

紀里谷 今までの、特別措置法じゃ足りない? 予算とは全然違う額のお金を持ちたいっていう感覚なんでしょうね。それは分かりにくいですよね。

木村 国民には、伝わってこないですよね。もともと政治家自身も、本当にこれにお金がいりますっていうのは多分ないと思うんです。漠然と持っておきたいという話をしているので。

今回の問題は、国民が賛成反対する以前に、「そもそも何がやりたいのか分からない」っていう意見が一番多いんじゃないでしょうか。

紀里谷 ジャーナリストやメディアの人たちは、それをどう表現をしているのでしょう?

木村 まず賛成派の人たちの反応は、首相がやると言っていないこと、首相はあいまいにしていることを拡大解釈し、「こんなことができるようになるはず!」って自分の夢を語って賛成している。一方で、逆に首相がやるとは言っていないことを「どうせやるはずだ!」と決めつけて反対している人たちがいる。非常にかみ合わない話をしているわけです。

政権の言っていることを見た後に、賛成派の意見を聞くと、首相が言っていることと全然違うことで賛成している。逆に反対派の言っていることを聞くと、首相の言っていることと全然違うことを前提にして話していることもある。

紀里谷 全然機能してないですね。

木村 もともと議論にならない議題を提起しているから、公の議論、「公論」が機能しないわけですね。

紀里谷 それ、意図的にやっているんですかね。

木村 意図的にやっている感じはしますね。

紀里谷 すごい戦術ですよね、そうなると。

木村グレーな球を投げるのが目的だというのが、私の最近の解釈です。黒いことはやりたくない、真っ白でいると困るので、あいまいな領域を作りたいという話なのではないかと。

メディアは「事実」ばかりを開示しない


――日本が混沌としている状態は、外から見たらどういう風に見えているんですか?

紀里谷 どこの国だって混沌はあるけれど、国外から見たらクエスチョンマークの塊でしょうね。理解不能だと思います。

自分たちで白黒の答えすら出せない、ジャッジすら出せないっていう状況が延々と続いている。9条の話だけじゃなくて原発の問題とったって一緒。何が起こっているのかさっぱり分からない。意図的にやっているのか国民性なのかは分からないし、それに対する意見はないんだけれど、不思議に思います。

木村 賛否をはっきり言えるような提案がされないっていうことですよね。

紀里谷 そもそも何が問題なのか、事実が何なのかがまったく開示されない。だから、感情での意見しかできないということがほとんど。

アメリカの場合、もうちょっと情報が開示されますから、議論しようがある。日本だと、メディアが開示しようとしない、出していかない、という印象はすごく受ける。

――もしも、法案が全部可決されたら、どうなってしまうのでしょうか?

木村 今の法案が全部可決されたら、PKOがより危険な業務をやるようになる。場合によっては、アメリカがどこかの国を空爆するとなったとき、弾薬を提供したり、「存立危機事態」だと認定して一緒に攻撃するっていうこともあるでしょうね。

紀里谷 地上戦も含めてね。どうなるかを考え出すときりが無い話だけど、どういう可能性があるかというと、軍隊の人間は死亡率が上がりますよね、確実に。今アメリカもそうだけれど、第二次大戦時から比べると戦争による死亡率は圧倒的に減っている。しかしながら、日本人が戦場に行って死ぬっていう可能性がある。

でも、そこだけを切り取って、「じゃーダメじゃん」という話ではない。みんながそれぞれで、考えなければいけないことなんです。

木村 どういう原理原則で関与するのかしないのかということですね。

紀里谷 そう。なんで安保があって、どうして基地ができて、なぜ9条を改正しようとしているのか。その先になにが起こるのか。仕組みとして理解すれば、別に人に「どうなるんですか」なんて聞く必要はないんだと思う。

木村 それには、国際ニュースとか、ここ20年くらいの戦争の情報を見て、それが正しいことだったのかどうかということをひとつずつ自分で考えていくことですね。

――ひとりずつが、個人として考えていく。

木村 そうですね。同じようなことはこれからも起きるでしょうし、法案がどうなっても、今後の戦争に対する関与の仕方についての判断を日本の政府は迫られるわけですから。そのときに必要なのは、理念とか基準でしょうね。

日本はどういう基準で関わるのか、どういうポリシーをもって国際社会に関与するのかというのを、これは違憲・合憲って話とは全然違う基準で持つべきですね。

紀里谷 それもまた外国から見ると、もやもやする原因ですよね。良い悪いは置いといて、アメリカっていう国には、いわゆるスローガンがあって、「自由である、自由のために戦う」っていう理念があるわけですよ。それに対して日本は、国歌が歌えない、国旗も上げられないっていうところからグレーになっていて。そもそも国の在り方自体がグレーになっている。

俺は理念を持つことは一種必要だと思うけど、持ったら持ったで……という議論が始まっちゃって、延々それをくり返しちゃうんでしょうね。第二次大戦、太平洋戦争のトラウマがいまだに続いちゃってる気がします。

「独裁」と「混沌」の間に民主主義がある


木村 紀里谷さんは映画を作るときに、明確なビジョンがあって作り出す方ですか?

