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【全文】猪子寿之×隈研吾 現代日本のビジネスマンは「言外のスキル」と「文化の連続性」で勝負せよ!

椿龍之介

2014/08/05(最終更新日:2014/08/05)


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【全文】猪子寿之×隈研吾 現代日本のビジネスマンは「言外のスキル」と「文化の連続性」で勝負せよ! 1番目の画像
 「Technology×Creative」を理念に掲げ、テクノロジーやアートの融合を目指すウルトラテクノロジスト集団チームラボ。そのチームラボの代表である猪子寿之氏と、「KITTE」や太宰府天満宮のスターバックスコーヒーの店舗などを手がけ、日本・海外問わず反響を呼ぶ建築家・隈研吾氏が、海外と日本の仕事文化の違いと、グローバル時代の新しい働き方のカタチについて語り合います。

スピーカー

チームラボ 猪子寿之氏
建築家 隈研吾氏

見出し一覧

・海外で通用するためには「日本のやり方」を投げ捨てろ
・同世代の外国人の方が、別世代の日本人より通じ合える
・日本からFacebookやGoogleのような企業が出てこないワケ
・これからのビジネスマンは言葉で説明できないスキルで勝負
・メイドのポーズは歌舞伎文化によってもたらされたものだった!?

動画

日本文化の継続性と僕たちの仕事(Youtubeより)

海外で通用するためには「日本のやり方」を投げ捨てろ

猪子寿之氏(以下、猪子氏):
 最近、私の会社も海外に呼ばれるようになってきています。隈さんは海外でもすごく活躍しているじゃないですか。どうやったらそんなに活躍できるんでしょうか?

隈研吾氏(以下、隈氏):
 1つは、日本で90年代にバブルがはじけた後、あまりに仕事がなかったので、「もうこのまま日本の建築は駄目になっていくな」と思ったんですよ。単に建築関連の仕事がないだけじゃなく、何となくですけど「建築が嫌い」という世の中の風潮があって、「公共建築はお金の無駄遣いだ」とかトンネルが落盤した話とか、公共建築って世の中から嫌われる時代が90年代から続いてる気がするんです。それで、日本では建築が嫌われる時代になってしまったと感じました。

 嫌われてしまったのは高度成長期に建築物を作りすぎちゃったからだと思い、これからも当分建築嫌いの時代は続くだろうから、日本の建築は駄目になっていってしまうと感じることがあったんです。そういうこともあって、海外に呼ばれたときは無理にでも行って話をしました。中国で「竹の家」を作ったのが割と海外に進出するきっかけだったんですけど、竹の家って知ってますか?吉永小百合さんが出演するCMに出てきたものです。

猪子:
 CMに出てきましたね。

隈:
 そのCMが好評だったんです。竹の家を建築する仕事はとても安い設計料だったんですが、海外だからやろうと決めました。ここだけの話ですが、設計料が交通費込みで100万円だったんです。しかし、中国の大学の先生から「面白いプロジェクトだからこれしか払えないけど文化事業的プロジェクトだと思ってやってよ」と言われました。

 中国の場合、最初はうまいように言って、「100万円で一番安く作ってくれればいいんだから」となるんですが、絶対一番安くは終わらない訳です。スケッチを1枚だけ中国に送ると、どういうものが出来上がるかわからないので、スケッチを送って、図面も送って、現場にも何回も出向いて…。1年半かかって結局100万円しかもらえなかったんですけどね。そういう報酬が少ない仕事でも、海外だから無理してやろうと考えて実際にやっているうちに、海外からどんどん呼ばれるようになってきて、今は日本の仕事がなくても十分やっていけるぐらいになってきました。まずそれがきっかけの1つ目です。

 海外で仕事をするときのコツがあるとすれば、日本と同じやり方では無理だということです。例えば、安藤忠雄という建築家の方がいるじゃないですか。安藤さんは1941年生まれで、私が1954年生まれだから13歳も歳上です。安藤さんは世代的に一つ上の建築家なんですが、安藤さんの世代は日本と同じものを作らないと怒るというやり方でした。安藤さんは、コンクリート打ちっぱなしでも綺麗に打ててないと大変に怒るわけです。安藤さんは、完璧に平らな面でエッジも完全な直角じゃないと駄目だという完璧主義者でして、自分のやり方を海外でも通すわけです。そうすると、完璧主義についてこれる国はいいのですが、ついてこれない国も結構あります。どうしても完璧にコンクリートは打てない。その時に安藤さんはどこまで怒るか、どこまで諦めるかわからないですけど、私の場合は、日本の建築精度を海外にまで押し付けるのはやめようと、ある時から思うようになったんです。

