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【全文】大前研一講演:泥沼を這い上がったストリートスマートから学ぶ「経営者の勘所」

U-NOTE編集部

2014/08/13(最終更新日:2014/08/13)

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【全文】大前研一講演:泥沼を這い上がったストリートスマートから学ぶ「経営者の勘所」 1番目の画像
 先日、2008年のリーマン・ショック以降、下降線を辿っていた国内未公開ベンチャー企業の資金調達額が、2013年に引き続き、2014年も増加傾向となったという発表がなされました。また、設立して間もないベンチャー企業が10億円以上の大型資金調達を相次いで発表し、グローバル展開を進めていくなど、起業家にとっては世界と対等に戦っていける環境が整いつつあります。

 そんなグローバルなステージで戦う経営者を目指す上で必要不可欠なスキルが「問題解決力」。そして、その問題解決力の養成に最も力を注いでいる機関が、日本を代表する経営コンサルタント・大前研一氏が学長を務める「ビジネス・ブレークスルー大学大学院」。ビジネス・ブレークスルー大学大学院は、オンデマンド方式で講義を配信し、仕事と両立させながらMBA取得を目指すことができる国内有数の経営大学院です。今回は、そのビジネス・ブレークスルー大学大学院での講義の魅力を少しでもお伝えするため、学長である大前研一氏の講演の一部を書き起こしました。

 円高や増税など経営環境の厳しい現代日本において、経営者の多くは、事業不振の原因を外部に求め、言い訳を並べ立てる傾向にあると大前氏は語ります。しかし、戦後混乱期をしたたかに生き抜き、世界を相手に成長を続けてきた日本企業の経営者たちがいました。彼らは、答えを求めて苦悩しながらも自分自身の感覚を信じ、結果として成功を手中にしてきたのです。あまり逆境と向き合う機会がないまま、経営者・起業家への一歩を踏みだそうとしている若者に、戦後の混乱した社会を生き抜いてきたストリートスマートたちが実践してきた経営哲学を参考にし、現代を生き抜く術を大前氏が伝授します。

戦後のしたたかな経営者の多くは、本能的な感触、触覚を持つ「ストリートスマート」 

 経営者というのは、今ほとんど世の中のせいにしているんだよね。円高だからどうしようもないとか、政府は何にもやってくれないとか、そういう言い訳が多すぎる。とにかく最近経営者と話していると、自分(経営者)が本当に努力してるのかと、そういう感じなんだよね。どちらかというと、今の経営者というのは自分以外のところに問題を見つけようという、エクスキューズが多すぎる。これは多分、今の経営者の人は修羅場を通ってきてないからだと思うんだ。

 戦争が終わった後の経営者というのは、何しろ修羅場を日本全体が通ってる。それで戦争が終わった後、日本の1人あたりGDPは300ドル。草の根まで食べてる、そういう時代だよね。だから、ノーエクスキューズの状態で財閥が解体されて、そして零式艦上戦闘機を作ってた会社も鍋釜を作らないといけないと。そういう時は、やっぱりしたたかなやつがどんどん出てきたのよ。日本の経営史を読むと、したたかな経営者というのは、いわゆるストリートスマート。ストリートスマートというのは、アカデミックスマートと呼ばれる学校の出来る子と違って、嗅覚とか感覚が非常に研ぎ澄まされているわけ。今、何作ったら売れるかということに、非常な勘がある。今の経営者には、これがなくなってるんだ。

 だから、ビジネス書や日経新聞を読むにしても、こういうのはアカデミックスマートの連中が書いてる。だからみんながだんだんそれを読めば読むほど、本能的な感触、触覚を失ってくる可能性がある。だから僕は、日本の戦後史から学ぶとよく言っているわけだ。「私の履歴書」も、最近面白くないよな。だめ。子供の夏休みの日記みたいに、「朝起きて歯を磨いてどうのこうの、宿題をして午後は遊びました。今日一日楽しかった」って40日分書くんだからね。こういうやつの「私の履歴書」って全然面白くない。

戦後、レジャー事業に目をつけたヤマハ「川上源一」

 僕が感動した「私の履歴書」は、川上源一。ヤマハの中興の祖なんだけども、川上源一は戦争が終わって、そのすぐ後に苦労してアメリカに行くんだよ。当時のアメリカは、ハワイを経由して、船で行くんだな。結構大変なんだよ、行くの。そして行ってみて頭に来たと。なぜかというと、戦争が終わったばかりで日本がまだ貧しくて、みんなが食うか食わずの生活をしているのに、みんなは遊んでいると。それで彼は悔しいということじゃなくて、「そうだ、日本も復興してきたらレジャーが大きな事業になるかもしれない」と思って、彼はヨットやスポーツ、楽器などをどんどんやるわけよ。だから彼の原点というのは、「アメリカ人は、戦争が終わってまだ間もないのに、こんなことをやって楽しんでるんだ」と感じたところなの。人生楽しむということが実は事業になるんだと、そこで感じたんだよね。

