1. 【全文】なぜ「iPS細胞」は破壊的な新技術と呼ばれたのか?――損傷した脳は自力回復できるか

【全文】なぜ「iPS細胞」は破壊的な新技術と呼ばれたのか?――損傷した脳は自力回復できるか

 生活習慣の変化が起こる現代で、脳疾患がひとつの大きな問題になっています。この問題を解決する方法はどこにあるのでしょうか。

 その可能性について、神経科医のシッダールタン・チャンドラン氏は新たな意見を提示します。果たして、脳はどのように回復するのでしょうか。ここでは、神経科医のチャンドラン氏が、脳の回復を促す仕組みと技術について実例を交えて語る、TEDの講演を書き起こします。

スピーカー

シッダールタン・チャンドラン / 神経科医

見出し一覧

・破壊的かつ社会的な問題である脳疾患の回復治療の可能性
・脳の損傷はどう影響するのか
・再生、修復と希望への第一歩である脳の自己修復
・破壊的な新技術「幹細胞」で損傷を修復する2つの方法

動画

破壊的かつ社会的な問題である脳疾患の回復治療の可能性

 本日この場をお借りして、脳の損傷を治療する可能性についてお話しできることを、大変うれしく思います。この分野には特に情熱を感じ、私自身神経科医としてお話しすることは、重篤で治療法もないとされている脳疾患の患者さんに希望をもたらすと確信しています。
 まず、問題を見てみましょう。ここで示すのは、アルツハイマー病の人の脳と健常者の脳です。アルツハイマー病の脳は、明らかに赤丸部分に萎縮や瘢痕などの損傷が見られます。他の脳疾患としては、多発性硬化症(MS)、運動ニューロン疾患、パーキンソン病、ハンチントン病等があり、これらはみなよく似ています。これらの脳疾患が、総合的に人々の健康にとっての脅威となっています。今日、3千5百万人がいずれかの脳疾患にかかっていて、世界全体でその年間コストは7千億ドルにまでなっています。これは、世界GDPの1%を越えているのです。

 そして、その状況は悪化しています。ここに挙げた数字は全て上昇していて、脳疾患は概して加齢に関係する病気のため、我々が長命になっていることが要因です。そこで我々が考えなければならないことは、脳疾患が個人にもたらす影響が破壊的かつ社会的な問題として規模も大きいのに、なぜ効果的な治療法がないのかということです。
 
 脳の治療に関する問題を考えるために、まず脳の働きについての速習コースを行います。言い換えると、私が医大で学んだことを全てお教えします(笑)。そんなに長くはかかりません。よろしいでしょうか(笑)。
 脳は実にシンプルです。4種の細胞でできており、そのうちの2種がここにあります。神経細胞と髄鞘化した絶縁体の細胞、一般的に乏突起膠細胞と呼ばれる細胞です。4つの細胞がうまく機能して健康で調和しているうちは、電気信号のシンフォニーが生み出され、この電気信号こそが我々の思考、感情記憶、学習、動作、感覚などを支えます。

 しかし、同様に4つの細胞のうちのひとつ、あるいは全てに不具合が起きたり死滅すると、脳は損傷を受け、配線が傷つき通信が中断され、電気信号による伝導の遅延が起きます。その結果、この損傷は疾患の症状として現れます。例えば、死滅し始めた神経細胞が運動神経の場合は、運動ニューロン疾患を病むことになります。

脳の損傷はどう影響するのか

 そこで、実際の運動ニューロン疾患患者に何が起こるかをお話しします。私の患者のジョンです。先週クリニックで診察しています。そこで、ジョンに最初に運動ニューロン疾患と診断された際の症状を話してもらいました。

ジョン:2011年10月に診断されました。主な問題は呼吸が困難になったことです。

SC:お気づきですか?ジョンは呼吸困難がきっかけで、運動ニューロン疾患が見つかったと言っています。さて、診断から18か月がたちました。今度は、現在の苦境について語ってもらいました。

ジョン:呼吸がさらに困難になり、腕や手足に力が入らなくなりました。基本的に車いすの生活です。

チャンドラン(以下SC):ジョンは、ほとんど車いすでの生活していると言いました。この彼の症状が示すのは、この疾患がもたらす衝撃的変化のみならず、この病気の恐るべき進行速度です。たったの18か月で、健康な成人男性が車いすと人工呼吸器に頼るようになったのです。ジョンはあなたの父親や兄弟や、友人だったかもしれません。