 竹の家がいい例なんですが、直径6㎝の竹が6㎝の隙間で綺麗に均一に並んでる図面を書きました。日本ですと、ほとんど6㎝のまっすぐな竹が来るんだけど、中国の現場では全然6㎝の竹はない。長いものも短いものも混ざってしまっていて、さらには曲がってるのもあって、まっすぐな竹は少ししかないわけです。日本だと建設会社があらかじめフィルタリングして現場には持ってこさせない仕組みになっていますが、中国では平気で不揃いな竹が現場に並んでしまう。そこで私は考えました。「怒鳴ろうか、どうしようか」と。ひょっとしたら、不揃いな竹が中国の建築の味になるんじゃないかと思いました。日本で作った竹の家は整然としたものですが、同じ図面でも中国だとまばらになり、これが逆にやわらかさとなって味になるかもしれないと。そこで「ここで怒るのはやめよう、ニコニコしていよう」と思い、「ああ、これ意外に面白いじゃん」と言いました。そうしたら、中国の人は「ゼネコンの人がうまくやってくれました。難しい竹で」と言っていました。

 彼らは機嫌よく他の現場でも材料の調達をしてくれまして、そのうち海外のまばらな精度で面白い図面を書き始めようと思ったのです。逆に、ふにゃふにゃした竹が並んだ時に面白い建物ができるかもしれないなと思いました。設計の仕方もだんだん変わってきて、中国で竹を使うときとフランスで竹を使うときで図面の書き方を変えるようになり、日本と違う味がそれぞれの場所で出せるようになってきて、すごく海外の仕事が楽しくなっていったのです。

同世代の外国人の方が、別世代の日本人より通じ合える

隈:
 お尋ねしますが、今、海外の仕事では、どのようなことをやってるのですか?

猪子:
 今年は、春に国立台湾美術館という台湾で一番大きい現代美術館の別館をまるごと使って、「チームラボ展」のようなものを開いて欲しいという、すごくありがたいオファーをいただきました。3か月近い期間を使い、広いスペースで約20作品展覧するイベントを行いました。

 あとはつい最近のことですが、初めてシンガポールで展覧会をやったところ好評で、来年は3つぐらいシンガポールから展覧会のオファーが来ています。今年の春に台湾の美術館で展覧会を行ったのがきっかけで、台湾のチェーン展開しているカフェの中にデジタルな演出を入れる計画もあります。成功してチェーン展開したときのコストパフォーマンスがいいので、私達でデジタルの演出をやろうということになりました。具体的にはデジタルの絵画を作って、頼んだ注文によって演出が変わるものや、バースデーケーキを頼むとみんなが祝ってくれるような演出を考えています。絵の中の鳥たちが誕生日のお祝いをしてくれるような壁画になるんでしょうかね。そういう仕事をやっています。

隈:
 そういう絵画は台湾のクライアントに頼まれて作るんですよね?日本で作る時と台湾人用に作る時は作り方を変えているのですか?

猪子:
 展覧会の展示品はアートなので、今まで作ったものを選びました。ただ、カフェのものは新たに台湾用として作りました。最近言えることですが、昔は国ごとに価値観は大きく違ったじゃないですか。でも、最近は国ごとの価値観の違いよりも世代間の価値観の違いの方が大きいと思うんです。

 例えば、以前は入ってくる情報はテレビや新聞、雑誌から得ていたと思うんです。そうすると、テレビも新聞も雑誌も国ごとに異なるものがあります。でも、私の世代とか下の世代はもっとそうだと思うんですが、テレビを見ている時間よりFacebookとかTwitterを見ていて、実際に共有される情報はYouTubeの動画や、世界で共通のものがFacebookに情報として入ってくるので、台湾に行ってもシンガポールに行ってもほとんど見てるものが一緒なんです。

 だから、国ごとの価値観はそんなに変わらなくて、むしろ世代間の価値観が違うと感じてしまうほど自分の国の中で価値観が違っています。この現象は日本だけだと思ってたんです。でも話をすると、世界中で同じ現象が起こっているようで、シンガポールでも世代間の価値観に対してすごくギャップを感じるって言っていました。むしろ同世代の他の国のほうがそんなに価値観が変わらないと言うんですよね。
 