 彼は、もともとオルガンとかを作ってた会社なんだけども、そこからピアノを作ろうと始めるわけだ。でもこの人は、高校出たか出ないかぐらいの人なので、あまり学問は関係ないんだけども、いいピアノを作るにはどうしたらいいかという発想をするんだよね。そうすると、まずは弦によってどう音が違うのかと、同じピアノの弦を張って、違う木でピアノを作ってみる。そうすると、同じ木でも半年乾かしたものと2年乾かしたものでどう音が違うか。それから今度は、同じ木で弦の違うものをやるとかね。それから鋳物で弦を両側にやって引っ張るんだけど、その鋳物の種類によってどのぐらい音が違うかとか言って、バラバラにしちまうわけだ。それで18万通りのピアノを作るわけよ。その18万通りでもって、いいピアノというのはこう作るという研究してるわけ。学校は行ってないんだけど、今のドクター論文よりも精巧なものをやっていた。

 だから、ヤマハが世界一のピアノメーカーになるんだけれども、その原点というのはこの川上源一の科学的アプローチなんだ。サイエンティフィック・アプローチ。そして、この曲げていく技術をマスターすると、今度はスキーに入っていくわけだ。当時は、スキー板も同じものだから。テニスのラケットも弓道もアーチェリーも。そのうちの一部が繊維強化プラスチックのFRPになるんだけれども、FRPになったら今度はボートまでやり始めるわけよ。川上源一は、いつもルーツは同じなんだよね。

商売の原点は、アメリカに最初に行った時の衝撃

 彼が勉強したのは、唯一「孫子の兵法」だけ。孫子の兵法を勉強して、何回も何回も読んで、2600年前に書かれた非常に優れた戦略のあることに注目する。それは何かというと、日本でもピアノを普及させたいけど、みんなピアノを買うお金がない。どうやったらピアノを買ってもらえるかと考え、病院に行って赤ちゃんが生まれた時に「おめでとうございます」と祝いに行った。そして、今から毎月1000円ずつ貯金をしていただくと、うちのピアノおばさんが来て集めてあげると。そうして、ちょうどいい歳になるとピアノが買えるようなお金が貯まってくるので、日本ではそのようにして十数年間お金を貯めて、ピアノを買っていたと。それに加えて、4歳からピアノ音楽学校においでと誘い、ヤマハ音楽教室を作っていくわけだな。その結果、日本はピアノを弾ける人が世界で一番多くなり、結果的に家庭におけるピアノの浸透率が20%超え、ドイツ、アメリカよりもピアノの浸透率が上がっちゃったわけよ。

 だから、この川上源一は全部本能で感じているわけだ。どうしたらいいかと。そして、そこに必要な学問というのは、孫子の兵法だけだよ。そして、そのうちスタインウェイという世界一のピアノメーカーが売りに出たんだよ。当時20億円ぐらいだったな。20億といったら当時のヤマハだったらはした金みたいなもんだから、川上さんのコンサルティングをやっていた僕は「スタインウェイ買えますよ。どうですか?」と言ってみた。そうすると「俺は、スタインウェイに追いつき追い越そうと思って一生掛けてきた」と。「今、金で買えるからといって買う気はしない」と言って、彼は買わなかった。僕は買っときゃよかったと思うけどね(笑)ベヒシュタインとベーゼンドルファーとスタインウェイというのは、ピアノ製造御三家って言われてたんだけど、今はベーゼンドルファーなんか買っちゃって。ベーゼンドルファーを買うぐらいだったら、スタインウェイ買って全然問題なかったんだけど、彼の言い分はわかるよね。一生あいつに追いつき追い越そうと思ってやってきたのに、20億と聞くとがっかりすると。仮に2000億と言われたら彼は買おうとしたかもしれない。ただ20億というと、やっぱり当時の彼にとってははした金だった。

 こういう物語は、今の「私の履歴書」には書いてない。この彼がアメリカに最初に行った時の衝撃、これが彼の商売の原点だ。レジャータイム、これが商売になるんだというのを初めて知ったと。今の「私の履歴書」は、なんとか東京大学に受かりまして、なんとかこういうところに就職できましてって、なんとかって、半分自慢話じゃんか。面白くもおかしくもないよね。それでお前は平凡な人生を過ごしたなっていうんだけど、日経新聞的にはやっぱりそこそこの人だから「私の履歴書」はそうなるわけだ。だから昔のやつをいくつか読んだらいいよ。つまり日本の戦後史は、苦労の歴史なんだよ。食うや食わずの苦労の歴史。

