1. 【書き起こし】就職した。それでも僕は世界を変えることにした。――起業家達が舵を切ったキッカケ

【書き起こし】就職した。それでも僕は世界を変えることにした。――起業家達が舵を切ったキッカケ


 偉大な先人が、今を迷える前途有望な学生1500人に指標を与えるイベント。それが毎年行われる起業家スーパーカンファレンス(KSC)です。今年も誰もが知っている有名人が、たくさんの学生に一生モノの地図を与えました。

 多くの学生が社会に出ることに対して恐怖を持っているはず。「自分にあった場所で働けるのか?」「誰とでも替えがきくつまらない仕事をすることになるのか?」抱える悩みはそれぞれでしょう。そんな学生たちに、自分だけの道を走り続ける大人たちがアドバイスを送ります。

 起業家は学生のころから特別だったのでしょうか?自分の枠を超えるためにすべきこととはいったい何なのでしょうか?

スピーカー

徳重徹氏 Terra Motors株式会社 代表取締役社長
石田言行氏 株式会社trippiece 代表取締役社長CEO
佐俣アンリ氏 ANRI General Partner ベンチャーキャピタリスト
漆紫穂子氏 品川女子学院 学校長

モデレーター

津田大介氏 ジャーナリスト、メディア・アクティビスト

見出し一覧

・入学者減が止まらない女子高に改革を起こす
・Apple・Google超えを目指す、日本発電動スクーターベンチャー
・「旅を作る」24歳の起業家
・リクルートを辞めてベンチャーを助ける側に
・危機意識だけが人を変える
・29歳になって初めて自我が芽生えた
・とりあえず就活して、普通に就職した。それでも運命の出会いはあった。
・お金だけじゃ満たされなかった

女子高に改革を起こす

漆:
 みなさん、こんにちは。品川女子学院の校長の漆です。なぜ私がここにいるのか不思議に思っている方も多いかもしれません。私たちの学校は、品川にある1200人ぐらいの女子の中高一貫校なんですね。おそらく私が本日呼ばれた直接の理由は、学校改革に携わったことにあると思います。

 品川女子は私の曾祖母が創立した学校です。小さいころから経営というものをずっと見ていて、経営って大変だな、絶対タッチしたくないなと思っていました。それで教員になりたくて他の学校にいたんですね。そうしているうちに、品川女子の入学者が1学年5人くらいになってしまいました。経営者だった母が癌になり、あと寿命半年というのも重なって、学校に戻って改革に参加する決意をしました。

 学校改革の結果は7年後には応募者が2000人くらいになりました。そこに起業に通じるものがあり、今回はお呼びいただいたと思っています。私は、人口が減っている現在の日本にとって貴重な資産といえるのが女の子じゃないかなと思っているんです。現在の日本で活躍しきれない女性が起業って言うとすごくレバレッジがきくんじゃないかとも思うんです。だから、起業を志すような女の子をどんどん育てていくために、いろんな取り組みをしています。

津田:
 入学者が7年間で2000人まで増えたというのは、なかなか出来ることではないと思います。まず何から手をつけて、どこがいちばん大変だったのか、教えて頂けますか?

漆:
 私もその頃は若く、経験も無かったので周りに何も言うことを聞いてもらえませんでした。なので、とりあえずみんなの話を聞いたんですね。そうしたところ、問題点は生徒や若手の教員が知っているのに、校長までその話が届いていないというのがまず分かりました。

 先生たちは、みんな真面目で生徒たちの為にやっていましたが、その努力が結集してつながっていなかったので、逆に生徒の立場から見ていい学校とはなんだろうと発想しました。それがよかったのではないかと思っています。

アジアを舞台に闘うベンチャー

津田:
 続きまして、テラモーターズの徳重さん、よろしくお願いします。

徳重:
 テラモーターズの徳重です。我々は、4年前に電気自動車の分野でベンチャー事業を始めました。電気で動くスクーターとか、三輪をやっています。最初から世界市場を狙うということで、今はアジアがメインターゲットです。私も月に5日しか東京にいないですし、ベンチャー企業のくせ社員の半分以上はアジアにいます。

 私はベンチャーの中でも変わっていると言われますが、実際は結構まともで、普通の大学を出て、いわゆる伝統的な大企業で5年半働いていました。29歳の時に思い切って会社を辞めてアメリカでMBAをとって、そのままシリコンバレーで技術系のベンチャーの支援をやって、帰国後に今の会社を始めました。

津田:
 シリコンバレーに行って起業されたと言うと、普通の人はIT企業を想像すると思うのですけど、なんでものづくり、しかも世界市場の企業にしたのですか?