 実際、台中で美術館で用意するときは規模が大きく、スタッフが日本から行くとコストもかかってしまうので、手伝ってくれる人を現地で探そうと思いました。ちょうど美術館の近くにあった、若者がいっぱい集まっている喫茶店に入ったんです。ちょっと話してみて「お前何やってんだ?」と聞かれたので「アートやるんだよね」とか答えたら「アート?なんだそれ」というのでYouTubeで動画を見せると「あ、これ見たことある」「これかー」「知ってた」「超すげー、お前、超すげー」みたいな反応が返ってくるんです。

 日本で大企業の偉い方に「こういうことをやってるんです」って動画を見せても「ほお、こういうのやってんだ」という反応しか返ってこないでしょう。もちろんそれは初めて見たという感想なんですけど、結構他の国の同世代は「知ってるよ」と言ってくれる。だから結構、別の国でも見ているものは一緒なのかなと実感しています。実際、自分も最近はFacebook経由の情報ばっかり見ているので、そうするとYouTubeの情報ばっかり入ってくるようになっています。YouTubeはグローバルのプラットフォームなので、見てるもの一緒なのかなとだんだん感じているところです。

隈:
 それでも、その国のテイストって感じませんか?「この国では絶対勝てない」と感じてしまう国があるんですよ。例えば、ドイツではコンペで絶対に勝てないんです。ドイツのコンペで勝った作品を見ると、「どうしてこんなのがいいの?」って思ってしまうぐらいつまらなく見えるのですが、ただ本当に四角い作品になっている。未だにドイツは四角にこだわりがある。本当に四角くて、絶対に壁が直角に建ってないとコンペには勝てない。ちょっとでも四角から外れてしまうと駄目なんです。あれは不思議ですよね。国ごとにDNAのような埋め込まれたものはあるのではないかと思います。

猪子:
 確かにそうですね。ただ、建築は5万年ぐらい歴史があるような分野なので、国ごとの特色があるかもしれませんが、デジタル分野はまだ未知のもので、始まってすらないと感じてしまう分野です。国による違いとして感じることは、国がとても未来志向を持っているとすごく相性が良いんですが、未来志向じゃないと相性が悪いと感じています。

隈:
 未来志向を持っているからシンガポールがいいんですよね?

猪子:
 シンガポールや台湾、むしろアジアは全体的にすごく未来志向です。特にシンガポールはすごい未来志向で、台湾も国家として未来はどう生き残るべきかみたいな強い意志を持っているので、相性がいいですよね。未来志向が強いアジアにずっと行っている間に、日本では「ALWAYS 三丁目の夕日」が流行っていて、懐古主義がブームになっていることを感じます。

 国のトップも、「日本の社会は三丁目の夕日みたいになったらいい」と言っています。もし「50年前ぐらいのシンガポールがいい」ということをシンガポールで言ったら殺されてしまうと思うんです。台湾でも「昭和30年代の社会がいい」とか言った日には、首相が撃ち殺されてしまうと思います。日本のような懐古主義の国だと、「デジタルは非人間的だ」というような扱いを受けて、ちょっと差別されてしまう。

隈:
 私もシンガポールやマレーシアのコンペでは、「建築物を丸くしておいて」と指示しています。建築物を丸くしておくとそれだけで喜ばれるんです。だけど、未来志向の国の面白さって、未来志向のものをコンペで選んでおきながら、建築技術としては蓄積がないとなかなか丸いものが作れないという点にあると思います。日本は懐古主義ですが、建築会社がしっかりと丸いものでも作ることができるんです。シンガポールでは、いざコンペで勝ってから「その案はコストが大きすぎて出来ません」と言われてしまう状況もあるんですよ。

猪子:
 なるほど。技術の差に関して言うと、私達の業界はだいぶ違うかもしれないですね。もう完璧にグローバルで技術面は統一されつつあるので、国によって手に入るものに差がある状況はほとんどないんですよね。

隈:
 それはきっと相当違いますね。

日本からFacebookやGoogleのような企業が出てこないワケ

猪子:
 私はすごく焦っています。日本の技術的な優位性は全くなくて、技術のグローバル化のスピードも激しすぎる。例えば、歴史もあり経済的に豊かな時代が長い先進国と発展途上国の建築技術には大きく差があるじゃないですか。でも、デジタル業界は国によるエンジニアの差は全くないんです。世界中で情報が共有されてきているので、出来る人はとても出来るし、できない人は出来ない状態になっています。

隈:
 韓国は技術的にも発展しているのですか?

