1. 国産スポーツカーの歴史を紡いできた2台が打ち立てた“伝説”とは。:魅惑のスポーツカーシリーズ

国産スポーツカーの歴史を紡いできた2台が打ち立てた“伝説”とは。:魅惑のスポーツカーシリーズ

出典:www.dome.co.jp
 国産スポーツカーが本格的に生産されるようになったのは、戦後になってからのことだった。このスポーツカーの歴史は他の国に比べると短いものだが、さすがは自動車大国日本。短いスポーツカーの歴史ながら、世界にインパクトを与える数々の国産スポーツカー伝説を残してきた。

 今回は、その中でもとりわけ印象的だった2台のスポーツカーとそれらが残した国産スポーツカー伝説をご紹介しよう。国産スポーツカーの歴史の片鱗にでも触れて貰えれば幸いだ。

国産スポーツカーはここから始まった。「ホンダ・スポーツ」

 国産スポーツカーの黎明期に、広くモータースポーツの魅力を伝えた一つのスポーツカー、それがホンダ・スポーツだ。63年に発売された「ホンダS500」は、わずか531ccながら、GPレーサー直伝の技術が盛り込まれた、他に類を見ない画期的なエンジン構造だった。

 そしてこの国産スポーツカーに目を付けた一人の青年がいた。その齢わずか19歳の少年は、64年発売の「ホンダS600」をGT用に改良し、レースに参加。日本人初の国際格式レースで初優勝という伝説を残し、少年の改良したその車は先の尖った黒いフォルムから「カラス」と呼ばれるようになった。

 その少年というのが何を隠そう、日本を代表する自動車マン・林みのる氏であり、のちに自動車会社「童夢」を立ち上げることになる張本人。そしてこれが国産スポーツカーが世界に広がっていくその始まりだったのだ。

国産スポーツカーが認められた瞬間。「フェアレディZ」

 2015年2月19日、一人の偉大な自動車マンが105年に及ぶその生に幕を下ろした。彼の名は片山豊。世界中のファンから「ミスターK」の愛称で親しまれ、米国自動車殿堂入りも果した人物である。

 数々の功績を残してきた彼だが、そのなかでも「フェアレディZ」の企画開発は国産スポーツカーにとって非常に大きな功績だろう。“誰でも気軽に、爽快にドライブできるスポーツカー”というコンセプトのもと、一般人向けに設計されたフェアレディZは、そのスタイリッシュなボディデザインで世界中に旋風を巻き起こした。

 スポーツカーとして破格なコストパフォーマンスを実現したこの国産モデルは、69年に発売されると、北米市場であっという間に4000万台を超えるベストセラーとなった。これは同時に、国産スポーツカーが世界で一つのブランドとしての地位を認められた瞬間でもあった。
 

 スポーツカーは昔から、我々男の心を惹き付けて止まないものがあったのだろう。そして、それに生涯を掛けた男たちがいて、だからこそ国産スポーツカーの歴史は紡がれてきたのだと思う。

 確かに現代におけるスポーツカーの有用性と言われたら、少し答えに困る。しかし、そこにある歴史を紐解いていく自動車大国・日本で暮らす人間として、知っておくべき知識は確かにあると思う。

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