YKK「吉田忠雄」の原点は、アメリカのパーティーでの一幕

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 もう一人すごい人がいるんだけど、それはファスナーのYKK。これは日本の会社で最も早く世界に、しかも70ヶ所以上に展開しているという素晴らしい会社。創業者の吉田忠雄さんは、小学校ぐらいしか出てないんだ。それでこの人の「私の履歴書」っていうのは、川上源一と匹敵するぐらい面白いね。

そして、吉田忠雄さんも戦後の貧しい頃にやっぱりアメリカへ旅行してるんだよ。それで、彼はジッパーの製作に取り掛かったんだ。きっかけは、アメリカでの、あるパーティーで、女性が肌もあらわなドレスを着ていたと。それでなんとなくアルミのジッパーが、あの肌に冷たそうに映ったと。これは何とかアルミじゃないもので作ることはできないだろうかということで、アルミじゃないものにしてあげたいっていうところからナイロンジッパーの研究を始め、世界初のナイロンジッパーが生まれた。今は、世界シェア4割で、一時は7割まで持っていたんだけど、中国に2000社もジッパーの会社が出来てきて、若干安い方は取られてきちゃってるんだよね。

 しかし、彼らの原点は、アメリカでの肌もあらわな服装の時にアルミは似合わないんじゃないかというここだよね。その一点からナイロンジッパーの開発に取り組んで世界一になるという。顧客目線もいいとこだよね。だからやっぱりこれ大学関係ないじゃん。

 川上さんも大学行ってないんだよな。それで「あなたはどこの大学出たんですか?」って言われるのが嫌いだから、東京にも来ないんだよ。新聞記者のインタビューも受けない。「どちらの学校出ましたか?」なんて失礼なこと聞くなよ。

英語が話せないのにハーバード大学で教鞭をとる「安藤忠雄」

 安藤忠雄ぐらいになってくるとちょっと違う。「俺は学校出てない」って言うの。建築学科はだいたい早稲田か東大になってるから、「どちらの学校でしたか?」って聞く人がいる。そこで、俺はどっちの学校も出てないと。

 彼は建築というものをやるのに、クレヨンしか使わない。クレヨンでもって「ここだったらこんなのどうですか?」ってクレヨンで描くんだよ。ハーバード大学の建築学科で教えてるんだけど、クレヨンで大きなチャートに描いて、こうやってやるんだって言うんだよね。それでもって、もちろん勉強してないから英語はできない。でも、日本語の出来るアメリカ人の学生がクラスで通訳をやってくれる。それで日本を代表する建築家になれてるんだよね。だから最近で言えば安藤さんみたいな人が、戦後の日本にはごろごろいたんだよ。なぜかというと、いい学校を出て財閥なんかに勤めてた人が、財閥解体でハチャメチャになっちゃってたわけだ。だから秩序があれば、あいつらは強いんだけど、秩序のない世界っていうのはストリートスマートが勝つんだ。要するに、町の喧嘩では負けねえと。だから僕は、歴史から学ぶって言うけど、それは歴史の教科書を読めってことじゃない。

グローバル企業に比較的共通しているのは「ド田舎の会社」

 それから、いくつかの日本を代表する会社、コマツやYKKの特徴は、田舎の会社だということ。何しろ北陸の冬、行ってごらんよ。さみしくてあんなところ脱出したくなるで。東京に来ても馬鹿にされるだけだから世界に出かけていくと。こういう話だよな。しかも、これらの田舎の会社って、田舎なかでも田舎なんだよ。県庁所在地じゃないんだ。YKKは黒部の会社。大塚製薬、これは鳴門の会社。みんなずれてるんだよ。ド田舎なんだよ。

 実は世界を見ても、例えばコマツの競争相手であるキャタピラーはド田舎、ペオリアってところにあるんだよ。それからガラスで世界一のコーニングっていう会社はニューヨーク州のコーニングっていうところにあるんだよ。ニューヨークシティーにはないんだよ。ネスレ、10兆円近い売上を誇る世界最大の食品会社。本社どこにあると思う?ブベイっていうジュネーブから一時間ぐらい、ルマン湖をずっと行ったところのド田舎。要するに、グローバル企業に比較的共通しているのは、ド田舎の会社。田舎から行くと、ニューヨークを乗り越えて世界に出ていくというところだよね。だから共通項としては、田舎のほうがなんとなく世界というものを見る。東京にいるとそこに埋没しちゃって、これが宇宙と思っちゃう。

