1. 『中村修二劇場』ノーベル賞受賞者が考える「研究」のあるべき姿とは

『中村修二劇場』ノーベル賞受賞者が考える「研究」のあるべき姿とは

by Amy Loves Yah

 青色LEDの開発によってノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏。世界的に偉大な功績を残すとともに、中村氏が以前務めていた日亜化学工業との裁判にも注目が集まりました。

 注目されたことによって様々な噂が広がりましたが、私たちは普段メディアを通した上でしか「中村修二という人物」を知ることができません。

 今回は、中村修二氏本人がインタビュー等で発言した言葉をまとめた『中村修二劇場』という本から、中村氏の本音を一部紐解いていきましょう。

本のハイライト

・中村修二氏が就職したころの日亜化学工業は地元では知られた会社、という状況。使える資源がほとんどないからこそ、装置の自作を重ね、青色LED研究に必要な技術を身に付けた。

・「ほかの人がやってないから」という理由で、他の研究者と全く異なるアプローチを重ねた結果、飛躍的に開発が進み、実用化は21世紀になってからと言われた青色LEDが1993年に発売された。

・マスコミが伝える内容は、記事として注目を浴びるために仕込まれたものであり、その中には中村氏が違和感を感じざるを得ない内容も多かった。

出典:中村修二劇場の書評・要約 | 日経BP社 特別編集班

なぜ日亜化学工業を辞めたのか

 中村氏が研究を行っていた日亜化学工業を退職しようと決意したきっかけになったのが、企業の研究者への理解不足を感じたこと。特許1つにつき、2万円の報酬というように、研究内容問わず一律に評価されるものだったためです。

 メディアでは、報酬が決め手になったような報道をされることがありました。しかし、報酬そのものが問題なのではなく、企業の方針に左右されることなく研究に時間を割くことが研究者にとって重要だという理由から、カルフォルニア大学サンタバーバラ校の教授の道を歩んだそうです。

ノーベル賞を受賞後の考え方

 ノーベル賞受賞後、中村氏はベンチャー企業に対して好意的に捉えるようになりました。米国のベンチャー企業は日本の大企業と違い、成果が不確定な研究に対しても柔軟に受け入れる体制が整っているためです。

 日本の企業も、米国のベンチャー企業のように研究者に対する理解があれば、日本の「ものづくり」は飛躍的な進歩を遂げられると中村氏は述べています。研究者にとって、研究だけに没頭できる環境、結果に応じた報酬の仕組みなどが整っているかが大切だそうです。


 『中村修二劇場』では今回ご紹介したものだけでなく、青色LEDの開発課程で考えていたことなど、「研究者としての思考」に触れることができます。気になった方は、ぜひ手にとってみては?

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