徳重:
 シリコンバレーの連中は最初からグローバルで考えているので、世界市場というのは別に変わったことじゃないんです。ものづくりというのは、僕の中では、イノベーションとグローバルがキーワードです。そこでこのEVであれば、間違いなくイノベーションが起こると思ったんです。

津田:
 テラモーターズは最初の設立趣意書からすごいんですね。AppleやGoogleを超えるような世界企業になると。徳重さんをそのように突き動かしているものは、何なのでしょうか。

徳重:
 日本だったら僕がやっていることってすごくクレイジーなのですけど、世界にはベンチャーなのに、5年10年でメガベンチャーになっている会社ってたくさんありますよね。なので、「俺たちにも、それができませんか」という挑戦かもしれません。

津田:
 最初にシリコンバレーで働き始めたときに、一番日本とは違うなと思ったことは何ですか?

徳重:
 僕の感覚では、日本ではいわゆる優秀な人ほど起業家精神が低い感じがあるんですね。だけど、向こうの場合は真逆です。それが一番強烈でしたね。

「旅を作る」24歳の起業家


津田:
 次は石田さん、よろしくお願いします。

石田:
 みなさんこんにちは。トリッピースの石田と申します。トリッピースはみんなで旅を作るサービスを謳っています。企画を立てて、そこに集まった仲間と旅に出ようというサービスです。僕は大学三年の時に起業して、今に至ります。

津田:
 今、おいくつでしたっけ?

石田:
 24歳です。

津田:
 そもそも、就活しなかったんですか?

石田:
 1社だけしまして。内定は頂きましたが、お断りしたんです。内定をもらったときにはすでに起業していて、それを人事の方も知っていました。なので「どうする?」ってメールをくれました。僕はその時シリコンバレーにいて、お断りしたんです。

津田:
 なるほど。華々しくベンチャーで起業したわけですが、今日はここに来ている学生の方も気になっていると思うのであえてお伺いします。儲かってますか?

石田:
 まだまだですね。ようやく月によっては黒字になって、他は赤字といったところです。けど今は、黒字化というよりも大きな視点で考えています。アジアが生む旅行産業はここ7、8年で世界で一番の産業になっていくんですね。ここでナンバーワンをとっていければ、必然的に世界でもナンバーワンになっていくと思っています。

リクルートを辞めてベンチャーを助ける側に

津田:
 なるほど。では最後、佐俣さん。

佐俣:
 こんにちは。佐俣アンリっていいます。僕は大学を出てリクルートという会社に普通に就職しました。けれど2年半ぐらい経った時に、自分のやりたいことに何の関係もないなと気づいて、そこを辞めてベンチャーキャピタルをやっています。

 皆さんの年齢ぐらいの時に、カンファレンスで村口(和孝)さんという超かっこいいおじさんに会ったんです。そのおじさんみたいになりたいなと思って早5年。現在は自分でベンチャーキャピタルをやっています。ベンチャーキャピタルの仕事内容は、人からお金を集めて、それを人に渡すというものです。一緒に会社を作っている仲間は、一番若い子だと多分21歳なので、みんなとあまり変わりません。最近も、20歳ぐらいの学生と一緒に話して、「じゃあ、お前のやっていること面白いから」って言って、週明けに5000万円ぐらい渡すんです。そんなお仕事をしています。

危機意識だけが人を変える

津田:
 では、次のテーマに移ります。話を聞いていてみんな結構変わっているな、と思ったんですけど、どうですか。みなさん小学校、中学校時代とかで「あれ、ちょっと自分がうまく馴染めているのかな」みたいなことはありましたか?

 まず漆さんに。改革している中で、いろいろな生徒の意見を聞くとなると、本当にいろんな生徒さんと会話をされたと思います。校則とか守らないような子もいれば、すごくおとなしい子もいる。いわゆる個性重視の教育とずっと言われている中で、自立した子を育てていくときに、どういうところを一番考えていたのでしょうか。

漆:
 そうですね。私は、学校では最低限のルールはやっぱり守って欲しいと思っているんですよ。社会で何かをするときに、お互いの信頼関係を築くために、サッカーだったらサッカーのルールってありますよね。そういうのを守るべきだと、学校ではちゃんと教えています。

 けれど、何か変わった子がすごく好きでもあります。いつも生徒に言うんですけど、こういう場で「質問してください」って言うとシーンとしちゃうじゃないですか。そういうときに、最初にバカみたいな質問する子がいると、すごいみんな活性化しますよね。そんな、場の雰囲気を変えちゃうような、変わった人はすごく大事だと思います。そういう子が好きだし、そういう子をいじるのが好きですね。

津田:
 ちなみに漆さんの学生時代は?