 歴史から学ぶというけれど、今はインターネットの時代だから、基本的にはどこにいてもいいわけじゃん。僕も今は授業を大学院とか大学でいろいろやってるけれども、どこにいても授業はできるんだ。だから、もはや東京にいる必要ない。

欧米の企業史からわかる日本メーカー停滞の理由

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 日本を代表するテレビメーカーが最近ひっくり返ってるけど、あれは欧米の企業史から学ぶべきなんだよ。「テレビは駄目になった、儲からない。テレビ以外のものを見つけろ。スマホの時代だから、そっちに行かなきゃダメだ」とかね。これ間違ってるんだよ。これは要するに、例えばソニーとかシャープとかパイオニア、あるいはパナソニックがコケてる理由じゃないんだよね。僕に言わせりゃ。テレビ出来ねえんだったら、そんなほかのもんできるわけないよ。何で日本のテレビメーカーが駄目になったのか、欧米の企業史からちゃんと勉強してれば当たり前なんだよ。

 40年前のアメリカの4大テレビメーカー。GE、RCA、ZENITH、Motorola。もう日本企業の20倍ぐらいのでかさだよ。そこに対して日本がひたひたと輸出をしていると、これらの会社がアンチダンピングとかで日本企業を訴えて、いわゆる日米貿易戦争のテーマになり、大変な思いをした。それでも日本企業はあきらめずにアメリカに生産を移してテレビを磨いていったわけよ。そして最後にZENITHは、日本との貿易交渉がうまくいって、彼らはメキシコに行っちゃったわけよ。しかし、ZENITHはメキシコで死に絶えた。RCAは会社として潰れた。それからGEはテレビを辞めた。Motorolaはテレビ部門のクエーザーを松下に売っちゃった。松下はこんなひどいテレビ工場はいらないと言って、クエーザーブランドも工場4つも全部閉鎖。そのようにして考えてみると、日本企業のテレビがどんどんどんどん良くなる過程で、アメリカの巨大なテレビ会社が全部パアになった。原因は日本企業。日本企業にやられてアメリカはテレビメーカー1社もなくなった。

 ヨーロッパのテレビメーカーでは、フィンランドのノキア。80年代の後半に、ノキアはもうこれ以上やってられないので、日本メーカーは買ってくださいと。いずれもパア。ノキアの当時の社長もいなくなり、シティバンクから再建請負人としてヨルマ・オリラが来た。そこで「もうテレビはやめた」と言って、選択と集中で携帯電話一本に。そして5年後には、世界一の携帯会社になった。しかし、メインだったテレビ事業は日本勢にやられてしまった。

 つまり、欧米の企業史を学ぶと、今の日本のテレビメーカーがひっくり返ってる理由がわかるでしょ?主役が交代したんだよ。日本勢がヨーロッパとアメリカ勢をことごとく潰したように、今はサムソンとかホンハイが日本メーカーを潰してる。

 だからテレビというものに問題があるのではなく、テレビの需要は依然としてあるのよ。例えば日本では、タブレットやスマホで動画を見るから、もうテレビは駄目って言うけども、そうじゃないんだ。世界中で今、可処分所得が5000ドル以上のところは14億人いるわけだ。テレビは、まだ2割ぐらいしか入ってない。そういった国は、家庭に1台のテレビさえ入ってないところがまだごまんとあるわけよ。だからいきなりタブレットでと言わず、国としてテレビをちゃんと売る仕掛けを作れば、これはもうボリュームなんていくらでも行くんだよ。それは、そういう販売網とコスト。こういう点でサムソンやホンハイに日本勢がかなうのか。十分かなうんだよ。だけどそういう努力をしてない。

アフリカのジャングルでも売るコカ・コーラの「危機感」

 かつて日本メーカーがアメリカ進出していった時、死ぬほど努力をしたわけだ。しかし今の経営者は、土日にはゴルフをしながらなんちゃって努力をして、なんかあったら政府のせいにしちゃうと。日本が欧米の会社を駆逐してきた歴史を見ると、今、日本が駆逐される番に来てるんだと、これはよっぽどフンドシを締めていかないといかんぞと。

