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文章指導のプロに聞く『頭がいい人、悪い人の話し方』 正論ばかりは「嫌われる」?

Yasutaka Nagataki

2015/04/29(最終更新日:2015/04/29)


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文章指導のプロに聞く『頭がいい人、悪い人の話し方』 正論ばかりは「嫌われる」? 1番目の画像
出典:rebeccawearrobinson.com

人は、話をすることによって、相手の知的レベルを判断する。そして、実は、それ以外に判断のしようがない。

出典:樋口裕一(2004)『頭がいい人、悪い人の話し方』
 高校や大学などにおいて、人の頭がいいか悪いかということは「試験」を通じて測られてきた。しかし、試験とは学校を卒業して以来無縁だ、という人も少なくないだろう。それもそのはず、大抵の場合、社会に出ると「試験」という存在は消えてしまうからである。

 代わりに人の良し悪しの判断材料となるのが「コミュニケーション」なのだ。『頭がいい人、悪い人の話し方』では、「頭が悪い人」の例を反面教師として、どういう話し方がダメなのか、どんな話をしたら「バカっぽい」のかについて述べられている。今回はその中でも特に印象的な3つの「失敗例」を紹介する。

難解な言葉で「煙に巻く」

内容が空疎な人に限って、難しい用語を使ったりする。そもそも、知的な人であれば、相手に合わせて、言葉を選ぶことができるはずなのだ。

出典:樋口裕一(2004)『頭がいい人、悪い人の話し方』
 昼の休憩時間や宴会の席において、自分の後輩に対し、専門用語を交えた難しい談義をしてはいないだろうか。そして自分が話している専門用語を、相手が知っていて「当然である」かのようなスタンスになってはいないだろうか。

 自分の知識を披露するということは悪いことではない。むしろ、自分が博識であるとアピールをすることで、同期の中で頭一つ抜きん出た存在となることができることもある。しかし、難解な言葉を使って談義したところで、相手にその内容は伝わっていないことが多いし、「この人は本当に言葉の意味を理解しているのだろうか」と疑念を抱かれる可能性も孕んでいる。知識を披露する時は、難解な言葉ではなく、内容の深さで勝負をしよう。

「正論ばかり」を突きつける

人間の弱さを知り、悪い心も知り、自分の中に誘惑に負ける気持ちがあることを認め、その上で清廉潔白であってこそ、知的な生き方だ。それを知らなければ、愚かとしか言いようがない。

出典:樋口裕一(2004)『頭がいい人、悪い人の話し方』
 人間は「弱い」。恐らくほぼ全ての人が心の奥底では理解していることである。しかし、その実態を直視しようとせず、あくまで理性的に「正論」を突きつける人がいる。もちろん、突きつけられた人も「正論」が一番正しいということを頭では理解している。しかし、心の奥底で渦巻く、その人に対する抵抗感は計り知れない。

 「正論」を突きつけることは、もちろん悪いことではないが、人間の「弱い部分」を理解したうえでの「譲歩」もある程度は大事なのではないだろうか。

「バカでいい」と居直る

「私はどうせバカ」という言葉に、人間に対する尊敬の念の欠如を感じるのだ。なぜなら、この種の人は、人間は成長できないと決めつけているからだ。そして、「バカ」ということを隠れ蓑にして、甘ったれているからだ。

出典:樋口裕一(2004)『頭がいい人、悪い人の話し方』
 「どうせ俺はできない」や「私はバカだから」といった具合に、自分の能力を卑下して目の前のことを避ける人がいる。現代社会は時に厳しい要求をしてきたり、成果を認めてくれなかったりするからだ。

 しかし、果たして本当に「できない」のだろうか。「できない」と口にすることで自分の限界を周囲に示し、甘えようとしてはいないだろうか。自分のことを「バカ」と卑下する前に、自分を「バカ」から脱却させる努力をするべきなのだ。


 今回挙げた例は、少し極端なものばかりであったが、そのほかにも多くの「悪い例」が本書にはまとめられている。もし、自分の話し方が他人を不快にさせていないか気になるのであれば、一度本書を読んで照らし合わせてみるのもありだろう。



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