漆:
 中学までは超優等生でした。けど、高校は進学校で私より何でも出来る子がたくさんいたので、勉強やリーダーはその子たちにお任せしてスポーツ三昧でした。

津田:
 でも、そこから教師になって、さらに学校の経営、そしてそれを改革してイノベーションを起こすということには、その真面目な優等生からなかなかつながらない気がします。何かそこにジャンプアップしていく際の気づきなどはありました?

漆:
 やっぱり、とことん困ったからですよね。さっきも言ったように、ちっちゃいころから教職員とも生徒とも家族みたいに育ってきた学校がこのままだと潰れちゃう、という危機感です。当時、都議会の資料で、廃校危険指数っていうのが出ていたんですよ。それを見たら、うちの学校が上位に入っていたんですね。それで怖くなったのがきっかけです。

 だから生徒が、「やる気がない」「何したらいいんでしょう」とか言ってきても、あまり心配しないで見守るんですね。すごく困ると自分から一歩が出てそこで大きな変化がきっとくると信じているからです。

29歳になって初めて自我が芽生えた


津田:
 徳重さんは、学生時代とか子どもの頃ってどんな子でした?

徳重:
 僕は小さい頃、親の言うことをちゃんと聞く真面目な、あまり面白くない若者でした。うちの親父は超頑固一徹で、とにかく会社はやっちゃ駄目だとか、めちゃくちゃ厳しいんですよ。正座させられて月一回、説教の時間がある。僕としては、起業家に向いてそうだなという思いはあったのですが、起業はするなとずっと言われていたんです。

 昔は真面目だったから、親を裏切っちゃいけないと思っていました。でも、なんか違うんじゃないかというのが徐々に溜まっていきました。浪人して大学に行って、としているうちに親とのギャップがどんどん広がったんです。でも、やっぱり親のせいもあって大企業に行きました。

 29歳の時に転機があって、もうとにかく自分の道を歩くって決めました。親の言うことは全部無視して、思い切って会社を辞めたんですね。そこからは茨の道もありましたけど。

津田:
 やっぱり、お父様は怒られましたか?

徳重:
 もちろんです。辞めた後に家に帰って「すみません」と言ったら、玄関に立ってめちゃくちゃに言ってくるんです。横でおふくろは泣いていて、めちゃくちゃ怖かったです。でも、そういう修羅場があったので、こういう世の中を変えなきゃいけないなと。

 チャレンジする人は、アメリカみたいなサポーティングなコメントをされたり、「人として何やっているんだ」って説教されたり。色々なんですね。僕はなんとか乗り越えましたけど、普通の人はなかなかそれを乗り越えられない。

津田:
 そういう意味で言うと、29歳の時に自我が芽生えたということでもあるんでしょう。多分、今はお父さんとの関係は良好なのかどうか、皆さんも気になっていると思います。

徳重:
 29歳で自我が生まれる前にもずっと考え続けていたんですけど、大企業の役員を見たときに、ああいうのがなりたい人ではないっていうのは明確だったわけです。ただ、僕も会社ですごく評価されていたから、要は今まで一流大学、一流企業で蓄積してきたものを全部捨てなければいけません。

 その決断が当時の僕では1年かかっちゃった。今だったらもっと早くできますけど。だから仕方ありません。親父にはもう理解してもらえないので、僕はもう親不孝者になっています。ただ、死ぬ前に最後の孝行と思って、年2回は一応帰ることにしています。ただ理解はないですね。それはもうあきらめています。

津田:
 理解はないけど、見てはくださっているとは思います。石田さんはどんなお子さんだったのか。まさに最近まで学生だったわけですから。

石田:
 実は小学校から中学校1年生ぐらいまで、僕はいじめられっ子だったんですよ、どちらかと言うと。名前が「言行(いあん)」なので、「いあん、ばかーん、あはーん」っていじめられてました。

 それですごい気が弱かったんです。それと、父、祖父ともに全日本のバトミントンのチャンピオンとかだったんですね。それで、自分もバトミントンを始めたんですが、挫折しました。全然チャンピオンまで行けないので。

 全日本チャンピオンというそもそもの基準が高かったこともありますね。中学校三年生の時に、僕はそこまでたどり着けないと分かったので、何だったら一番になれるか考えました。親父もどちらかというと、自分の好きなことをやれと言ってくれました。