紀里谷 言いたいことが何なのかっていうことが、まずは最初にあります。映画を通して何が言いたいのか。それは、セリフで言うわけじゃないかもしれない。その映画の持っている理念や魂を、間接的に伝えようとする。もちろん楽しんでもらうにしても、ただ単に笑ってもらうだけじゃなく。それが無かったら、映画をやる意味はないですよね。

木村 理念とかがあって、作っていく中で、その映像が全て最後まで頭の中にあるという状態ですか? 撮りながら変わっていきますか?

紀里谷 それは戦争をやっているのとまったく同じで、ものすごいプランニングがあるんですよ。全部書き出すし、準備を完ぺきにしないと負ける。しかし準備の通りに行くわけがないんですよね。天候の問題だったり、人が倒れちゃったり。ありとあらゆるアクシデントがある中を、修正しながら臨機応変にやっていくわけですよ。

最初に設定したものが100だったとしても、でき上がったものは100に届かない。90だったり、50だったり。頭の中に思っていたものと全然違うものになっていたりもする。しかしながら、その理念、筋は通さないといけないんです。

木村 映画監督に聞いてみたかったのですが、自分の頭にあるものがそのまま映像化できるような装置があったとき、今みたいな映画を多くの人が作るプロセスと、本当に紀里谷さんの頭の中だけが映画になるっていうプロセスだと、どっちがいいですか?

紀里谷 それなら直接、自分の頭と他人の頭をつなげちゃうと思う。映画にする必要もないわけです。アートって、非常に間接的な行為なんですよ。僕なんて気持ちいいとかうれしいとか悲しいとか、そのわき起こった情緒的な感情を伝えたいだけの話なんですよね。感情をやり取りしているだけ。

悲しいかなテレパシーが僕たちには無いので、何か形に変換して、受け取った人がさらに変換に変えてもらうという作業をしている。歌も文章も一緒。だから、そんな装置があるなら、頭に直接つないじゃう。

木村 なるほど。

紀里谷 もうひとつあるのは、さっき映画でアクシデントがあって、100のものが50になってしまうという話をしたけど、それが150にも200にもなっちゃう可能性があるんですよ。それは、いろいろなスタッフが関わってきて、思いもよらないものができ上がって、もっとすごいことになっちゃったっていう瞬間がある。最初に伝えようとしたものが、思った以上にもっと伝わりやすくなったとかね。

木村 他者、自分とは違う人と向き合うことによって、自分の可能性が引き出されるっていうことでしょうか。

紀里谷 そう。逆もしかりだし、そういう意味では国家と似ているのかもしれない。しかし重要なのは、何を伝えようとしているのかを、全員が把握していないといけないということ。

木村 ただの“混沌”とは違う他者との向き合い方があるということですね。国家というのも本当にその通りで、紀里谷さんの頭の中がそのまま映像化される世界がいわゆる“独裁”という世界です。“民主主義”っていうのはいろんなスタッフがいて、理念を共有しながらもみんなで意見を出しあって、他者と向き合いながら作り上げていくっていう世界。今の話を伺っていると、“独裁”と“混沌”の間に“民主主義”があるのかなと。そこの理念の部分を確認する過程が、私たちが憲法を選ぶってことなんだと思います。

紀里谷 なるほど。

テクノロジーの進化に追いつけない政治


紀里谷 ただ、いまテクノロジーがすごい進化しているなかで、議会制は古いんじゃないかなとも感じてるんです。

木村 ちょっと伺いたいのですが、人工知能がこれから発展していって、映画監督がいらない世界って来ると思いますか?

紀里谷 今始まっているのがビッグデータで、何が当たるのかっていうことが統計学的に出てて、その通りのストーリーが組み立てられ始めています。音楽もそうで、当たるヒットソングを全部集約して、コード進行も組み立てることができる。それが悪いとは思っていません。データって、そういうものだから。

だから、政府って人工知能がふさわしいんじゃないかと思うことがあります。妙な私情を挟まないし、「全国民を幸せにする」みたいな理念がプログラムされていれば、ダメな政治家がやるよりよほどうまくいくんじゃないかと。

木村 そういう状況の中で、紀里谷さんは人工知能、ビッグデータ的なものと戦わなければならないっていうことになりますか?

