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練習をサボっていた少年が生きる伝説に。努力が掴んだ成功:『ウサイン・ボルト自伝』

蓮見彩

2015/08/25(最終更新日:2015/08/25)


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練習をサボっていた少年が生きる伝説に。努力が掴んだ成功:『ウサイン・ボルト自伝』 1番目の画像
by Nick J Webb

 2015年8月22日(日)、北京で開催された陸上の世界選手権、男子100メートル決勝で、世界記録を持つジャマイカのウサイン・ボルトが9秒79で2大会連続3度目の優勝を見事果たした。今回の北京世界陸上では、今季9秒74を記録し、絶好調と囁かれていたライバルのガトリンの脅威もあり、ウサイン・ボルトの連覇は厳しいのではという予想もあったが、ウサイン・ボルトはこの予想を打ち破る結果を出したのだ。

 ウサイン・ボルトは、この陸上競技界の偉業とは別に、母国・ジャマイカの20%の子どもたちが義務教育を受けられるように「ウサイン・ボルト基金」を設立し、子どもたちの夢を応援するなど、社会貢献にも尽力している。

 まさにウサイン・ボルトは、みなの憧れであり、生きる伝説なのだ。

 今回は、生きる伝説ウサイン・ボルトが自身の人生を赤裸々に綴った『ウサイン・ボルト自伝』の中から、ウサイン・ボルトの生き方について見ていきたい。

練習をサボってばかりいた天才児ウサイン・ボルト

 幼少期の頃から、類いまれな才能を持っていたウサイン・ボルト。ウサイン・ボルトは、2002年に開催された「世界ジュニア選手権」で、大会史上最年少15歳で優勝。さらにウサイン・ボルトは、翌年2003年の「世界ユース選手権」でも優勝し、2004年には17歳にしてジュニア史上初めて20秒を切る19秒93のタイムでジュニア世界新記録を樹立した。

 しかし10代のウサイン・ボルトは、自身の才能に溺れ、練習をサボってばかりいたと言う。女遊びやクラブに夢中になっていたウサイン・ボルトは、1週間分の練習メニューを事前に渡されると練習日に姿を現さなかったり、隙を見てサボるなどばかりしていた。周囲は、どうやってウサイン・ボルトを練習に来させるかと手を焼いていたようだ。

ウサイン・ボルトを変えた一言「練習」するのが「プロ」

 幼少期から数々の功績を残したウサイン・ボルトだったが、その後多くの挫折を経験する。2004年に初めて出場したアテネオリンピックでは、200メートル一次予選落ち。ここでウサイン・ボルトは、怪我や周囲の期待に応えられない低迷期が長く続くこととなる。

 そんなときにウサイン・ボルトを救ったのが、数々の有名アスリート育成をしてきたミルズコーチである。

 練習をサボってばかりいるウサイン・ボルトに対し、「練習はきちんとしろ。練習できないなら、遊ぶな。走ることが仕事で、お金をもらっている『プロ』なのだから」と一喝。これにより、ウサイン・ボルトにプロ意識が芽生え、トレーニングに励むようになった。またミルズコーチは、195センチある高身長のウサイン・ボルトにあった筋力トレーニングを取り入れ、バランスの良い身体を作り上げた。

 こうしたミルズコーチの精神と肉体の両方を改造したトレーニングが功を奏し、ウサイン・ボルトは潜在能力をさらに開花させていくこととなる。

世界最速の男 ウサイン・ボルトの誕生

 北京オリンピックも迫る2007年シーズン。この頃になると練習に取り組むようになったウサイン・ボルトは、大阪世界陸上で銀メダルを獲得し、200mのジャマイカ記録を37年ぶりに更新するなど次第に結果を出すようになった。同時に、まだ自身がなし遂げていない「金メダル」に対して、強い執着心を持つようになる。オリンピックで金を取るために、週6日の過酷なトレーニングに励むなど、かつての練習をサボってばかりいたウサイン・ボルトの姿はなかった。

 そして、過酷なトレーニングを重ね鍛え上げた強靭な肉体と「金メダルと取る」という信念を持って挑んだ2008年の北京オリンピックで、歴史的瞬間が訪れた。ウサイン・ボルトは、100メートル決勝で9秒69という世界新記録を出し、見事優勝したのだ。

 「金メダルを取る」という目標と世界新記録を同時に達成したウサイン・ボルトは、世界最速の男として世界中にその名を轟かせた。

ウサイン・ボルトが新たな歴史を刻んだ「北京世界陸上」

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by Brunel University London

 北京オリンピックの活躍によって、一躍有名になったウサイン・ボルトだが、その後も多くの苦労があったらしい。足に怪我を負ってしまい、大会の欠場や地元ナイジェリアで開催された選手権でのフライングによる敗退など、結果が芳しくなかった。またウサイン・ボルトに対して、心ない人からのバッシングもあり、精神的にも落ち混んでいた。

 しかし、ウサイン・ボルトは諦めない。2015年の北京世界陸上で再び優勝の座を手にすることを決意。「金メダルを取る」という目標で挑んだのが2008年北京オリンピックだったが、2015年の北京世界陸上では、ナイジェリア国内、そして世界中の期待に応えるために再び挑戦したのだ。

 結果はウサイン・ボルトが先述したように見事優勝。準決勝では少しつまずくなど、ひやっとした場面も見せたが、決勝では最大のライバルであるガトリンを0秒01差で打ち負かし、世界最速の男としてウサイン・ボルトが君臨した。まさに努力とプレッシャーに打ち勝ったからこそ、得られた優勝と言える。

 世界中から注目を集め、大成功を収めたウサイン・ボルトだが、その成功の裏には壮絶なドラマがあった。またウサイン・ボルトの人生からこんなメッセージが読みとれる。

 どんな才能がある人間がいても、努力なしでは成功はつかめない。挫折したときにこそ、困難に立ち向かい努力をすることを投げ出してはいけない。

 人生では多くのプレッシャーや予想外の出来事で挫折することがある。しかし挫折したときにこそ、困難に立ち向かう姿勢が重要なのだ。そう教えてくれるウサイン・ボルトは、生きる伝説として、これからも挑戦し続けるだろう。



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