猪子:
 二つの側面があって、人の単位で見ると本当に世界中どこに行っても変わらないです。トップのエンジニアはどこの国でも同じくらい優秀です。でも、どこの国にも出来ない層はいます。それが均質化されています。この国はみんな優秀で、この国はみんな出来ないという差はないです。例えば、インドとかでも優秀な層はとても優秀で、中国でも韓国でも同じ状況になっています。ただ、国の状況で才能が花開く花開かないの差はあります。

 話は変わりますが、LINEがとてつもなく流行っていますよね。

隈:
 韓国のNHNという企業がサービスを運営しているんですよね。

猪子:
 でも、開発しているのは東京で100%日本人なんです。今まで、たくさんのユーザーが使うようなFacebookとかGoogleとかTwitterのようなグローバルなサービスはずっと出てこなかったじゃないですか。だから技術の差はなくて、社会環境とか組織のジャッジの仕方とか、資本の厚みで世界に行けるか行けないかが決まるんです。

隈:
 私は今、NHNの研修センターを設計しているのですが、大きさと環境の良さが非常に優れています。日本の企業で素晴らしい研修センターを作るところはあり得ないと感じてしまうほどすごい。

猪子:
 東京のオフィスで日本人が普通に作っていたにも関わらず、環境や資本の厚みの違いだけでLINEは世界に進出することができたわけです。日本のクリエイターとかエンジニアは競争力はあるのですが、環境が整っていないので、結果として全く競争力がないと見なされてしまう。

隈:
 デジタルが普及して、韓国の建築業界は学生レベルでも全く別の世界に変化しています。学校教育の中でもパソコンのソフトを与えて、コンピュータで図や表を書かせています。日本の建築学科はガラパゴス的で、安藤忠雄さんも「手書きで書け」と言っています。日本は、かつては世界の建築教育でリードしてたんですが、ここ10年ぐらいで韓国に差を付けられています。韓国の学校に行って設計の講評会を見てみると、日本人は相手にならない。素晴らしいものを書いています。

猪子:
 これから全ての分野において大きく差が出ると思います。日本だと、大御所の方が「デジタルは人間をなめてるのか」と怒るじゃないですか。批判されすぎていて、デジタルに興味がある若者ですら「インターネットには悪い側面もいっぱいあると思います」とか言っていて、「どこが悪いのかちょっと教えて」と言ったら、5分ぐらい考えた挙句「ちょっと今、一生懸命考えたんですけど一個もないかもしれません」って言ってました。多分、学校で批判されすぎているんだと思います。

 しかし、デジタル化されると情報の共有されるスピードがとても早くなるので、レベルが一気に他の国に追いつくんです。だから、デジタル化された環境があると基礎スキルの底上げが激しいですよね。エンジニアも、昔だと国ごとに大きな差があったのに、ネットを使うことでどんどんバンバン情報が共有されて、一生懸命学習する人たちは同じようにスキルが伸びていて場所は関係ないんです。

これからのビジネスマンは言葉で説明できないスキルで勝負

(以下、質疑応答)
Q:
 言語化できる分野の競争力がなくなっていくと予想されますが、マーケティング分野のビジネスマンは、どうやって生き残っていけばいいのでしょうか?

猪子:
 人間の身に染みることは言語化しても論理的にならないような知的な領域です。例えば、基本的には会社にはテクノロジーが絶対に必要なんですけど、テクノロジーや論理化できたら言語で説明がつく領域は一瞬で共有されすぎていて、どんな国に生まれようと自ら学習する人は一気にレベルが均一化されます。論理化できる領域は世界でも差が付きにくくなっていて、日本から仕事をしようと思ってもコストが高いですよね。言語で説明がつかないような領域こそ再現性が共有しにくいので、すごく差が出ると思っています。文化の依存度が非常に高い領域に大きく差が出やすいので、そこが競争力になると思います。自分たちもすごく意識してるんですが。

 本題に戻りますが、マーケティング分野のビジネスマンはどうしたらいいかということに関しては、チームラボに入ればいいんじゃないですか?「手が動く人しかチームラボにはいない」と言ってるんですが、それは本当は嘘で、まとめ役の人はプロジェクトに必ずいて、チームラボでは「カタリスト(触媒)」と呼んでいます。プロジェクトをマネジメントしたり、クライアントと調整したり、エンジニアやデザイナーのテンションを上げる人が必要です。

 昔でいうと、プロジェクトマネージャーとかディレクター、プロデューサーみたいな職業といえるかもしれませんが、従来の役職とだいぶ違う点は、そんなにディレクションせずにチームの環境やテンションをマネージメントにおいて重要視すること。チームワークとクリエイションを生み出しやすい状況を、出来るだけたくさん作る仕事の人が結構いっぱいいるんです。どういうカタリストが優れているかというと、結果として優秀なカタリストはわかっても、それは言葉にすると何なのか僕らもまだよくわかってないんです。自分もカタリストの条件にはすごく興味があるんですけど、そんな解答でいいでしょうか?チームをマネジメントできる人はすごく活躍すると思います。マネジメントスキルを履歴書で表現することは非常に難しいんですが、とても重要だと考えています。

