1. あの日見た松坂の姿を僕たちはまだ忘れていない。~松坂大輔がこのまま終わるわけにはいかない理由~

あの日見た松坂の姿を僕たちはまだ忘れていない。~松坂大輔がこのまま終わるわけにはいかない理由~

あの日見た松坂の姿を僕たちはまだ忘れていない。

 あの日、とは思い出す人によってさまざまだ。

 たとえば1998年、横浜高時代の夏の甲子園。PL学園高との準々決勝、延長17回の死闘を思い浮かべる人は多いだろう。いやいや、右腕に巻いたテーピングをはがしただけでスタンドがどよめき、奇跡の逆転劇を呼び起こした準決勝・明徳義塾高戦だという人、ノーヒットノーランで春夏連覇を達成した決勝・京都成章高戦しかない!という人も多数派に違いない。

 たとえば1999年、西武ライオンズでのルーキーイヤー。東京ドームで155キロを投げた、まばゆいばかりのプロデビュー戦。あるいは、イチローから3打席連続三振を奪い「今日で自信から確信に変わりました」という名言を残した日を挙げる人がいてもおかしくない。

 上記以外でも、代打でタイムリーヒット、WBCでの2大会連続の好投、MLBで1シーズン18勝など、振り返れば切りがないほど、「松坂大輔」はずっと光り輝いていた。

 だからこそ、今、まともにマウンドで投げることすらできない松坂の姿を見るのはもどかしい。そして、そんな松坂の姿を我々ファン以上に「見たくない」と思っているのは、“松坂世代”の面々なのではないだろうか。

世代を牽引する男の責務

 松坂が果たした、もっとも大きな伝説は“松坂世代”という奇跡の世代を生み出し、牽引してきたことだ。

 「松坂大輔」という怪物が現れたことで、1980年度生まれの野球人たちには、「松坂を倒さなければならない」という共通目標が生まれた。

 打者たちは松坂の圧倒的なストレートを打つために素振りを繰り返し、あるチームでは見たこともないスライダーに反応するために地面に置いた球を打つ練習を繰り返した。

 投手たちは松坂の150キロに対抗して球速に磨きをかけ、松坂擁する横浜高に勝つには自分が無失点に抑えなければならないと、責任感を持つようになった。

 松坂の存在が、この世代の野球レベルを一段も二段も上に引き上げたのだ。

 一方で、松坂のまぶしすぎる光に気圧されて、生き方を変えてしまった者も多い。松坂と投げ合ったことで投手としての才能に限界を感じ、打者に専念した村田修一(巨人)は例外的な成功事例。その裏で、数多くの「夢破れし者」も生み出している。

「一度だけでもいい。マツザカダイスケになってみたい。一球投げたら観客がみんなウォーって声を上げるような、そんな凄いボールを投げてみたいんです」

 こんな言葉を残して野球を卒業したのがPL学園高から立教大に進んだ上重聡だ。高校時代に松坂と互角に投げ合ったからこそ、その高すぎる壁の険しさを理解してしまった上重。東京六大学リーグ史上たった3人しかいない「完全試合達成者」にもかかわらず、松坂と同じプロの舞台に立つことを断念してアナウンサーという全く別な道へ進んだ。

松坂が背負う、負けられない理由

 松坂はもう終わりだ……2011年に受けたトミー・ジョン手術以降、たびたび耳にしたフレーズだ。今年、ソフトバンクで日本球界に復帰し、ブルペンでアンバランスな投球フォームを披露するたびに、その声はますます大きくなった。

 でも、松坂がこんな終わり方をしていいはずがない。それは、松坂自身のためでもあり、そして松坂という壁を前に生き方を変えてしまった男たちへの責任でもあるからだ。

 高校時代の恋女房、小山良男(元中日)はかつてこんな言葉を残している。

「みんなマツを見ているんです。マツと出会ったことで、人生が変わってしまったヤツがたくさんいる。だから、そういうヤツらが見ても、あぁやっぱりマツザカは凄いよって思えるような、こいつに負けたんだからしょうがないよって納得できるような、そういうピッチャーであってほしいんです」

 小山に限らず、90人以上いた「松坂世代のプロ野球選手」たちは、もう半数以上がユニフォームを脱いでいる(現在も現役を続ける選手はアメリカにいる選手も含め、35人)。彼らはもう、野球選手としては松坂に勝つことは永遠にできない。だからこそ、彼らの名誉と誇りのためにも、松坂自身が負けるわけにはいかない。

「あの日」のような松坂大輔の復活を、今はただ待つのみ

 では、平成の怪物・松坂大輔はどうすれば復活できるのか?それは、松坂自身の中にある。

 思い返せば、松坂はずっと「怪物」だったわけではない。プロ4年目の2002年5月、松坂は右ヒジの筋肉を故障し、長く戦列から離れてしまう。

 その後、シーズン後半に復帰して日本シリーズでも登板したことから、それほど大きな故障ではなかったとする声もあった。だが実際には、箸も持てなくなるほどの重症で、走るだけで腕が痛み、まともな調整もできなかった。さらに、右ヒジをかばうことで右足の内転筋も故障。手術はもちろんのこと、最悪、選手生命の終わりも考えたという。

 最終的に手術は回避したものの、シーズン6勝とプロ入り以来、最低の成績に終わってしまった松坂。だが、この年を境に、松坂の投球スタイルは変化を見せた。力で押すスタイルは維持しつつも、無理をしない大人のピッチングができるようになったのだ。

 また、好きなものを好きなだけ食べる、という無鉄砲な食習慣も改め、身体のケア方法も一新したことで試合終盤でも150キロを投げられる体力を身につけた。その結果、2003年には初の最優秀防御率のタイトルを獲得。見事なまでのV字復活を演じてみせた。

 2007年のポスティング移籍の際、ある球団のスカウティングレポートにはこう記されていた。

「腕の振りは強いし、豊富な球種を持っている。しかし、最大の武器は頭の良さ」

 2002年の故障から13年もの月日が流れた今、同じような復活劇を期待するのは無理だ、という声もあるだろう。メスを入れた右ヒジは、もう以前のように強く振れないとも言われている。

 だが、「豊富な球種」と「頭の良さ」はそう簡単に失うものではない。何よりも、復活したことがある、という経験値が今回、大きな支えになるはずだ。

 「あの日」のような、松坂が復活する日を、そして再び日本球界のエースとして君臨する日がやってくることを、今はただ待つしかない。

(参考文献:矢崎良一著『松坂世代』、吉井妙子著『夢を見ない男松坂大輔』)


【週刊野球太郎のおすすめ記事】

U-NOTEをフォローしておすすめ記事を購読しよう
この記事を報告する