 運動神経が死滅するとこのようなことが起こります。ミエリン細胞が死滅した場合はどうなるのでしょうか? 多発性硬化症(MS)を患います。左側のスキャンは脳の様子を示します。損傷を受けた部分が脳の接続状態マップに重ねてあり、この箇所は髄鞘脱落と呼ばれる損傷を起こして白くなっています。

 さて、みなさんは私について、「なんだこいつは。最初に希望について話すと言ったのに、実際に話したことといえば、気の滅入るような話ばかりじゃないか」とお思いでしょう。お話しましたように脳疾患は恐ろしい病気です。患者数は上昇し、コストは膨大で最悪なことになっていて治療法はありません。はたして希望はないのでしょうか。

再生、修復と希望への第一歩である脳の自己修復

 いいえ、希望はあると私は考えています。これからお話しするMS患者の脳の部門には希望があります。なぜなら素晴らしいことに、脳は自己修復可能だと示しているからです。これでは十分ではないという例として、ふたつ紹介と思います。

 まず、このMS患者の損傷の別の白色部分についてです。赤丸で囲んである淡青エリアは、かつては白かったのです。つまり、損傷があったのに修復されています。言っておきますが、医師の力によるものではありません。医師の介入があったとしても、医師の功績ではありません。自発的な修復で驚くべきことです。これは幹細胞が脳にも存在します。そのおかげで新しい髄鞘、つまり新たな絶縁体がダメージを受けた神経に敷設されるのです。

 この観察例が重要な理由は2点あります。まず1点目には、20世紀の古い常識として、私は医大の講義で脳は自発的に骨や肝臓のようには再生しないと教わりました。しかし、このように再生するからです。ただ十分ではないだけなのです。2点目に重要な理由は、新しい療法に明確な方向を示したことです。つまり、脳を回復するために難しい理論は必要ないということです。ただ内からの自発的な修復を促す方法を見つけ出しさえすればいいのです。

 そのことが分かっていながら、今まで申し上げたような治療法が確立していないのはなぜでしょうか。それは、新薬開発の複雑さが原因となっているためです。薬の開発は、高額でリスクの大きな賭けだと考えられています。それが成功する確率は約1万分の1です。つまり、1つの新薬の開発になんとかこぎつけるまでに、約1万の薬を試験する必要があるのです。15年の歳月をかけ、10億ドル以上もかけたとしても、新薬が見つかるとも限らないのです。

 ゲームの規則を変えて、この確率を大きくできないでしょうか。そうするために、新薬の開発に妨げとなるのは何でしょうか。その1つは新薬開発の初期段階に見られる、動物を使ってのスクリーニングです。アレクサンダー・ポープの言うように、人間の正しい研究課題は人間です。

 どうにかして、疾患の研究にヒト生体材料を使えないでしょうか? もちろん可能です。ヒトの幹細胞を利用するのです。ヒトの幹細胞は特別な存在ですが、2つのことが可能なシンプルな細胞でもあります。自己蘇生や増殖のみならず、特定の細胞、骨、肝臓そして肝心な神経細胞に分化し、また運動神経やミエリン細胞にも分化します。挑戦は長く続き、幹細胞の紛れもない力を、神経細胞再生実現のために活用できるのでしょうか?

 今なら可能だと私は考えます。この10〜20年以内で、重大な発見があったからです。その発見のひとつはエジンバラでなされました。それは羊のセレブ、ドリーのことです。ドリーはエジンバラで誕生しました。彼は、成体細胞から誕生した哺乳類初のクローンでした。

 しかし本日の議題にふさわしい最大の突破口は、2006年に発見されたものです。それは、日本の科学者である山中教授によるものです。山中教授が実験に使った材料は、たった4種類でした。たったの4種で、どんな成体細胞でも多感性細胞(iPS細胞)に変えてしまうのです。

 これは言いようもないほど大事なことです。iPS細胞の開発は、疾患組織に合った特注の細胞修復キットを生成できるということを意味します。皮膚細胞にとってiPS細胞にし、この細胞を疾患の健康な細胞に作り変えて、研究や治療に利用するのです。当時の医大ではそんな考えは途方もないことでしたが、今や現実となっています。

 私はこれを再生、修復と希望への第一歩だとみなしています。希望というと、学校を落第したかもしれない人たちにも望みがあります。ジョン・ガードンの通信簿には、「科学者志望とは馬鹿げている」と書かれていました。当時相手にされなかった彼が、ノーベル医学賞を受賞するなんて誰が想像したことでしょう。

破壊的な新技術で損傷を修復する2つの方法

 では、幹細胞すなわちこの破壊的な新技術は、損傷した脳を修復すること、つまり再生神経学でどのように使われるのでしょうか。私は2種類の方法があると考えています。21世紀の新薬発見の道具として、また治療法の一環として、この双方についてお話ししたいと思います。