津田:
 徳重さんのところとは真逆なんですね。

石田:
 本当に放任主義で、高校に入る時には「妊娠だけはさせるなよ」というぐらい。あとは何でもやっていいよと。大学に入ってからは、「妊娠させてもいいけど、責任だけは取れよ」とだけ言われました。

津田:
 良い意味での放任主義だったんですね。

石田:
 自分の好きなことをやれ。ただし、やるんだったら命をかけて達成しろという父なので、そこはすごく感謝してますね。それに、おじいちゃんが起業家だったというのもあるので、それもきっかけになりました。

津田:
 なるほどね。やっぱり、自然とそういうものがあったんですね。
とりあえず就活して、普通に就職した。それでも運命の出会いはあった。

津田:
 佐俣さんはどうでしょう。

佐俣:
 どうですかね。でも僕、ここにいるほとんどの人たちと同じだと思っていて、学生時代もやりたいことが見つからず、エネルギーを持て余していました。みなさんみたいに、こういう場所に来ていろんな話を聞いたり、アルバイトしたり、トレーニングしたり。いろんなことやっていたけど、本当に自分がやりたいことは何だろう、と探し続ける学生生活を送っていました。

津田:
 佐俣さんは、やりたいことが見つかったのは何歳くらいでした?

佐俣:
 いつなんですかね。

津田:
 僕も学生たちから、やりたいことが見つからないんですという相談を受けることがあります。その時は「学生時代とか、もっといえば20代で見つかるほうが珍しいんだから、とりあえず働けよ」と言うことが多いですね。

 僕自身も結局就職活動をしましたが、マスコミ志望で出版社を受けて全部落ちちゃいました。それでアルバイトからスタートして、結局今みたいなことをしています。でも、そうやってライターの仕事とか、自分で会社とかやっていくうちに、これが一生モノの仕事になるのかなと気づいたのが、メディアなんです。メディアに携わる仕事を一生やるんだなと思ったのは35歳ぐらいなので、そこに行くまでには結構いろんな道がありましたね。

 佐俣さんはどうですか?もしかしたら、まだそれを探している旅の途中なのかもしれませんが。

佐俣:
 何をやっていたかな。大学一、二年生の時は、年間300日合宿して、ずっと筋トレしかしていませんでした。体を壊してからは、なぜか分からないけれど一年間で10万枚ぐらい、ひたすら写真を撮っていましたね。要は、何も脈略はないんです。

津田:
 凝り性なんですね。一旦やり始めると、ひたすらにやる。

佐俣:
 みんなが一番になりたいと思っています。何かで一番になりたいんです。けれど、それで頑張っても多くの人は結局、日本一にはなれないんですよね。

津田:
 もっとすごいやつはたくさんいる。

佐俣:
 そうそう。けれど僕は、4回目ぐらいのチャレンジで、このゲームだったら、日本一はもうなれるのが分かったんです。だから、今は世界一まで行こうとしています。

津田:
 起業もされていましたよね?起業してイグジットして、それをもっと育てる、もしくはそれを基に新しい事業を起こすというやり方もあったと思います。そうではなくて、個人のベンチャーキャピタルという道に進んだのはなぜでしょう?

佐俣:
 みんなと同じです。よく分からないので、とりあえず就活をするんですよ。就活をしたら、偶然僕はベンチャーキャピタルという職業に内定を取ったんです。内定を取れたから勉強してみたら、村口さんというおじさんに会った。

 それがターニングポイントでした。けれど、僕はそれが本当にやりたいことか分からなかったので、三年間ぐらい全然関係ない会社で働いたんです。それで3年働いたときの結論が、「あ、これは自分がしたいことと関係ないな」だった。本当に気づけたのは多分27歳ぐらいですが、やっぱり学生の時からずっと「何をやればいいんだろう」って悶々としていました。多分、みなさんと変わらないと思います。

津田:
 村口さんは、ロールモデルのお一人なんですね。

佐俣:
 そうですね。かっこいいおじさんでした。僕にとってはイチローみたいなもので、この分野ですごくかっこいい人だったんです。そんな人に偶然会えて、しかもお酒まで飲んでくれたらかっこいいって思っちゃうじゃないですか。

津田:
 今、佐俣さんからやりたいことの話がありましたが、徳重さんはテラモーターズで起業されますよね。これは徳重さんにとって、世界に向かって日本からチャレンジできる環境を作るというのが一つ。もう一つは、とにかくバイクが好きで電動バイクを作りたいという願いもあると思うんです。その辺りの関係はいかがですか。