紀里谷 その人工知能がみんなの喜ぶ映画を作ってくれるなら、僕はそれでいいと思うんです。そこに対してできるのは、アンチテーゼみたいなことですよね。

たとえば感動を与えるようなビッグデータの作品があったときに、そこは感動だけでいいのかとか。そこには憎しみという感情は必要ないのか、怒りという感情はいらないのか。そういうことはできるかもしれない。病的と言ったらおかしいけど、心の闇の部分は人間がやることなんだと思う。しかしそれすらも、いずれ人口知能はその領域に行くでしょうね。

だから、アートはいま存在意義を問われてますよ。それこそシェイクスピア以降、それを越える名作は誕生してない。唯一、技術が先に進まない限り、新しいアートは存在し得ない変な世界だと思う。

木村 なるほど。

紀里谷 しかし、政治に対する進化のなさ、非効率さはひどい。政治家が動くよりも先に商業、ビジネスが動いて、国と国とをつないでいく。そこで摩擦を起こしたりする。そこでできた傷を癒すのがアート、芸術家の役割だと思っていて、そこを法整備する役割が本当は政府にはあるのにまったく期待できない。

いまの世界は人間の脳のキャパを越えちゃってる。大多数の人間は世界で起こってる複雑なことを処理できない。政治の世界も、これ以上の複雑さを人間が求めるなら、人工知能を入れるべきだと思う。でも、シンプルな社会にしていこうって選択肢もある。俺はそっち派。もっとシンプルに生きていっていんじゃないかと思う。

「コンプレックス」が戦争を引き起こす


木村 そのシンプルである価値って何なんでしょうか?

紀里谷 今は、足るを知るっていう概念があまりにもないですよね。すべてが商業に乗っかっているから。第1次世界大戦以降、ほとんど資源戦争じゃないですか。石油を取るためだけに戦争が行われている。なんのために資源を奪いにいっているかと言うと、必要以上に消費しないと経済が成り立たない仕組みになってしまっているから。

広告によって必要でもないものを必要と思わせられた私たちは買いものに行って、モノを持っていないとコンプレックスを植え付けられて、もっと買いたくなる。その経済活動を回すために、必要な石油を血を流して取りにいくための憲法9条改訂なわけでしょ。しかしながら、消費は本当にそんな必要なんですかって議論をすべき。

木村 人が持っているものを持っていないっていう“消費のコンプレックス”。この気持ちを解消することは可能だと思いますか?

紀里谷 可能ですよ。コンプレックスをもって人間は生まれてないですから。子供のころはコンプレックスなんて誰も持っていないし、そもそも植えつけられたものだから。捨てちゃえばいいんですよ。

僕は、コンプレックスないですよ。もともとはあった、でも今はないです。俺に言わせると、みんなちょっとおかしくなってるんですよ。こうでなければいけない、これはもっていなければいけない、こういう学校行かなければいけない、こういう職に就かなければいけないっていう罠にはまっちゃうわけじゃないですか。それを解消しようとしても限度がないんで、どこまでいっても誰も満足しないですよ。

木村 ええ。

紀里谷 満足しないどころか、自殺する人だって出てきちゃってる。そんなことになる為に、憲法9条でぐちゃぐちゃやって戦争しにいく。戦争する理屈は資源を手に入れるため。資源を取られた先も不幸せになっている。誰もハッピーじゃない!

それはなぜかと言うと、私たち先進国の人間が一人ひとりが勝手に自分は不幸せだと思い込んでしまっているからじゃないですか。こうした仕組みの中で存在する国家って何なのって思ってる。

木村 9条についても、改憲派の思想はコンプレックスから来ているところがあると思います。外国を攻撃しているアメリカのようになりたいということですね。

紀里谷 でしょ!それは比較論であって、富国強兵の時と全く変わらないわけですよ。大国に追い付かなきゃっとか言って、いや江戸時代のままで何か問題あったの?と思います。

江戸時代ってあの当時、超エコ都市で、外国との貿易もほとんどなしで自給自足できていたんですよ。それがなんで富国強兵になったのかというと、自分たちで勝手に「自分たちはダメだ、アメリカみたいにならなきゃ、イギリスみたいにならなきゃ」って思いこんじゃったから。以前の安倍さんのスローガンの「美しい日本」だってそう。それって結局、美しくないと思ってるんでしょ!っていう話で、それってコンプレックスだって俺は思っちゃう。

木村 アメリカで暮らした人って、割とアメリカにコンプレックスを持って帰ってくる人が多いと思うんですけど、紀里谷さんがそうならなかったのはなぜだと思いますか?

紀里谷 アメリカにも、失望したからです。だって自由の国だっていっても、全然自由じゃない。差別も多い。あんなに崇高な憲法から国が始まっているのに、いきなり奴隷制度があって。その矛盾が、今も脈々と続いているわけですよ。それを差別される側として目の当たりにしちゃうと、失望しちゃいますよね。

もちろん行く前は、アメリカに行ってビッグになってやるみたいなことを思っていました。しかしそれを考えたことすら、幻想だったわけです。そのままでいいんじゃないの?ということがすごく今、地球レベルで重要なことだと思う。地球はいま壊れそうなんだもん……。すみません、そもそも論ばかりで。

木村 いえいえ。“そもそも”の部分を解消しないと、憲法9条や日米安保について話す資格がないということだと思います。

紀里谷 でしょ。枝葉のことをぐちゃぐちゃやる前に、何のためにこれやってるの?っていうのが誰も分からないというのはどうかと思うんです。

Interview/Text: 小松田 久美
Photo: 三橋 優美子

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