隈:
 建築家は、エンジニアや技術系の職業ではないと思っています。実際のところ、日本だと建築志望の学生は工学部に入ってることが多いですが、海外ではロースクールのような建築学科と呼ばれる独立した学科があるんです。建築学科はロースクールと同じように、そんなに数学ができなくても入ることができ、先ほどのカタリスト的な能力に似てるんですが、いろんなバランスを取ってベストなソリューションを考える能力がある人を育てようとしています。構造計算というような計算が重要な分野もありますが、そちらは専門のエンジニアが海外では担当します。ですから、別にマーケティング分野のビジネスマンでも、ソリューション能力があればどんどん獲得していきたいと思うでしょう。

メイドのポーズは歌舞伎文化によってもたらされたものだった!?

Q:
 デジタル化によって文化が均一化されていくと、日本の良さというものが失われていってしまうのではないでしょうか?

猪子:
 全部が均一化されるということはないでしょう。均一化される部分と均一化されない部分がきっちりと分かれていて、テクノロジーのような知的な部分はすごい勢いで共有されていくでしょう。例えば、今のカラオケで歌われている歌手のランキングを見ても、1位がAKB48で2位が初音ミクだったりします。つまり初音ミクは2番目に国民的なスターです。でも、世代が違うと初音ミクは全く知られていないじゃないですか。一昔前で言うと、美空ひばりは日本国民であれば全員が知っていましたよね。メディアの環境も昔はマスメディアが最大のメディアだったのが、今はFacebookが最大のメディアです。自分と価値観が近い人の選んだものだけが、情報だと言えるんです。若ければ若いほど、テレビとか新聞、雑誌とかを見ないため、より多様化しています。実際、私の上の世代よりも若い世代の人は、ハリウッド映画の影響などを考えてみてもとても少なくなってると思うんです。

 「文化って何だろう」とよく考えるんです。例えば、昔の歌舞伎の演者はいろいろな発見をしたと思うんです。歌舞伎で言えば、不細工でも格好良く見えるポージングの発見のことでしょうか。西洋だと、歌舞伎とは違ってカッコいい人がよりカッコよく見える演出の発見を繰り返してきたと思うんですよ。だから西洋のスターはかっこいいですよね。でも、歌舞伎は不細工でも格好良く見えるポージングを発見していて、当時はとてもすごいイノベーションがいっぱい起こってたと思うんです。でも、いつの間にか歌舞伎の場ではイノベーションが起こらなくなり、気づいたら仮面ライダーのポージングなどのイノベーションに繋がったと思います。

 今では秋葉原に行くと、メイドさんがたとえ不細工でもかわいく見えるポージングを毎日のようにクリエイションしています。そのポージングは、2年前よりもすごい勢いで更新されていて、店頭に入る時には「メイドさんが不細工だな」と感じても、ライブが始まった瞬間にかわいいと思えるぐらいに進化しています。

 文化というのは大きい意味ではわかりませんが、ピンポイントにピックアップしていくと現代の歌舞伎は不細工でもかっこ良く見えるボージングの文化を守ることができていなくて、もしかしたら秋葉原のメイドさんの方がその文化をちゃんと継続して守ってるのかもしれないです。

隈:
 私は、これからの方が日本の文化には競争力があると思っています。特に、日本文化には独特の物質に対するフェチのようなものがある。この部分は、なかなか他の国では勝てない部分だと思います。中国や韓国であっても、物質フェチの人はとても少ない。日本人はほとんど物質フェチと言ってもいいぐらいではないでしょうか。

猪子:
 でも、日本では長い期間に渡って文化が続いてきたので、多分歴史が強みになると思います。メイドが面白いのも、歌舞伎を発明した人たちがいたからです。歌舞伎の発明を無意識に受け継いだ人がいて、どんどん受け継がれて仮面ライダーを作った人がポージングを発見した。歌舞伎があったから、メイドというコンテンツは世界中の人が見ても驚愕するぐらい面白い。日本の文化は、連続して深みがあるからすごく強いと思うんです。

隈:
 それはDNAの問題ではなくて、環境の中で民族的にトレーニングを積んできたような気がします。

猪子:
 そうですよね。ちゃんと文化を連続させてきたからですよね。

隈:
 そうだと思います。

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