徳重:
 そうですね。僕は44歳ですが、やっと今、ずっとやりたかったことが実現できそうなステージに立てたのかな、と思っています。僕は大学のころは3つのことを決めていました。1つはいろんな本を読んで、起業家の話を聞きに行って大きいことをする。2つ目は世界でやるということ。そして3つ目は、人生を楽しむということです。

 その3つを大切にしていたんですけど、「それで実際に何しますか?」って言われるとなかなか出てこないじゃないですか。今やっと、40歳前ぐらいで大学の頃から大事にしていた自分の生き方みたいなのが具現化してきているかな、と思います。

お金だけじゃ満たされなかった


津田:
 テラモーターズが育って、電動バイクがアジアでもどんどん買われ始めている中で、この事業にはこんな面白さがあったんだ、こんな発展の仕方があったんだ、みたいな発見ってありましたか?

徳重:
 それは今、うちの若いやつらも感じてくれていると思いますが、アジアって本当にチャンスがあるんですよね。よく本にも書いてありますが、本当に日本の会社、日本人、日本の製品は現地でものすごく評価されるんですよ。だから、非常にやりやすい。

 一方で、日本人って「NATO(ノーアクション・トークオンリー)」と言われています。来るのは来るけど、全然意思決定はしない。そういう評価の低さもある。そんな全体的な日本人観をアジア全体が持っています。

 そんな中で僕らみたいなのが飛び込んでいくと、すごく喜んでもらえる。相手が財閥だろうと何であろうと。僕たちはベンチャー企業だけど、成長するアジアの財閥と組んで世界に展開していくというのが、僕は新しいビジネスモデルだと思っています。そういうことがリアルに実現されているというのは、僕も若い社員も、非常にワクワクしています。

津田:
 石田さんは何かありますか?今やられていることで、社会に巻き起こすイノベーションの中でも可能性がありそうな分野はありますか?もちろん、理想と現実は違うと思いますが、どうでしょうか?

石田:
 そうですね。最初に起業を目標にしていたんですが、もともと中学校の時にお金が入ったことがあって、お金を稼ぐだけでは満たされないと思いました。

津田:
 中学生の時に100万円稼いだら、人生が悪い方向に変わっちゃいそうですよね。どんな風に思ったんですか?

石田:
 でも、その時に稼いだお金は、自分の為に一切使わなかったんですよ。そういうのがすごく好きで、今もそれは変わってないと思います。結局、お金稼ぎじゃなくて誰かの為になることをしたいというタイプの人間なんですね。

 旅というジャンルは、その中でいろんな人達と出会えるのも長所だと思っています。自分の場合、バドミントンをやっていたのが同級生の男子で僕しかいなくて。それが今でもトラウマなんですね。誰か一緒にやってくれる人が欲しい。

 例えば、僕はスキューバダイビングが好きでよく海外に行くんですが、一人でスキューバダイビングやってもつまんないんですね。それで、すごく良いなって思っているのが、いろんな国の人たちが集まってダイビングをして、その後に感想を言い合ってつながっていく。そうするといろんな国の人たちが友達になって、Facebookなんかでも繋がっていく。次にその人の国に行くときは、家に泊めてもらうとか。

 そういった新しい人や同じ趣味を持っている人たちの出会いは、人生においてとても大事なことだと思っています。今までは日本人向けだけでしたが、4月にシンガポールに法人を作って、やっと海外版を出したところなんです。これからは、いろんな一つのツアーに10人が参加したら、それが10か国から参加する。10か国の人たちがつながって、また新しい人間関係を構築していく。そんな世界を作りたいですね。

津田:
 ちなみに、石田さんが今やられているような事業は、我々だとJTBや近畿日本ツーリストといった、いわゆる従来型の旅行ビジネスを思い浮かべるわけですけど、そういう旅行会社との違いはどこにあるんですか?

石田:
 多分結果として、買うか作るかの違いだと思っています。向こうは出来上がった商品なんですね。僕らは体験です。僕らがやることって、旅行会社とのマッチングぐらいしかしないので、結局売りになるのは場の提供なんですね。みんなで旅を見つけるというプロセス、体験を売っているというのが正しい。なので、魚釣りを例にすれば、寿司屋さんで魚を食べるのと、自分で魚を釣って食べることの違いだとよく説明します。

津田:
 自分で釣った魚をその場でさばいて食べた方が絶対うまいですもんね。(続く)

後編はこちら

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