 それをやろうと思ったら、やっぱりコカ・コーラみたいにアフリカのジャングルの中でもコカ・コーラを売るとかしないと。あの会社は、一日に15億本のコカ・コーラを世界中で売っている。全世界が100億人とすると、世界中の人が一週間に1本は飲んでいる計算。それを売るためには、アフリカのすべての村も、とにかく売れるようにしていかなくてはいけない。アメリカだけじゃダメなんだ。これ、根性あるやん。少なくともアトランタにあるコカ・コーラにとっては、それが企業の生死を分けると思ってるわけだ。だから危機感を持った者がいて、アメリカの人口は伸びないと分かっていて、一人当たり一年に294本飲むと飽和すると。そりゃそうだよな、コーラばっかそんなにいっぱい飲めない。でも、まだそんなに飲んでない国がいっぱいあると。「そこに行くぞ」と言って、決意を新たにやってるわけだ。

 つまり、欧米の企業史に学ぶことというのは、こういうこと。昔、世界を征服したと思ったGE。テレビはひっくり返ったが、まだ世界最大の企業の一つとして君臨している。メディカルにしてもファイナンスにしても、ジェットエンジンにしても。GEは自分で変わっていったわけだ。日本に負けてくよくよしてないで、他のところ攻めていた。だから今のGEは、まだまだ健在だ。

 つまり、欧米の企業史を見ると、彼らは巧みにポートフォリオを変えていっている。日本にやられたら、やられないところに逃げていく。こういうことをシャカリキにやっている。この部分が日本の場合にはないわけだ。日本が今、やられる番にまわったら、ギャーギャー文句を言ってるじゃないか。自分たちがいくつのアメリカ企業、ヨーロッパ企業を潰したかを忘れてるんだよ。だからこの歴史をちゃんと勉強しておかないとまずい。

マンモスの絶滅からもわかる「経営の真髄」

 マンモスは、時代に適応できなくなって死んでしまったわけだ。経営というのは、環境適合できなかったら死ぬんだよ。ソニーなんか見てると、少し視点の狭さがあって環境適応ができてなかった。20年前のソニーは、要素としては何でも持ってたんだ。だから今となっては、全部キャッチアップしなければいけない。オールキャッチアップモードになると、大変だよな。

 僕の大学院では 「リアルタイム・オンライン・ケーススタディ」というのを毎週やるんだよ。ハーバードみたいに古いケーススタディじゃないんだ。15年ぐらい前から既に、ハーバードのケースメソッドって成り立っていないんだよ。先生が一生懸命ケーススタディやってると、生徒が「先生、もうあの会社つぶれてるよ」とか、「その会社、今こっちに吸収されていましてもうありません」とか。だから、先生は生徒が3人寄るとかなわない。生徒3人のほうが先生より事例いっぱい知ってるんだ。僕らの大学院では、「リアルタイム・オンライン・ケーススタディ」ということで今週起こった出来事を、「あなたが〇〇だったらどうするのか?」と1週間に1例考えてもらう。

 だいぶ最近陰りが見えるな、なんていうのを一つ例にとってやるっていうのはいいことだよ。ただし、自分が当事者として考えなきゃだめ。自分に番が回ってきた時に当事者となろうとしたって絶対だめだから。同時進行の現代というのは、事例が溢れている。自分ならどうするかという発想を持ってないと、「君は?」と言われたら「別に」ってなっちゃうんだよな。とにかくすべて、自分なりの考え方を組み立てる練習なんだ。そういう特徴のある人しか経営はうまくいかないよ。

 戦後のすごい経営者に学んでも、みんなそうだよ。「ああそうですね」「me too」なんて言う人は、優れた経営者にはいない。みんなと一緒に流れたらマンモスだよ。寒さに耐えずに死んでしまったマンモス。とかげみたいなやつは生き残ってるんだからね。そういうことだな。(終)


 「唯一生き残るのは、変化できる者である」というのは、生態系においても、ビジネスにおいても同じでしょう。同時進行の現代から学び、問題解決力を身につけ、資本主義経済を勝ち抜いていく必要があります。ビジネス・ブレークスルー大学大学院では、学長である世界的経営コンサルタント・大前研一氏をはじめとする「超一流の実務家教授陣」が自身のノウハウを余すことなく伝授し、現代のビジネスで成果をあげるために必要不可欠な「構想力」「論理思考力」「問題解決力」を、オンデマンドで学ぶことが可能です。

 ビジネス・ブレークスルー大学大学院では、入学の受付を春期、秋期の年2回行っており(グローバリゼーション専攻は春期のみ)、説明会への参加は、通常の説明会の他に、オンラインでも開催しています。また、個別でのカウンセリングにも申し込むことができます。申込は こちらから。

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 なお本稿は、2012年5月20日に行われた、アタッカーズ・ビジネススクール(ABS)での特別講義の模様(一部)を書き起こしております。

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