 ラボでの新薬の探索は、しばしばこんな風に言われています。実にシンプルです。患者を1人選び、運動ニューロン疾患患者とします。皮膚のサンプルを取り、先ほどお話ししたように再プログラムして多能性を与え、生きた運動神経細胞を生成します。こんなに無駄がないのは、多能性幹細胞だからこそです。ここで重要なことは、その振る舞いを健康な同種の細胞、理想的には発症していない血縁者の細胞と比較できるということです。こうすれば遺伝性変異を同定できます。
 
 これが我々が行ったことです。この仕事のコラボレーターは、英国のC.ショウ、米国のS.フィンクバイナーとT.マニアティスです。ご覧いただいているのは、実に素晴らしい運動ニューロン疾患患者からの成長中の運動神経です。

 これらは、本当に10年前は想像できませんでした。ここで重要なのは、個々の状態を追跡し、損傷した運動神経細胞と健康な運動神経細胞の比較ができることです。並べてみると、病んだ神経細胞の死亡率は健康なものよりも2.5倍も高いのです。

 これは新薬開発にとって、素晴らしい分析指標になります。というのも、私たちが薬に求めるものはこういうデータを高速の自動スクリーニングシステムで処理できることですが、薬に望むことはただ1つ。病んだ神経が健康に近づく薬であってほしいということです。そんな薬があれば、動物利用によって起きる新薬開発上の弊害を回避し
、有望な新薬候補として直ちに治験をすることで、新薬を開発できるでしょう。この技術的な取り組みが思うようになれば素晴らしいことです。

 ここで再び、幹細胞を使って直接損傷を修復する方法に戻りたいと思います。前述のように2通りの方法がありますが、お互い相容れないものではありません。最初の件は、長期的な視点で見ると最大の成果をもたらす方法ですが、今のところは実用化されるとは考えられていません。先ほどお話ししたように、既に脳内にある幹細胞に焦点を置くべきです。我々の脳は、病気を持っていても幹細胞があります。だから、何らかの方法で既に脳にある幹細胞の働きを促進し、活性化して、適切に損傷に対応させて修復したいのです。将来いずれは、実際にそういうふうに働く新薬が開発されるでしょう。

 もう1つは、直接細胞に幹細胞を送り込む方法で、脳内の死滅あるいは失われた細胞を入れ替えるために幹細胞を移植します。実験についてお話ししましょう。これが最近完了した臨床試験で、UCLの同僚たちと行いました。この研究はシンプルです。

 MS患者を対象としました。骨髄の幹細胞は神経を保護するだろうかという、単純な課題です。そこで我々が行ったのは、骨髄から幹細胞をとりだして、その幹細胞をラボで増殖し、それを静脈に注入して戻すことです。とても簡単に聞こえるでしょうが、実は多くの人員と5年の年月が必要でした。あらゆる課題が目前に現れ、5年間で私の白髪は増えました。

 考え方は基本的にシンプルです。幹細胞を静脈に戻しました。成功の可否を見極めるために、我々は結果の評価として視神経を測定しました。これはMSの評価には便利なのです。なぜなら悲しいことに、MS患者は失明、視力の低下といった視覚に問題が生じるからです。デービィッドの撮影した画像から、視神経の大きさを測定します。3回、12カ月、6カ月注入の前です。視神経が縮んでいることが分かりました。神経は死んでいくのですから、納得がいきます。幹細胞の注入後、測定を2回繰り返します。3カ月、6カ月、驚いたことに視神経は蘇っています。介入治療に保護効果があったことを示すものです。私自身は、幹細胞が新たに髄鞘や神経を作ったとは思いません。

 幹細胞が行ったことは、内生する幹細胞、つまり先駆細胞に仕事をさせ、新たな髄鞘を敷設したと私は考えています。まずは概念を示すことができました。非常に興奮を覚えます。

 そこで最初に私が提示したテーマ、再生と希望で締めくくりたいと思います。ジョンに将来の望みを聞いてみました。

ジョン:私の望みは将来、みなさんが行っている研究の結果治療法が見つかり、私のような人々が普通の生活を送れるようになることです。

SC:多くを語っていますね。まずジョンに感謝をしたいと思います。さらに、一言付け加えさせて下さい。私は未来に希望を持っています。ご説明してきたように、幹細胞のような破壊的技術革新が現実的な希望をもたらすと信じています。傷ついた脳を修復できる日は、我々の予想よりも早くやってくると思います。

 ありがとうございます(拍手)

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